2013年07月19日12時22分掲載  無料記事
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国際

【北沢洋子の世界の底流】アフガニスタン撤退後の平和の配当は?

 
 米軍がアフガニスタンに侵攻して以来、12年の歳月が過ぎた。これは米国にとって、ベトナム戦争を凌ぐ最も長く続いた戦争だった。やっと米軍はアフガニスタンから撤退する準備を始めた。しかし、米国民が望んでいるような「平和の配当」はないだろう。 
 
1.アフガニスタン戦争の直接戦費 
 
 アフガン戦争の直接の戦費の総額は、7,000億ドルに上る。この分は「平和の配当」に入るだろう。しかし、これで喜んではいけない。直接の戦費を上回る関連戦費が、撤退後にも、様々な名目で、アフガニスタンで、そして米国内で、支出が予想されるからだ。これは、総額1兆4,000億ドルに達する。 
 
 そもそも、この戦争の目的は、アルカイダとタリバンを殲滅することにあった。しかし、2003年、米軍はその戦費から目的にいたるまですべての資源をイラク戦争に振り向けてしまった。 
 
 これに乗じて、手薄になったアフガニスタンでは、タリバンが息を吹き返し、隊列を整えた。これは米軍にとって、より多くの戦費の支出であった。一方、アルカイダは、パキスタン、イエメン、マリと活動の場を拡散させた。米軍は、人的被害を避けるために、無人機でもって対処した。その結果、パキスタンが不安定化し、米国に敵対するようになった。マリにはフランス軍が介入をした。 
 
 米軍は、かつての大英帝国(1839〜42年)、そして80年代のソ連軍と同様、アフガニスタンの山岳地形という思わぬ敵に悩まされた。ここでは、前線への武器や弾薬、食糧の補給は困難を極め、かつ費用がかかった。 
 
 09年夏、オバマ大統領は、アフガニスタンから撤退するために、3万人を増派するという不思議な決定をしたが、これは何の効果もなかった。3万の戦闘部隊は、南部地域の治安を確保し、アヘンの耕作を根絶やしにするという初期の目的を達成出来なかったばかりか、2012年の1年間で、米軍は3,000回以上ものタリバンの攻撃を受けた。これはアフガン戦争始まって以来、最大の攻撃数であり、前年比で47%増である。 
 
2.アフガニスタン戦争の間接戦費 
 
 オバマ大統領は、新しいアフガン戦略を打ち出した2011年11月以降、無人機を使って、パキスタンからのタリバンの補給ルートを破壊しようとした。しかし、これはパキスタン兵士24人を殺してしまい、おまけに数十億ドルもの巨額の請求書が回ってきた。 
 
 その上、米国はアフガにスタンの復興資金として、すでに900億ドルを支出している。この額は第二次世界大戦直後、西ヨーロッパ諸国に供与した「マーシャル・プラン」を上回る。しかも、この援助金の多くは、アフガニスタンの腐敗役人のポケットに納まっている。カルザイ政権の腐敗ぶりは目に余るほどだが、米国には打つ手はない。 
 例えば、カルザイ大統領は、CIAから、毎月7500万ドルを受け取っていたが、今年6月、議会の圧力でこの“月給”の支払いが差し止められた。これは、米上院Bob Corker議員(テネシー州選出・共和党)が「満足のいく支出先の明細が出されるまで、支払わない」ことをオバマ大統領に迫ったからだ。一説によると、この7,500万ドルはカルザイの大統領の来年4月の選挙費用だったという。 
アフガニスタン、そしてイラクからの帰還兵の2人に1人が、何らかの心や身体に傷を負っている。両国からの帰還兵の数は80万人を超える。その中の大部分は、「修身傷病兵」の年金登録をしている。 
 
 議会が政治的圧力を受け、帰還兵の手当、スタッフや高額医療機器、そして精神科のクリニックなどを増設した。帰還兵省は、毎年増えていく支出に悩まされている。同省の2001年度の予算は500億ドルであったが、これが2013年度には1,400億ドルと急増している。これは、今後も増え続けるだろう。 
 
 アフガニスタンもイラクもともに、評判の悪い戦争であった。そこで、国防総省は、兵士の手当や年金を増額し、兵士だけでなく退役後、そして家族までもの医療費を補助すると言って、志願兵を募集した。また戦死者を出来るだけ減らそうとすると、莫大な戦費を要する。 
 
 国防総省は、兵士1人当たりのコストが増え続けるので、いくつかの特典を削減したいと議会に申し入れた。しかし、それは議員にとって「アンタチャブル」事項であった。現在、医療費を含めて、兵士にかかる費用は、国防総省の予算の3分の1に達している。2013年度の兵士と家族の医療費は560億ドルである。今後は医療費だけでも、国防総省の予算の10%を占めることになろう。 
 
3.「平和の報酬」はなく、大きなつけが 
 
 米国は、カルザイ政権に対して、撤退後も、アフガン人警察と軍隊の訓練を10年間続けることを公約している。そのための予算は、560〜800億ドルに上るとみられる。そして、数千人の米特殊部隊、軍事訓練教官、CIA要員、軍用機などが2024年まで滞在するという協定がカルザイ政権と米軍との間で締結された。 
以上の費用は、米軍撤退後に見込まれる「負の遺産」である。かつて、冷戦が終了した時、核軍縮が進み、明らかな「平和の報酬」が実感できた。しかし、アフガニスタン撤退後の米国で、「平和の報酬」を享受できるという保証はない。 
 
