2013年07月25日00時16分掲載  無料記事
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国際

【北沢洋子の世界の底流】エジプトの大反乱とクーデター

 現時点でエジプトの政治について書くのはむずかしい。情勢が混沌としており、流動的だからだ。 
 
1. 2011年のエジプト革命を推進した三つの勢力 
 
(1)草の根の若者たち 
「アラブの春」の到来を告げたエジプト革命から2年半の時が過ぎた。「アラブの春」の特徴は、若者たちが立ちあがって、大規模なデモで、ムバラク長期独裁政権を倒したことにあった。しかし、ムバラクを退陣させたのは若者たちだけではなかった。 
 
 昨年6月の大統領選では、ムバラク旧体制のアハメッド・シャフィーク将軍を阻止するために、世俗派・リベラルの若者たちは、ムルシィ候補に投票した。この時、ムルシィ候補の得票1,300万票の中で世俗派・リベラルの若者の票は1,000万票にのぼった。 
 
(2)ムスリム同胞団 
 革命の過程で、決定的な日となった1月28日金曜日の「怒りの行進」の日に、ムバラク時代に非合法下にあったムスリム同胞団が参加し、100万人規模のデモとなった。彼らは、革命に遅れてやってきた。 
 
(3)エジプト軍 
 さらに、最終段階において「デモ隊を守る」という形で軍が介入した。そして、ムバラク追放後の政治的空白を埋めるために、軍の最高評議会が権力の座についた。 
 
 2012年6月、エジプトの歴史ではじめての民主的な大統領選と総選挙が施行され、ムスリム同胞団が圧勝し、ムルシィ大統領が誕生した。しかし、深刻な失業、不況、エネルギー不足、治安の悪化など、政治が民主化されても問題は解決しなかった。そればかりでなく、ムルシ政権は、イスラム色を全面に押しだしてきた。また政権発足直後の昨年8月、軍の最高評議会の議長であり、国防相であったタンタウイ議長を解任した。トルコのエルドアン首相が10年間かけて実行したことを、ムルシィはあまりにも性急にことを進めた、と批判された。 
 
2.反ムルシィのデモ 
 
 ムルシィ大統領誕生一周年にあたる今年6月21日、「アラブの春」の主人公であった若者たちが、「文化省がムスリム同胞化」されていることに抗議して、大臣の辞任を要求して同省内に座りこんだ。この事件は、やがて、6月30日(日)、ムルシィ大統領の辞任を求める大規模デモに発展していった。エジプト国内で2,200万人が参加した。これはエジプト史上最大の反乱となった。2日後、内閣は全員辞任した。 
 
 エジプトでは、ソーシャル・メディアは弾圧されなかったので、このように運動が急速に発展した。 
 
 どうやら、ムルシィ大統領、ムスリム同胞団ともに、反政府勢力の力を過小評価していたようだ。とくに若者たちは、2年半前に、ムルシィよりはるかに強大だったムバラク長期政権を倒したという自負があった。また反ムルシィ・デモの中に、少数だが、軍服を着た将校たちもいた。 
 
 この事態に対して、7月3日、ふたたび軍が介入した。ムルシィ氏は自宅軟禁になった。閣僚の一部、同胞団の幹部399人を逮捕した。同胞団の各事務所は荒らされ、幹部の中には銃殺された者もいる。ムバラクでさえ手を付けなかった同胞団の最高導師Mohammed Badie も逮捕された。 
 
 また、同胞団寄りと見られたアル・ジャジーラと、ムスリム同胞団系の2つのチャネルが閉鎖になった。コンピューター、携帯、iPads にいたるまで、軍によって、一切通信の道具が没収され、ジャーナリストが逮捕された。CNNとBBCは、同胞団のデモをライブで報道しているのを止められた。エジプトの国営新聞『アル・アハラム』は、「外国メディアは民衆と軍を敵対させる報道した」と、非難した。 
 
