2014年02月27日13時19分掲載  無料記事
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アフリカ

【西サハラ最新情報】 お祭りすんで日が暮れて 平田伊都子

 「お祭りすんで日が暮れて冷たい風の吹く夜は、家を焼かれたおじさんとへそくり取られたおばさんの、、」という1952年に美空ひばりが歌った<お祭りマンボ>が、隠れたブームを呼んでいます。 災難にあったおじさんとおばさんは「ほんに切ない溜息ばかり」つくけど、また「ピーヒャラ、ピーヒャラ、、テンツク、テンツク、、」とお囃子に浮かれだすのです。 まるで、大震災の後始末を放ったらかしにされたまま、国を上げての振れ込み詐欺を放置されたまま、オリンピックやイベントに踊らされている私たち庶民を歌っているようですね?、、 
 
(1) パリやロンドンで派手に打ち上げると予告した西サハラのお祭り、どうなったの? 
   2014年2月下旬に、パリにスペインの役者やアメリカのNGO活動家や西サハラ占領地の平和活動家たちが一堂に会することになっていた。が、そんなお祭り騒ぎはどこへやら、、2月19日、パリからは「西サハラのパリ代表がフランス国会議員数人と秘密の会合をもった」というニュースしか入ってきていない。 
    2月25日、英国議会で西サハラ報告会をやると大宣伝していたのに、主宰者の英国議員は英国首相に手紙を送っただけという、風の噂が流れてきた。 
 
(2) 2月24日、第14回サハラ・マラソン大会が開催された。毎年、2月27日のSADR(The Saharawi Arab Democratic Republic)サハラ・アラブ民主共和国建国記念祭の前祭りとして、難民キャンプで催される。今年は主催者スペインNGOの発表で、450人が参加したそうだ。その内の300人が外国人とかで、一等賞はオーストリア人だった。 
 
(3) 2月26日、SADRサハラ・アラブ・民主共和国大統領アブデル・アジズがナイジェリアの首都アブジャに到着した。2月27日の<国際人道治安開発首脳会議>に出席。この日はナイジェリアが一つに統合されて100年目の節目に当たり、石油産油国の威信を誇示するお祭りを開催。 
ナイジェリアがイギリス植民地から独立したのは、1960年10月1日である。 
 
(4) 2月27日、第38回SADRサハラ・アラブ・民主共和国建国記念のお祭りを開催。 
1976年2月26日にスペイン植民地軍最後の一兵が西サハラ領土から撤退したのを受けた翌日、西サハラ難民は西サハラ難民キャンプで、SADR サハラ・アラブ民主共和国という名の亡命政府を創った。スペインが西サハラを放棄した現在では、モロッコが西サハラを植民地支配している。 
 
 祭りがすんだ西サハラ難民キャンプには、あいかわらず冬の砂嵐がわが物顔で吹き荒れています。 風速25メートルを超えるとテントの端に止めてある砂袋も吹き飛ばされてしまうから、テントをたたみ自分たちで作った泥小屋に避難します。 西サハラ難民亡命政府は西サハラ難民たちの不満をそらせるために、お祭りをやります。 欧米のNGO支援団体をおだててお祭りをねだります。 でも、西サハラ難民の庶民は、一日も早い国連西サハラ住民投票の実施を望んでいるのです。 毎年、2月27日の難民亡命政府記念日のお祭りに、「おめでとう」のメッセージを送っていたのですが、今年から止めます。 
基本的なことが解決されない限り、めでたいことなんて、一つもないからです。 
 
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之 2014年2月27日 
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子 


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