2014年04月30日13時06分掲載  無料記事
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アフリカ

【西サハラ最新情報】東京の西サハラ 平田伊都子

 2014年4月25日午前7時48分、オバマ・アメリカ大統領出発で厳戒態勢の羽田空港にムロウド西サハラ・アジア担当大臣が到着しました。 乗継のロンドン・ヒースロー空港から「空港内の荷物検査場が大混雑していて、もしかすると東京行きの便に乗れないかもしれない、、その時はゴメン。でもおれのせいじゃないよ」と、ムロウド大臣から前夜に緊急メールが入っていました。 無事到着を信じてSJJAのかつみと筆者は、午前6時30分から羽田空港到着ロビーで待機していたのです。 ムロウド大臣が出口から出てきた時、思わず走っていって抱きつきました! 
 
(1) 2014年4月25日、一年ぶりでムロウド西サハラ難民政府アジア担当大臣が羽田に降りたった。羽田から都心に向かう道路は厳しく規制されていたので、モノレール、JR,地下鉄と公共交通機関を使い、通勤ラッシュに揉まれながら第二衆議院議員会館へ向かう。旧知の笠井亮衆議院議員と再会を喜び、11時に隣の参議院議員会館に飛び込み、江田五月参議院議員の事務所で<西サハラ問題を考える会>の打ち合わせをする。12時、鳩山由紀夫元内閣総理大臣を迎えて会が始まった。鳩山由紀夫内閣総理大臣は<友愛>の精神に基づいて<西サハラ民族自決権>を支持している。途中参加した福島瑞穂参議員議員は<西サハラ民族の独立運動>を支持している。江田五月参議員議員は<日本西サハラ友好議員連盟>の初代会長だった。 
 
(2) 「モロッコがパニクってるよ!」と、西サハラ難民キャンプの親友モハンマドが連絡してきたのは、4月26日の早朝で現地時間では4月25日の真夜中だった。「モロッコはムロウド大臣が東京で活動するのを妨害するつもりらしい。誘拐に気をつけろ!!」と、モハンマドのほうがパニクっていた。モロッコさん残念でした。ムロウド大臣は4月25日の午後3時、既に、羽田から韓国へ飛び立っていたのだ。 
 
(3) 国連安保理で西サハラ決議が可決され、2014年4月29日に2152国連安保理決議 
が公表された。内容は2013年4月25日に出された2099国連安保理決議と同じだ。国連安保理はMINURSOの任期を後1年、2015年4月30日まで認めるとしている。MINURSOとは国連西サハラ住民投票監視団のことで、MINURSOが派遣する約250人のPKO隊員が、モロッコ占領地・西サハラと西サハラ民族が解放した西サハラに点在している。が、住民投票の作業は全く行われていない。国連安保理は国連事務総長とクリストファー・ロス国連事務総長西サハラ個人特使を全面的に支持し、国連加盟国に協力を促している。 
 
(4) 2152国連安保理決議に対してモロッコは、公式表明を出していない。モロッコは国連が西サハラ紛争から手を引くように、国連ロビー活動を活発化させ、発展途上国に対して買収活動を続けてきた。が、2014年も国連安保理から<国連西サハラ撤退>の決議を引き出せなかった。国連安保理は後一年、国連とロス国連特使の活動を保証した。後一年、モロッコはロス国連特使の妨害を続ける積もりなのだろうか?後一年、モロッコは国連主催の平和交渉を拒否し続ける積もりなのだろうか? 一方の西サハラは、国連が西サハラ民族自決権を支持したことやモロッコ占領地・西サハラでの西サハラ住民の人権侵害に言及していることを歓迎し、国連と国連特使への全面的協力を約束した。 
 
 2014年4月29日、国連西サハラ年度が始まりました。 1991年4月29日に国連安保理は<国連西サハラ住民投票>を提案したのに、23年経った今も<国連西サハラ住民投票>の約束を果たしていません。 住民投票を拒絶するモロッコは、<国連主催のモロッコ・西サハラ直接交渉>の席に着くことも拒否したままです。 西サハラ平和交渉に向け、一年の猶予を与えられたクリストファー・ロス国連事務総長西サハラ個人特使も、いよいよ正念場に立たされました。 
 
 東京で開かれた「西サハラの会」が西サハラ紛争解決の再出発点になりそうです。 
 
 
文:平田伊都子 ジャーナリスト、 写真: 川名生十 カメラマン 


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