2013年07月28日11時50分掲載  無料記事
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核・原子力

【たんぽぽ舎発】森滝市郎没後20年にあたって(中) 森滝市郎「核絶対否定の歩み」抜粋   井上 啓

 フィジーの非核太平洋会議から深い感動と決意を持って帰国した私は、その年、被爆三十周年(1975年)の原水禁大会の基調演説で、ついにきっぱりと文字通りの「核絶対否定」の立場を打ち出した。国際会議での問題提起的な演説の草案は例年のように事務局で用意されたが、そのなかに「核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう」という一句があった。私は、電話で起草者の池山君とこの一点について打ち合わせ、覚悟を決めた。そして、大会基調演説の草案を精魂こめて書いた。その演説の後半は、いわば「核絶対否定」の宣言であった。 
 
 いわく、「さて私たちの運動は、広島・長崎の体験から「核兵器絶対否定」の運動として起こりました。従って初期の段階では、私たちも核エネルギーの平和利用のバラ色の未来を夢みました。しかし今日、世界ではほとんど共通に起こってきました認識は、平和利用という名の核エネルギー利用が決してバラ色の未来を約束するものではなくて、軍事利用と同様に人類の未来を失わせるものではな 
いかということであります。 
 
 つまり、平和利用という名の原子力発電から生ずるプルトニュウムは、いうまでもなく長崎原爆の材料でありますから、軍事利用に転用される可能性があることは明白であります。またプルトニュウムは、半減期二万四千年というもっとも毒性の強い放射性物質でありますから、まことにやっかいきわまるものであります。しかも、それは天然自然にあるのではなく、全く人工的に生産されるもので 
あります。ですから、原子力発電がたとえ安全であるとしても、そこでは多量のプルトニュウムと放射性廃棄物が生産されるのであります。しかも、その放射性廃棄物の究極的処理の道はまだ解決されておらず、解決の見込みもないといわれています。 
 
 こんな状態で、人類のエネルギー源は、核分裂エネルギーに求めるほかないといって原子力発電所をこぞってつくり、そこからプルトニュウムと放射性廃棄物を莫大に出し続けるということになれば、そのゆきつくところはどういうことになりましょうか。 
 核分裂エネルギーにたより続けたら、この地球全体がプルトニュウムや放射性廃棄物の故に人類の生存をあやうくされるのであります。私たちは今日まで核の軍事利用を絶対に否定し続けて来ましたが、いまや核の平和利用と呼ばれる核分裂エネルギーの利用をも否定しなければならぬ核時代に突入したのであります。しょせん、核は軍事利用であれ、平和利用であれ、地球上の人間の生存を否定するものである、と断ぜざるをえないのであります。核と人類は共存できないのであります。 
 
 共存できないということは、人類が核を否定するか、核が人類を否定するかよりほかないのであります。われわれは、あくまで核を否定して生き延びなければなりません。 
 核兵器を絶対否定してきた私たちは、平和利用をも否定せざるをえない核時代に突入しているのであります。『核兵器絶対否定』を叫んできた私たちは、いまやきっぱりと『核絶対否定』の立場に立たざるをえないのであります。『平和利用』という言葉にまどわされて『核絶対否定』をためらっていたら、やがて核に否定されるでありましょう。 
 
 先日の国際会議で私があえて提起したテーゼは、『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』ということでありました。くりかえして申します。『核分裂エネルギーを利用する限り、人類は未来を失うであろう』と。 
 人類は未来を失ってはなりません。未来の偉大な可能性を確保しなければなりません。私は被爆三十周年のこの大会で、全世界に訴えます。 
 
 人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されてはいないのであります。 
      (下−核文明批判−につづく) 
 
※井上氏の肩書き:元・原水爆禁止日本国民会議事務局次長、NPO法人農都共生全国協議会事務局長、NPO法人有害化学物質削減ネットワーク理事 


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