 軍は、また、ムルシィが罷免した、ムバラク時代に悪名高かったAbdel-Meguid Mahmoud を検事総長に再任した。彼は容赦のない同胞団の捜査を開始した。 
 
 こうして、前回と同様、軍の最高評議会が権力を握った。しかし、軍主導で、すべての勢力を包括した民主的な文民政権が誕生するという保証は今のところない。 
 
3.エジプトの三つの政治勢力 
 
 以上、ざっとエジプト革命の推移をたどってきて、明らかになったことは、エジプトには、三つの政治勢力が拮抗しているということだ。それは「タマロド(反乱)」と名乗る若者グループ、ムルシ大統領のムスリム同胞団、そして軍という三つの勢力があげられる。 
 
(1)「タマロド」の若者たち 
 2011年1月、ムバラクの長期独裁政権に対して、デモという平和的手段で、はじめて声をあげたのは若者たちだった。その指導者的な人びとは、医者、弁護士、技師などの30代のインテリ青年だった。彼らは、自分たちの親の世代が、独裁に甘んじてきたことに怒った。彼らは、弾圧にめげることなく、勇敢に闘った。しかし、彼らには、組織、指導者、戦略などはない。しかし、彼らなくしては「アラブの春」は訪れなかっただろう。これは、21世紀型の革命であるが、彼らは革命後の政権を担うことはできない。常に、革命政権を掌握するのは、あとからやってきた組織された政党である。 
 
 今回の反ムルシィ・デモの2ヵ月前、マハムド・バドル、モハメド・アブデルーアジズ、ハッサン・シャーヒン、アイ・ワフバ、モハメド・ヘイカルなど20〜30代の5人の若者が集まって、「タマロド(反乱)」を結成した。彼らの手法は、人びとに「抗議しよう」と呼びかけるだけで、政治的オルターナティブを提起していない。しかし、これは彼らの未熟のせいではない。彼らが、政治的オルターナティブを拒否しているからだ。彼らは、反ムルシィ・キャンペーンが終われば、組織を解散する気でいる。一方では、彼らは、ムルシィ辞任を求める署名を2,500万人集めた、という組織力を持っている。 
 
 「タロマド」の若者に連帯する、いやむしろ若者の連帯から運動が起こったというべきだが、忘れてはならないのは労働組合勢力がある。彼らは、工場を占拠する用意があることを示した。そして、ムルシィ政権のYahya Hamid 投資相に対して、 
(1) 直ちに工場に原料の綿花を供給すること、 
(2) 最低賃金制度を実施すること、 
(3) 食糧切符を増やすこと、 
(4) 残業手当を増やし、毎月220ポンドのボーナスを支給すること、 
(5) 交通費を支払うこと、 
(6) 民営化をやめ、国有化すること、などを要求した。 
 
 エジプトは世界一良質な綿花の産地である。そして、繊維産業は、エジプトの基幹産業である。この繊維産業の労働者のストはムバラク時代の戒厳令下でも行われており、それに連帯した若者たちが「アラブの春」の火付け役になった。 
 
 今年6月27日、エジプト最大のMahalla al-Kubra繊維工場の労働者が街頭に出て、反ムルシィ・デモを行なった。 
 
(2)ムスリム同胞団 
 ムスリム同胞団は、80年前、Hassan al-Bannaによってエジプトで誕生した最も古い組織である。しかし、50年代のナセル時代以来、ムバラク政権にいたるまで、非合法下に置かれてきた。そこで表向きには同胞団と関係がない「自由公正党」の名で、議会に参加してきた。軍事独裁時代には、自由公正党は20%の得票率を維持していた。 
 
 非合法化された同胞団は、貧しい地域で、ボランティアとして医療、教育、慈善などの活動を行ってきた。現在途上国で活動しているNGOに似ているが、同胞団の方が歴史も古い。ぬスリム同胞団は、アラブ圏全域に散らばっている。 
 
