2014年04月30日00時41分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

冤罪被害者が語った家族への思い 〜3・25院内集会「全事件・例外なき可視化を!」より〜

 4月6日に東京・大田区総合体育館で開催されたWBC(世界ボクシング評議会)世界タイトル戦の中で、袴田巌さん(78)に贈られた名誉チャンピオンベルトを入院中の巌さんに代わって受け取り、高々と掲げる姉・秀子さん(81)の姿を見て、秀子さんはこれまでどのような日々を送ってきたのだろうと思った。 
 身内から逮捕者が出ると、残された家族は世間から冷たい目で見られるだけでなく、嫌がらせを受けることも避けられないというが、実際にどのような目に遭うのか、当事者でない限りなかなか知ることはできない。しかし3月下旬、その一端を知る機会に出会った。 
 
 静岡地裁が袴田事件の再審と巌さんの拘置停止を命じる決定を下した3月27日の2日前、東京・永田町の衆議院第2議員会館で「取調べの可視化を求める市民団体連絡会」(呼び掛け団体:アムネスティ・インターナショナル日本/監獄人権センター/日本国民救援会/ヒューマンライツ・ナウ)が開催した院内集会「全事件・例外なき可視化を!」において、布川事件や足利事件などの冤罪被害者が、それぞれの身内が被った過酷な体験を語ってくれたのである。 
 院内集会は、冤罪被害者の上田里美さん(北九州・爪ケア事件)、桜井昌司さん(布川事件)、菅家利和さん(足利事件)、津山正義さん(三鷹バス痴漢冤罪事件)ら4人や、スカイプ(インターネット電話サービス)を通じて参加した鹿児島・志布志事件の当事者6人が、自らが体験した捜査機関による過酷な取調べの実態を報告して可視化の必要性を訴えるというものであったが、集会に参加した人は、平日午後4時からの集会に足を運ぶくらいだから、多くは取調べの可視化に高い問題意識を持っている人であると思われ、それ故に集会のオチをある程度予測していたと思う。 
 ところが、参加者の1人からの「冤罪被害者の方々のご苦労もさることながら、家族の方々の苦しみはどうだったのか、お聞かせください」という質問が風向きを変えた。冤罪被害者の方々が身内に降り掛かったことを語るうち、会場内が静まり返り、やがて鼻をすする音が聞こえ始め、周りを見渡すと、多くの参加者が目に涙を溜めていたのである。筆者の胸にもまた、熱いものが込み上げてきた。 
その冤罪被害者が語ってくれた家族への思いを紹介したい。 
 
「塀の中に入っていた私の苦労というのは、自分だけのことで済みますが、家族は社会の中で非難というか、冷たい視線や声にさらされて大変だったと思うんですね。今年の3月下旬に親戚の娘が結婚するんですけど、当初は相手側の親に結婚を反対されたというんですね。『相手の親戚には桜井昌司がいるので止めなさい』と言われたと。私は、そのことを後で聞かされてびっくりしました。田舎だからというのもあるでしょうが・・・冤罪というのは、本人も大変ですが、家族や兄弟はもっと大変だっただろうなと、この頃しみじみ思っています」(桜井昌司さん) 
 
「私には男女2人の子供がいまして、逮捕された当時は、男の子が高校1年生、女の子が中学2年生という多感な思春期のころでした。私は塀の中で『いじめに遭ったらどうしよう』『不登校になったらどうしよう』『高校に進学したばかりの息子が、退学することになったらどうしよう』などと悩んでいましたが、2人とも私が思っていた以上に強い子で、真面目に登校して、部活をして・・・(涙ぐみながら)すみません。子供のことを話し始めると、ちょっとですね・・・熱くなるんですが・・・子供たちが母親である私のことを信頼してくれて、保釈されて帰宅したときも普通に接してくれて『お母さん、おかえり』って言ってくれました。ただ、どんな言葉だったのかは分かりませんが、息子が友達からたまに心無い言葉をもらっていたということを、担任の先生や塾の先生から後で聞かされました。しかし、子供たちは、苦しかったことを私に言わず、私を心から支えてくれて・・・。私も悔しかったのですが、それ以上に子供たちが苦しんだと思います」(上田里美さん) 
 
「塀の中にいたときはよく分かりませんでしたが、兄の家に向けて『お前の弟は犯罪者だ』などと言いながら石を投げる者がいたそうです。私には『自分はやっていない』という信念がありましたから、後でその話を聞かされたとき、余計にむかつきました。両親は、私がまだ塀の中にいたときに亡くなりました。お袋は、私が出所する2年前に92歳で亡くなりました。お袋が亡くなったことを面会に来た支援者から聞かされたとき、悔しかったし、警察・検察・裁判所に対しては『何をやっているんだ』と、とてもむかつきました。今でも許せません。私を取り調べた警察官、検察官は絶対に許せません。一生許さない。今はそういう気持でいます」(菅家利和さん) 
 
「私は、やっていないことを示すために精一杯闘っています。そのことだけに集中して今も生きています。しかし、私の両親であったり、私の妻であったり、私の周りにいる人間は、自分のことではないんですね。その人たちの方が、辛い気持ちや自分の努力ではどうにもならない大きなものを抱えながら生きているのではないかと思います。非常に明るかった父が、昨年5月に出た判決を聞いた後の報告集会で何も喋れなかったんですね。会場からの『頑張れ』という励ましの声に『おう』としか答えられなかったんです。私が勤め出してからすぐに脳梗塞で倒れた母は、2ヶ月ほど集中治療室に入りました。半年のリハビリを経て退院したとき、半身麻痺の状態でした。家から15分の距離を移動するのも非常に辛いと言っていたその母が、アトピーを患っている私のために、私が留置されていた三鷹警察署まで家から片道2時間かけてアトピーの薬を届けてくれました。私はその日、取調べのため検察庁に移動していましたので、母とは会うことができなかったのですが、三鷹警察署の留置場に戻った後に、警察から『お母さんが持ってきてくれたよ』と言ってアトピーの薬を渡されたとき、体の不自由な母がどういう思いで持ってきてくれたのだろうと思って、時間にすると5分くらいでしょうが、薬を抱えたまま動けませんでした。母は、5月の判決を聞いたときには何も答えられませんでした。論理的に破綻している第一審の判決を聞いて、この裁判官の下では絶対に勝てなかったと思いますが、報告集会での両親の姿を見て、なんとしても勝ちたかったと思いました。今日、写真撮影をご遠慮させていただいたのは、私や妻はこの事件を受け止めて闘うことができますが、これから2人の間に生まれてくる子供のことを思ってのことです。このように、本当に多くの負担を私の周りの人に掛けています。それを僕が取り除くことができないのが本当に悔しくてたまりません」(津山正義さん) 
 
 法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」の捜査機関そして裁判所を代表する委員たちに是非聞かせたい話であった。 
 取調べの可視化(録音・録画)をめぐっては、可視化の拡大や供述調書に過度に依存する捜査・公判の在り方を抜本的に見直すべく議論を進めてきた特別部会が、近く刑事司法改革の最終案を取りまとめる予定だ。 
 この間、可視化の範囲をできるだけ狭めたい捜査機関側の委員と、周防正行さん(映画監督)や大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件の冤罪被害者・村木厚子さん(厚生労働事務次官)ら、原則として全事件・全過程の可視化を求める委員との間で鍔迫り合いが行われてきたわけだが、捜査機関そして裁判所を代表する委員には、冤罪被害者の周囲にいる人たちにまで思いを馳せ、再び冤罪を生み出さないためにはどうするべきかを真摯に考えてほしい。(坂本正義) 


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