2013年06月15日13時06分掲載  無料記事
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国際

【北沢洋子の世界の底流】レバノンのヒズボラがシリアに軍事介入

 レバノン南部のシーア派ヒズボラは、政党としてレバノン政治に大きな影響力をもっているが、同時に、世界で最も勇敢で、恐れられたゲリラである。13年前、ヒズボラが、レバノンに侵攻したイスラエルを撃退した時、ナスララ議長(Sayyed Hassan Nasrallah)は、「我々は、イスラエルの国境を超えることはない。“エルサレム”を解放するのはパレスチナ人だ」と宣言した。その証拠に、ヒズボラはパレスチナに派兵することはなかった。 
 
 ヒズボラは、アサド大統領を守るために、数ヵ月前から、ベカー峡谷を越えて、シリアに派兵していた。最初は「シリア南部のシーア派レバノン住民を守るため」という理由を付けていた。しかし、戦死者の棺が1体、2体、3体と帰国する中で、ヒズボラのシリア侵攻の噂は広がっていった。 
 
 このことが発覚したのは、5月末、たった一日で、ヒズボラの兵士30体の棺がレバノンに帰ってきた時だった。その2日後、ヒズボラは、シリアの首都ダマスカスの南にあるシーア派のSayda Zeinabモスクを守備していることを認めた。 
 ナスララ議長は、地下の秘密の司令部から、毎日、「アサドを守るために息子たちをシリアに送って欲しい」という家族からの手紙を受け取っている。そして、「今や、新しい段階に入った」と宣言した。 
 
 今年4月4日、ヒズボラはシリア政府軍と共同で、Qusayrで戦った。ここは、ダマスカスから100マイルのLatakia とシリア海岸を結ぶハイウエイ沿いにある。この「Qusayrの戦い」は、ヒズボラの支援により、政府軍の勝利に終わった。しかし、最初からQusayrの戦いに参加する筈ではなかった。実際には、ヒズボラ軍は、ダマスカスに向かう途中で道に迷い、Qusayrにとどり着いたという裏話がある。 
 
 いずれにせよ、シリア国内で、シーア派のヒズボラが、スンニー派と戦っている。これは、レバノン社会の不安定化に繋がる。レバノンのスンニー派の人口は30%を占めている。実際、「Qusayrの戦い」の翌日、レバノン北部のトリポリで、スンニー派とアラウィ・シーア派との間に戦闘が起こっている。 
 
 今年5月25日、第13回南レバノンの解放記念日に、ナスララは、出身地Mashgaraで、巨大スクリーンに向かって「アサド政権は、ヒズボラの背骨のような存在である。アサドなくしては、イランの武器は入ってこない。イスラエルがレバノンに侵攻したとき、ヒズボラは戦うことが出来ない」と演説した。 
 
 オバマ政権、共和党にマケイン上院議員、そしてイスラエルも「ヒズボラはシリアから撤退しろ」と叫んでいる。たが、これは、シリアに対するNATO・イスラエル軍の軍事介入の口実になるかも知れない。 
 ヒズボラは、勇敢で、恐れられている戦士である。しかし、南部レバノンとは全く異なり、不案内なシリアの砂漠で、はたして、13年前と同じように戦うことが出来るかは、疑問である。 
 
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Yoko Kitazawa 
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/ 


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