2013年07月08日13時10分掲載  無料記事
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門天ことばの交差点プロジェクト〜(第一回)講談の悟道軒圓玉師〜

皆様へ 
新装開店《両国門天ホール》のシリーズ企画「ことばの交差点」のご案内です。このシリーズは芸のことば、音楽のことば、身体のことば・・・さまざまの分野で《いま光る言葉》を探って行こうというプロジェクトです。その第一回にご登場頂くのは講談の悟道軒圓玉(ごどうけん えんぎょく)師。 
 
昭和40年代、当時は火の消えたようと言われた講談界に彗星のように現れ二つ目時代に谷崎潤一郎の『刺青』などを講談化し、二度の芸術祭賞を得るなど注目されたが平成元年、脂の乗り切った47歳の時交通事故に遭遇。自転車ごと跳ね飛ばされ全ての記憶、言葉を失った。300以上あったという持ちネタも全く思い出せないばかりか、あらゆる労働能力も消失という宣告を受けた。その絶望的な状況から復活。やっと一つの講談を語れるまで七年を要したという。 
 
現在も多くの障害が残るという圓玉師だがその芸風は以前にも増して豊かな魅力を獲得したと評されている。 
 
日時 2013・7・27(土) 
13:30開場 14:00開演 
料金 予約2000円(当日500円増し) 
 
会場 両国門天ホール(03・6666・9491)電話受付13時〜17時 
   東京都墨田区両国1-3-9 
   JR総武線「両国駅」より徒歩5分 
   大江戸線「両国駅」A4出口より徒歩10分 
 
主催 門天ことばの交差点プロジェクト 崎南海子/伊東喜雄 
共催 両国門天ホール 黒崎八重子 
 
尚、このプロジェクトはさまざまの分野で《言葉と格闘している》皆さんの企画参加と応援をお待ちしています。 
 
現在『紙芝居・黄金バットの言葉』『津軽三味線・元祖仁太坊の言葉』ホカ『詩とジャズ』『言霊への旅・眼の言葉』など多彩な企画が準備されています。ご期待下さい。 
 
伊東喜雄 (放送作家・映画監督) 
 
■悟道軒圓玉師 ホームページ 
http://homepage3.nifty.com/tasaka-arts/godooken/ 
  高次脳機能障害との戦いを経たと書かれている。 
 「平成元年(1989) 交通事故でほぼ脳死状態に。開頭手術で生還したが『高次脳機能障害』となる。持ちネタの全ての記憶を喪失。失語症、注意障害、半盲等々の重度の障害を残し、再起不能の宣告を受ける。病院を転々としてリハビリを続けつつ、再び講談を演じるべく、自分のレコードを繰り返し聞いて講談を覚え直す作業に挑戦。」 
 
■案内から 《悟龍軒圓玉さんのこと》 
 
  今年一月十四日、東京が久しぶりの大雪に見舞われたその日、大江戸日本橋亭は噂の圓玉さんの登場とあって熱気で満ちていた。噂…と言ってもいまや知る人も少ないか。昭和十七年生まれ。二十二歳でサラリーマンをやめ講談の世界に入った。明治から昭和四十年代まで活躍した名人服部伸の講談に「揺さぶられたから」だという。 
 
  「口一つの芸で、見たこともない景色や人間の動きが浮かび上がる…こんなすごい世界があるのかと…」「機動隊のジュラルミンの盾に全身でぶつかって行ける学生たちが羨ましかった」という二十代初め、「芸というカンナで己の身体を、生命を削ってみたい」との思いを固めたのだった。 
 
  昭和三十九年、田辺南鶴に入門。南州の名を貰う。「客に媚びない、生真面目な芸風」でたちまち頭角を現し、二つ目時代には二度の芸術祭優秀賞という快挙も成し遂げた。それは講談界を越えた事件とさえ言えた。新内の大名人岡本文弥、、作家川端康成、落語の林家正蔵(先代)らからも注目される存在になった。 
昭和五十三年、真打昇進。二代目悟道軒圓玉を襲名する。 
 
  「戦後は火の消えたようとまで言われた講談界。はぐれ鳥の異名を持つ学究肌のこの新しい真打の出現で、果たして講談は力を取り戻すか(アサヒグラフ)」 
 
  そんな圓玉さんが交通事故にあったのは平成元年。自転車ごとはね飛ばされ、脳死状態に陥った。何とか命は取りとめたが記憶障害、失語症,視野狭窄など二十あまりの病名が付く。水道は分かってもどうすれば水が出てくるのか分からない。漢字は読めるのに平仮名が読めない。何よりも三百以上あった持ちネタ全てを失ってしまって、絶望だけが残った。高次脳機能障害。労働能力喪失率百パーセントの宣告を受ける。 
 
  だが、そこから圓玉さんは復活した。奇跡とか驚異的な努力といった言葉では言い切れない、大いなる意志の力とだけ今は言っておこう。いまだに多くの障害が残っていると言うが、しかし、昔から圓玉さんを知る永六輔さんは今回の公演に向けて、こんな言葉を寄せてくれた。 
 
  「悟道軒圓玉というのは講釈の世界では大変大きな名前なんです。若くしてこんな大きな名前を背負った圓玉さん、昔はやや肩に力が入った生真面目さで、名前に押され気味という感じもありました。しかし事故にあってから、だんだん肩の力が取れたと言うか、芸そのものも柔らかさに包まれてきているような、ひょっとすると今のほうが悟道軒圓玉という名前にぴったりという気がしますね…」 
 
  一月、日本橋亭での高座は今は亡き南鶴師への感謝と、そして「講談へ恩返し」の思いをこめたものとなった。好評だった。「数年に渡った厳しいリハビリ生活を乗り越えることが出来たのは、すべて講談という芸があったおかげ」と圓玉さんはいう。 
 
  この十二月には、もう一人の師服部伸さんに捧げる会も予定されている。その間を縫って、新たに始まる私たちの『いま、光る言葉を探す・門天ことばの交差点シリーズ』の第一回に出演して下さることになった。じっくりお楽しみ頂きたい 
 
 (崎 南海子・詩人、放送作家) 
 
■テレビ制作者シリーズ12 「瞽女さんの唄が聞こえる」を作った伊東喜雄さん 
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