2013年08月27日09時08分掲載  無料記事
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モリエール作「守銭奴」  〜現代の英雄〜

  最近若い人がこんなことを話していた。 
 
  「多国籍企業は税金が高くなるのなら外国に拠点を移すと言って政府を脅していますが、貧乏人ならともかく、巨額の利益を出している企業なのにやっていることが貧乏くさい。いったい、なんでそうなるんでしょうね?」 
 
  それを聞いて僕はある舞台を思い出した。 
 
  男が金の入った小箱を開けて金貨を口に入れる。1枚、2枚、3枚・・・本当にいとおしそうだ。そして男は金貨をほうばりながら地底に沈んでいく。 
 
  コメディ・フランセーズが上演したモリエール作「守銭奴」(L'Avare)のラストシーンだ。主役の守銭奴アルパゴンを演じるのはフランスきっての名優、ジェラール・ジルードン(Gerard Giroudon)。彼が金を口に入れるシーンは圧巻だった。そこに人間の狂気が漂っていたから。家族よりも、恋しい人よりも何よりも金がいとおしい。その不思議さ。その哀しさ。しかし、そこに圧倒的なリアリティがあった。筆者のような貧乏人ですら、守銭奴アルパゴンに共感できたのだから。 
 
   「守銭奴」(しゅせんど)という言葉は現代では耳にすることがなくなったが、お金を出し惜しむドケチを指す。奴隷の「奴」がつけられているようにお金を貯めること自体が自己目的と化している。 
 
  「守銭奴」の筋書きはこうだ。老いた守銭奴のアルパゴンが若い娘に懸想する。しかし、アルパゴンの息子もその娘に恋をしている。そこで親子で娘の奪い合いが始まるが、金を持つ父親が優勢。そんな時、息子が父親の命よりも大切にしている貯金箱を庭から掘り当てることに成功し大逆転。金を「人質」に娘と結婚することを父親に承認させる。一方、アルパゴンは娘は失ったが、愛する貯金箱が戻ってきて一安心する。 
 
  アルパゴンは金持ちであるにも関わらず、金を使うのが嫌いで支払いは1円でも少なくしようとする。支払いが多くなりそうだと、胸が苦しくなってくる。彼を安心させるのは金だけだ。夜毎、庭にこっそり埋めた貯金箱を掘りだし金が無事であることを確認して喜ぶ。アルパゴンは金に対する執着が病的なレベルになった人間である。「病は気から」の場合は病的に病気を恐れる男が主人公だが、モリエールの芝居ではこのような強迫的な精神の持ち主が主人公になることが多い。そして、それらが喜劇であるのは彼ら強迫観念の持ち主たちが自身の姿の何たるかに気づいていないことである。 
 
  90年代にわが国でデフレが始まり、金の価値が今までになく大きくなった。1日でも2日でも日が経つほど金の価値が上がっていく時代だから、金を出し惜しめば惜しむほど、その価値が膨らんでいく。これは日本人の感覚を大きく変えたに違いない。昔は守銭奴などとんでもないと思っていただろう日本人だが、今ほど守銭奴アルパゴンに共感できる時代はないと思う。スーパーのチラシに1円でも安い商品があるとワクワクするし、普段のぞかない店でも閉店セールには駆けつける。タダという言葉にも弱い。その心理にこたえるように、無料の「フリーペーパー」も生まれた。インターネットで新聞記事もタダで読める時代が来た。さらには通話料無料というサービスもある。 
 
  こうした時代の流れはお金を使わず、持つこと自体を自己目的にしていく傾向がある。お金が1円でも2円でも節約できると嬉しくなる。お金を使わないということがこれほど美徳になった時代はない。80年代は物価も地価も日々高騰し、高額のブランド品を買ったり高額の酒を飲んだりオペラを聞いたりすることが番組の花形だったが、90年代には一転、無駄の排除やリストラ、激安、節約術をテーマに扱う番組が花形になった。お金を1円も使わないことが理想になったのだ。 
 
  アメリカでは80年代から保守革命が進行し、富裕層に対する税率が劇的に下がったため、富裕層のもとにどんどん金が集まるとともに、出ていく金が劇的に減った。富豪が金を出し惜しむ様が守銭奴を彷彿とさせる。だが、つまるところ、金持ちばかりじゃない、貧者も大衆も富裕層も皆守銭奴になったのだ。書店にいけばカントもゲーテもない代わりに、効率のいい金儲けのハウツー本が山と積まれている。近い将来、お金は神になるかもしれない。 
 
  「守銭奴」のラストシーンがあまりに強烈だったから原作の戯曲を手にしてみると、アルパゴンが金を食べる、とは書かれていない。戯曲の最後はこうだ。 
 
  Et moi,voir ma chere cassette. 
 
 「では、わしはいとしい貯金箱を見るとしよう」 
 
  金貨を貯めた貯金箱が見つかって戻ってきた。その貯金箱を開けていとしい金をこれから愛でよう、という。だから金を口に入れて地底に沈んでいくのはコメディ・フランセーズの演出だったのだ。さすがに300年以上モリエールを公演してきただけあって、演出も凝っている。しかも、この劇は古風なコスチュームでなく、現代人の服装で演じられた。シェイクスピア劇と同様、モリエール劇が現代にも完全に通用することを証明して見せたのだ。 
 
■コメディ・フランセーズ 
http://www.comedie-francaise.fr/la-troupe-aujourdhui.php?id=512 
 
■今年で設立333年・コメディ・フランセーズの舞台コレクション 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201307251026014 
■フランスからの手紙23 〜責任ある億万長者とは?〜パスカル・バレジカ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201108202327376 


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