 現在のところ、エジプトの同胞団は、イスラム主義者であるが、非暴力をモットーにしている。しかし、かつてサダト大統領がイスラエルと和平協定を結んだことに抗議して、サダトを暗殺したのは同胞団のメンバーであった。またガザで武力闘争を続ける「ハマス」の創設者は、エジプト同胞団のメンバーであった。 
 
 オサマ・ビンラディンのアルカイダのナンバー2のザワヒリはエジプトの同胞団出身である。したがって同胞団イコール平和主義者ではない。 
 
 同胞団の強みは、これまでの長い活動と貧しい人びとの支持があること、ヒエラルヒー型の堅固な組織、そして、湾岸地域からの豊富な資金である。エジプト国内には、100万人のメンバーを擁する最大の民間組織である。 
 
 今回の軍のクーデターによってムルシィ氏は大統領の座を引きずり落とされた。これに対して、大統領を守るために、同胞団のメンバーが大統領官邸に押し掛けた。この時、「平和的に」という声と「平和的は死んだ」という声が拮抗していた。同胞団は、連日100人にのぼるムルシィ擁護のデモを行っている。 
 
 カイロにあるイスラム学の最高権威アズハル大学のタイイブ総長は、「内戦の危険性がある」と警告する声明を発表した。 
エジプトの現在の政治状況に似ているのは、1991年、「アルジェリア型シナリオ」という前例である。アルジェリアの総選挙では、ムスリム同胞団に似た「イスラム救国戦線(FIS)」が勝利した。これに対して、軍が選挙を無効としてFISを非合法化した。その後、FISと軍の間に内戦が10年続いた。アズハル大学総長の危惧には前例がある。 
 
(3)軍とクーデター 
 第三の勢力は、軍である。エジプト軍は、1952年、ナセルの自由将校団がクーデターで王政を倒して以来、政権の座にあり、その間、エジプトの基幹産業を手中に収めてきた。そして、言うまでもなく、軍は武器を持っている。しかも上の命令を従順に従う。これは同胞団よりも規律が取れている。 
 
 エジプト軍幹部は、長い間の軍政のお蔭で、すべての政治・経済・社会機構を握っている。彼らはブルジョワジーになるために国家の資産に寄生する、あるいは簒奪する。私はこれを軍事国家資本主義と呼ぶ。 
 
 ムバラク以後、二度目のクーデターとなる今回は、シーシ軍最高評議会議長名で、7月2日未明、48時間の期限を付けて、ムルシィ大統領に「政治勢力間の合意」の実現を要求した。そして、最高憲法裁判所のアドリ・マンスール長官を国家元首に任命した。最高憲法裁判所は、長官を含めて、ムバラク時代に任命されており、これまで同胞団に不利な判決を下してきた。 
 
 ムスリム同胞団後、新しいイスラム政治勢力として台頭してきたのは、「アル・ヌール(光)党」である。これは、イスラムの超保守派であり、穏健派の同胞団に対立してきた。今回の軍のクーデターを支持している唯一のイスラム主義者グループである。アル・ヌール党は、エル・バラダイの首相任命に「リベラルだ」として、葬り去るなど、キャスティング・ボートを握っている。 
 
4.ムルシィ政権打倒に対する世界の反応 
 
 エジプト国内、海外ともに評価が分かれている。国内で強硬に反対しているのは、もちろん同胞団である。彼らは、ムルシ大統領は民主的に選出されており、クーデターは非合法だと、非難している。しかし、今までのところ、同胞団は平和的な大規模デモを続けている。一方若者の「タマロド」は、クーデターという超法規の行動には反対しているが、反軍ではない。ちなみに軍は「クーデター」でないと主張している。 
 
 海外では、湾岸諸国がクーデターに賛成した。そればかりでなく、湾岸の最も金持ち国のサウジアラビアが50億ドル、アラブ首長国連邦が30億ドル、クエートが40億ドルの贈与とローンを提供すると発表した。これは、不安定な暫定政権にテコ入れするばかりでなく、彼らに敵対するエジプトのイスラム主義者(ムスリム同胞団)の勢力を削ぐためであった。本心では、イスラム主義勢力が、自らの王政の基盤を揺るがしかねないことを恐れている。 
 
