2013年05月26日00時56分掲載  無料記事
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地域

【安房海より】関東大震災が生んだ房州うちわ  田中洋一

 疎開先で定着した産業がある。房州うちわもその一つ。生活用品としての出番はめっきり減ったが、手作りに懸ける匠の意気込みと、どうにもならない時代の移り変わりを取材で感じた。安房特産のうちわの生産は館山市と隣の南房総市の計6社に減った。その中で83歳の親方、汐見正男さんが小学4年生の学習指導をする場面に立ち会った。17本の竹の骨組みが既に準備してあり、この両面に和紙を貼る作業から始まった。 
 
 17人の小学生を前に汐見さんは説明する。「まず骨を作ります。水に漬けておいた1本の竹を二つ、四つ、八つ……と裂いて、中の肉を取る。ここまでが大変なんだ。飯を食うには5年も10年もかかる。今日はその先をやってもらいます」 
 
 子どもたちは一人ひとり進み出て、ローラーで糊を骨に刷り付け、涼しげな図柄の和紙をぴんと貼る。さらに反対の面にも糊を付ける。注意するのは、扇子のように骨が均等に広がること。一カ所に偏らないよう、へらで動かすのだが、今度は糊が乾いてくる。 
 両面がうまく貼れると、汐見さんはすかさず子どもたちを褒める。「均等だね。うまいもんだ。丁寧に教えると分かってくれる」 
 
 なぜ房州でうちわなのか。うちわ作りに向く竹がこの地で採れるからだ。といっても一帯で育つ3〜6年生の普通の竹だ。明治以前はこの竹を江戸に送り出し、江戸うちわの材料になった。1923年の関東大震災が変革をもたらした。東京の問屋が壊滅し、うちわ職人が、竹の産地に疎開して来たというのだ。 
 
 汐見さん自身は敗戦直後から、うちわ作りに携わる。秋から冬に竹を切り、骨の形にしておいて、春にうちわを作る。「季節商品だから、女も子どももみんなでやった。うちだけで年に10万本作った」。貼り屋、編み屋、窓屋……と分業で、ピーク時にはこの地で千人もの職人が携わり、年間700〜800万本を生産したそうだ。 
 
 丸亀、京都とともに日本の3大うちわに数えられ、2003年に国の伝統的工芸品に指定されたが、時代には勝てない。扇風機が出回り、さらにエアコンが出現して需要は激減。匠はみな高齢になり、認知症が忍び寄る。汐見さん自身、今は元気だが、後継者はいない。この日の助手役を務めた女性の「貼り屋」さんも82歳だ。 
 
 さて、うちわ作りはあと少しで完成する。両面に和紙を貼った上に丸い刃型を乗せる。機械プレスで押せば、一瞬で丸くうちわの形に整う。「おーっ」と子どもたちがどよめく。オリジナルうちわが完成すると、子どもから質問が飛ぶ。「房州うちわの特徴は」「代表的な模様は」「なぜ和紙でないとダメなのか」……。総合学習でテーマに選んだだけに、熱心に問いかける。 
 
 「若い人が真剣に教わってくれた。うれしい。興奮した。元気なうちは教え続けたい」。後で尋ねると、匠の声は弾んでいた。 


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