 オバマ大統領は、「2014年末までに米軍の戦闘部隊を撤退させる」と公約した。同じ2014年には、アフガニスタンでは総選挙、新大統領、経済的移行、軍事的移行などの行事が犇めいている。現在、撤退完了まで18カ月を切っているのに、和平交渉すら始まっていない。 
 
4.アフガニスタンの和平交渉をめぐって 
 
 今年6月10日、タリバンは、首都カブール空港にロケット弾を撃ち込んだ。治安部隊とタリバン・ゲリラとの間の戦闘は5時間続いた。空港は民間と軍事兼用で、米空軍司令部が置かれている。 
 
 今年に入って、タリバンは、カブール市内だけでも、国際移住機関(IOM)、国防省、情報機関、交通警察などを標的として、攻撃を繰り返していた。カブールでの攻撃の手口は、まず、周辺の建物を占拠して、そこから攻撃を仕掛ける手法が増えており、戦闘は長時間続く。アフガン軍や治安警察には、事前に防止することは不可能である。 
 
 アフガン国防軍や治安部隊の損害は、昨年1年間で前年比40%増を記録した。同時に、軍の脱走は、平均27%から30%に上る。 
 
 米国は、タリバンとの和平交渉で「撃ち合いながら、話し合う」という戦術を取っている。これは、全く成功していない。なぜなら、「撃ち合い」では犠牲が大きすぎるし、一方では、「話し合い」は、始まっていないからだ。 
 
 米国は、「2004年憲法の受け入れと、暴力とテロを放棄」することをタリバンに和平交渉に入る条件にしている。これはタリバンにとっては、受け入れがたい条件である。この他に、アフガニスタンの和平交渉を困難にしている理由がある。それは、実際には米軍主導であるにもかかわらず、NATO軍による「国際治安支援部隊(ISAF)」を名乗っている。それは、交渉の当事者を曖昧にすることになっている。もう1つの当事者であるべきカルザイ政権は弱体すぎて、独立した当事者になりえない。 
 
 第3の当事者は反政府軍側だが、これまではタリバンだけが脚光を浴びてきた。しかし、反乱側には、タリバンの他に有力なゲリラ組織がある。 
 その第1は、5月16日、カブールで大規模な自爆テロ攻撃を行い、米軍6人、アフガン軍16人の死者を出した事件があった。これには、「Hezb-i-Islami」が声明を発表した。 
 
 この事件は、カルザイ政権と米軍との間に撤退後の「駐留協定」を結ぶ口実になった。 
 タリバンと違って、「Hezb-i-Islami」の政治組織は、カルザイ政権に参加している。すでにWardakが教育相として政権入りをしており、もう1人はカルザイ大統領の顧問に就任している。また、Hezb-i-IslamiのGulbuddin Hekmatayar師はタリバンのオマール師のライバルである。5月16日の攻撃はHezb-i-Islamiが、もう1つの当事者として、和平交渉のテーブルにつくぞ、という意思表示でもあった。 
 
 第2は、パキスタンンに根拠地を置くゲリラ組織「Haqqanis」がある。彼らは、パキスタン軍や情報部と親密な関係にある。アフガニスタンの和平協定は、Haqqanisとパキスタン軍の同意なしには、不可能であると見られている。しかし、オバマ政権は、タリバン以外を無視している。 
 
5.タリバンの外交攻勢 
 
 和平交渉を前にして、タリバンは米国の上をいっている。まず、タリバンはカルザイ政権を交渉相手と見なしていない。タリバンは米国との直接交渉を望んでいる。一方では、タリバンは南部と東部の軍事支配を固めている。ここでは、タリバンが警察署を少なくとも3ヵ所、ある情報では8か所、占領していると報じられている。アフガン政府軍が攻撃すると、タリバンは戦わずに逃げる。政府軍がいなくなると、再び警察署はタリバンの手に落ちる。これは、アフガニスタンの国土の4分の3の領域に及んでいるというCIA情報もある。 
 
 さらに、タリバンは、米国に比べて、政治攻勢にかけては、はるかに現実主義者である。今年6月18日、タリバンはカタールの首都ドーハに代表部を設けた。カタール政府の要請で、代表部はタリバンの国旗や紋章を掲げないことになったが、いずれにせよ、大勢のジャーナリストのカメラを浴びて、タリバン外交部は10年振りにその姿をあらわした。 
 
 驚いたことに、彼らは、洗練された都会風の男たちで、流暢な英語でインタービューに答えた。彼らは、英語の他に、アラビア語、フランス語、ドイツ語を楽々と話した。明らかに、彼らの多くは、タリバン政権時代の外交官であり、戦争中は、ヨーロッパに亡命していた。彼らに共通しているのは、唯一、オマール師に対して忠実であることだ。 
 
 例えば、カタール代表部のリーダー格のTayeb Aghaは、以前オマール師の秘書、参謀長であった。またHafiz Aziz Rahman Ahadiは、クエッタにあったオマール師のマドラッサ(タリバンの学校)の教師の息子である。彼らは、アフガニスタン国内で、米軍や政府軍に自爆攻撃をかける獰猛なゲリラの姿とは程遠い。 
 
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国際問題評論家 
Yoko Kitazawa 
http://www.jca.apc.org/~kitazawa/ 


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