 一方、とくにアラブ世界で、サウジアラビアと覇権を争っているカタールとトルコが、同胞団政権にたいして、外交的に支援してきた。 
 
 EUは軍の介入を支持していない。米国の立場は微妙である。なぜならムバラク時代、エジプトは米国の援助を受けた最大の国だったからだ。それは、エジプトが1979年、イスラエルと和平した報酬であった。一方米国の法律によれば、クーデターを起こした国には援助を停止しなければならない。米国は、エジプト軍に毎年13億ドルの援助をしてきた。そこで、オバマ大統領は、「クーデター」を非難せず、単に早い民生移管を要求している。 
アフリカ連合(AU)は、エジプトの政変を受けて、加盟資格を停止した。憲法が回復するまで、エジプトはAUのすべての活動に参加できない。AUは「民主的に選ばれた大統領を転覆させることは、エジプトの憲法に基づかない政変である」と声明した。 
 
4.なぜムルシィは失敗したのか 
 
 初めて民主的なプロセスで誕生したムルシ政権は、なぜ失敗したのか。それは、革命を切り開いた世俗派・リベラルと軍が、ムスリム同胞団に対立したということだけではない。皮肉なことに、それは革命が平和的に進行したことにある。そこでムバラク時代の秘密警察をはじめとして警察機構が仕事を放棄した。その結果、ムルシィ政権になって、犯罪、とくに、女性に対する暴力事件が急増した。人びとの不満は爆発寸前だった。 
 
 しかし、クーデター後のエジプトでは、不思議なことが起こった。ガソリンを買う長い行列、頻発する停電がなくなり、警官が街に戻ってきた。これを、ムルシィ政権を打倒する陰謀であったと言う説がある。 
 
 ムルシィ政権時代に作成された憲法は、ムルシィが任命したイスラム主義者によって起草された。ムバラクジ時代の憲法にあった男女平等などが削除された。このことも、人びとの不満につながった。 
 
 7月16日、暫定内閣が発足した。ベブラウィ首相をはじめ、閣僚はすべて、世俗派・リベラルである。軍の最高評議会のシーシ議長が国防相になっている。これでは、閣僚ポストを外されたムスリム同胞団が納得するはずはない。 
 
5.ムルシィ政権の消滅が中東政治に及ぼす影響 
 
 エジプトでムスリム同胞団政権が倒れたことは、中東のイスラム組織に大きな影響を及ぼすだろう。 
直接、影響が出るのは、パレスチナである。ガザを実効支配している「ハマス」の創設者アフマド・ヤシン師は、エジプトのムスリム同胞団の一員であった。 
 
 ムルシィ氏も大統領就任直後に、ハマス政府のハニヤ首相やメシャール政治局長と会談し、アラブ連盟外相会議を主催した。そして、エジプトのカンディール首相をはじめアラブ諸国の外相が次々とガザ入りをした。これはイスラエルに対する牽制となった。ムルシィ政権の崩壊でハマスは大きな後ろ盾を失った。 
 
 次に影響を被るのは、シリアの反アサド派であろう。シリア内戦で、アサド政権と闘っている勢力の中に「シリア・ムスリム同胞団」がいる。これは反政府派の中で中心的な役割を占めている。エジプトの同胞団の支持がなくなることは、打撃だ。 
 
 このほかイスラム過激派の「サラフィスト」グループがいる。これは、アルジェリアに本拠を置き、アルカイダとの関係を疑われている。しかし、イスラム主義者であるところからエジプトの同胞団の支持を受けていた。 
 
 また同胞団の影響力が強いエジプト医師組合は、シリア北部のアレッポに野戦病院を開設し、地域住民や自由シリア軍の戦士の手当てをしている。また、カイロには、シリアの反体制派の事務所が設けられていた。これは、ムルシィ政権後、彼らは公安警察の締め付けにあっている。 


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