2014年01月14日04時15分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201401140415252

中東

シャロン元首相の追悼記事 〜なぜリクード党から中道政党にシフトしたのか?〜

  イスラエルのアリエル・シャロン元首相(Ariel Sharon,1928-2014)が先週末にテルアビブの病院で亡くなり、月曜のニューヨークタイムズでは多くのスペースがシャロン元首相について割かれている。 
 
  'In the long career, Sharon left a mixed legacy'(長い経歴の中でシャロンは一筋縄で語れないものを遺した)というタイトルの記事や1ページ全面にわたる長い追悼記事 'Ariel Sharon,85, Israeli hawk who sought own path to peace'(85歳のイスラエルのタカ派シャロンは独自に平和への道を追求した)である。 
 
  シャロン首相と言えばタカ派軍人のイメージが最も強く、政界入りしてもタカ派の印象をずっと持ち続けた人物だった。所属政党も右派のリクード党だった。ところがシャロン氏は2005年にガザから一方的に撤退し、同年11月、リクード党を退き、新たに中道政党のカディマを立ち上げた。それまでシャロン氏をこてこてのタカ派政治家と見ていた人にとっては謎めいた行動に見えたはずである。しかし、翌1月、脳卒中に倒れて政界を退いてしまうのだ。 
 
  シャロン首相がカディマを創設して約半年後の2006年3月、カディマは総選挙に勝った。長文の追悼記事を書いたイーサン・ブロナー(Ethan Bronner)氏はこの選挙で、同党の後継オルメルト氏が首相に就任したことよりも、シャロン氏が中道にシフトしたこと自体のインパクトの方が強かったと書いている。シャロン氏がリクードを退いた後、右派のリクード党を引っ張っていくのはネタニヤフ首相となった。 
 
  ジャーナリストの平田伊都子氏は軍人シャロンの敵だったPLOの故アラファト議長の伝記「ピースダイナマイト」(集英社)を書いている。当時アラファト氏の実像は日本でほとんど知られることがなかった。人によってアラファト議長に対する政治的な賛否はあろうが、実像をつづることは意義のあることであり、「ピースダイナマイト」は今日も読まれる価値がある本であると思う。当時はアラファト氏の側に立って彼の人生をつづった伝記などなかったのだから。平田氏にはリビアのカダフィ大佐の半生を描いた伝記もある。皆癖があって一筋縄ではいかないプレイヤ―たちだ。このように日本から見えにくい政治家たちの実像がこうした本を読むことで見えてくるし、中東の記事が10倍面白く読めるようになる。「ピースダイナマイト」は一度読んだら世界が違って見えてくる本であり、素晴らしいというほかない。 
 
  同じことはイスラエルの政治家についても言えるのではなかろうか。最早亡くなってしまったがシャロン元首相や、あるいは現職のネタニヤフ首相がどんな人生を送って来たのか、彼らの思想はどのように形成されていったのか、これらを人間像まで肉薄した伝記が望まれるものである。それは彼らの本音がどこにあるのかを知るためである。中東やアメリカを動かしてきた力の源泉はイスラエルと言っても過言ではないからだ。シャロン氏は何をしようとしていたのだろう。その最終目的地はどこを想定していたのだろうか。そのことを考える時、彼がその人生の最終章で中道政党カディマをなぜ立ち上げたのか、という謎が浮かび上がるのである。当時、シャロン氏の行動に単なる保身以外の意味はないと冷ややかに見る論者が多かったが、そんな軽い動機だったのだろうか。 
 
  ホロコーストの歴史とイスラエルのパレスチナ政策との関係は今日も大きなテーマになっている。シャロン元首相を敵としてみればそれは単なる「敵」でしかない。それは人間の実存を数字や記号に置き換えてしまう事である。しかし、そのように単純化すればするほど、そこからもたらされる情勢判断は政治の実像からぶれていくはずである。賛否自体よりも、中東の軍事国家イスラエルのリーダーたちはどのような思想・心情を持っているのか、それを少しでも理解する手掛かりが必要なのではなかろうか。シャロン元首相の追悼記事がいずれも一筋縄では語れない複雑さを核にしていることは興味深いことである。 
 
 
■アリエル・シャロン氏の自伝「Worrior(戦士)」 
http://books.google.co.jp/books/about/Warrior.html?id=O4xTmbgduFMC&redir_esc=y 
  ニューヨークタイムズの追悼記事もシャロン氏の若い時代の話はここから参考にしているようである。改めて検索してみると、自伝とは別に実に多くのシャロン氏の伝記が書かれていることに気がついた。 
 
■イスラエル(外務省より) 
 
  人口798万人(2012年)。面積は日本の四国程度。議会は一院制(120名)(全国1区の完全比例代表選挙制度)。議会が一院しかないのは国の防衛上、即決を要する事情が関係しているのかもしれない 
 
  「1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択。イスラエルは1948年独立を宣言。1948年,1956年,1967年,1973年と周辺アラブ諸国と4度にわたり戦争。その後,1979年にエジプトと平和条約を締結。1994年10月ヨルダンと平和条約を締結。パレスチナ解放機構(PLO)とは,1993年9月,相互承認を行い暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。その後,暫定合意に従い,西岸・ガザではパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されている。」 
 
  「1948年の独立以来,労働党を中心とする左派政権が約30年間続いたが,その後,リクードを中心とする右派政権,左派の労働党政権,および両者による大連立の政権が交代し,2005年11月に中道新党「カディマ」が結成されるまでの間,労働党とリクードの左右二大政党による勢力拮抗時代が続いた。 
 
  2006年1月にシャロン首相が脳卒中に倒れ突然政界引退。同年3月の総選挙ではオルメルト新党首率いる「カディマ」が第一党となり,5月に労働党等との間で左派・中道の連立政権を樹立。 
 
  オルメルト政権による2008年12月末からのイスラエル軍のガザ進攻後に実施された2009年2月の総選挙の結果,同年3月に「イスラエル・ベイテイヌ」等の右派・極右政党,宗教政党及び中道左派の労働党が参加する右派リクード主導のネタニヤフ政権が誕生した。」 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。