2013年11月01日07時43分掲載  無料記事
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コラム

バンダ・アチェの津波博物館  村上良太

   2004年12月26日、インドネシアのスマトラ島を猛烈な津波が襲った。死者は10万人を超える大惨事となった。被害が激しかったのが島の北に位置するバンダ・アチェだ。地震が起きたあと、20〜30分後に津波が押し寄せてきたのだが、多くの人々はそんなにすごい津波が来るとは思っていなかったのだ。 
 
  バンダ・アチェには津波博物館が建てらている。津波博物館にはあの日を再現した模型がいくつか展示されていた。猛烈な高さの津波が海水浴客たちを飲み込もうとする瞬間がミニチュアで再現されている。また、船が陸に打ち上げられていく様子も再現されていた。船上の客たちは転倒し、恐れおののいている。あるいは地震から何分で津波が来るかをシミュレーションし、逃げている人々との関係を示したものもあった。 
 
  しかし、そんないくつもの展示よりも、もっとも胸を打ち、忘れられないのは博物館の入口である。博物館に入ると、10メートルくらいの暗くて狭い通路がある。展示場へ行くにはこの暗い通路を通り過ぎなくてはならない。しかし、その通路は先が見えないくらいに暗いだけでなく、ひんやりと湿っているのだ。細かい霧が噴霧されているのである。 
 
  その暗い通路は非常に恐ろしかった。それは死をイメージしたのだと思った。実際、案内人の女性が英語で、これは<私たちの観念を表現したものです>と教えてくれた。この暗くて湿った小道を経てあの世に旅立っていくのだろうか。それは暗い海の中をイメージさせた。死者たちが体験した苦しみはそれどころではなかろうが、この津波博物館には入口でドキッとさせられた。きっと一生忘れられないだろう。 
 
 
 
*JICAの事業 「津波避難センター」 
 
  バンダ・アチェの海沿いには津波の前と同様の低層住宅が再び建築されていた。コミュい二ティの復活を後押しするべく、インドネシア政府の資金が注がれたのだ。新たに建てられた家も、以前と同じですべて1階建ての平屋だから、また大きな津波が来ればもちろん飲み込まれてしまう。しかし、大規模堤防工事などはしない。 
 
  被害の大きかったこれらの地域には日本のJICAの救援プロジェクトで津波避難用の建物が建てられている。地震発生から津波までのタイムラグを利用して、住民はこの避難センターに駆け上るのだ。実際に地震があると、近くの人々はアナウンスに従ってこの建物に上っているようである。この建物の構造はイスラム寺院(モスク)に似せて、下は太い柱を何十本も使い、壁はつくらず風が吹き抜けになっている。そのことで津波の水を流れさせ、建物自体を堅牢にしているのだ。これは家族8人を失った、地元のインドネシア人のアイデアによる。 
 
  こうしたJICAの建てた津波避難センターはバンダアチェの海浜地区の3箇所に建てられていて、周辺住民の大きな心の支えになっている。さらにこのJICAの避難センターをモデルにインドネシア人が建てた津波避難センターもできていた。周囲では2004年の暮れに家族全員を失った人が、再婚して新たにもうけた子供を育てていた。 


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