2014年05月25日11時17分掲載  無料記事
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ギュンター・グラス作「ブリキの太鼓」 〜戦争に向かうドイツの田舎町を描いた奇想天外な名作〜

  最初の本格的なドイツ戦後文学と言われたのがギュンター・グラスの小説「ブリキの太鼓」である。出版されたのは1959年。敗戦から14年も後のことだ。「ブリキの太鼓」以前にも小説はいくつも出版されていた。それなのに「ブリキの太鼓」をして初めてのドイツの戦後小説が出たと人々に言わしめたものは何だったのだろうか。 
 
  「ブリキの太鼓」の特徴はオスカルという名前の特異な主人公を設定したことにある。オスカルは大人になっても、体は子供のままで、ブリキの太鼓を握っているのである。 
 
  「ぼくは太鼓を握ってはなさず、そして3歳に誕生日よりほんの1ミリも大きくならず、三歳児のままにとどまった。だが三倍賢明で、ふと仰ぐ大人たちより抜きんでていたし、自分の影を大人の影で計ろうとはせず、あの者たちが老いぼれになるまで成長にとらわれているに対し、こちらは心身ともに完璧、彼らが痛い目にあいながら体験したことをたしかめるだけ。年ごとに大きな靴や大きなズボンを身につけ、成長中を証明する必要などさらさらなかった。」 
 
  このオスカル少年は発声で窓ガラスを割るなどの超能力も持っている。こうして特異なキャラクターの少年を設定したことで、あのナチス時代の実像を重苦しくならずに、重力から自由になって描くことができたのだろう。つまり、ドイツ人は戦後、戦争に対する責任の念によって、自由に想像力を羽ばたかせることが難しくなっていた。その精神の強張りにメスを入れたのがグラスだったのだ。成長することを拒んだ少年を生み出したことで、彼は自分自身の過去からも自由になり、あとから見れば異常な時代を描くことができるようになったわけである。 
 
  グラス自身もまた、ナチス時代はヒトラーユーゲントのメンバーであり、武装親衛隊にも所属していた。当時、成長しようとするドイツの少年たちにとってナチス入党を「成長の証」と見る人も少なくなかったに違いない。だからこそ、戦後10数年を経て、そうならなかった人間の眼をグラスは創造したのである。しかし、その人間は3歳児の肉体のまま変化しない少年である。主人公自体の中に悲劇性、歪みがあるのだ。それはドイツの群衆が熱狂的にヒトラーに敬礼している記録映像を見ればわかる。あれを拒否しようと思うと犠牲を伴っただろう。 
 
  グラスは戦争中に米軍の捕虜となって敗戦を迎えた。まだ少年兵だった。その後、彼は美術学校に通い、ナチス時代に迫害されていた表現主義の美術に出会うことになる。内面の真実を描こうとした表現主義は戦後、解禁となっていた。かつて弾圧されていた芸術家たちも生きのびていたものたちは復権していた。そんな中、グラスは版画や彫刻に取り組むことで、自由な眼をつかみ、もう一度人生をやり直そうとした。 
 
  戦争に向かう時代をグラスはドイツの田舎町を舞台に描いている。それはダンツィヒというバルト海に面した寒々しい港町である。この町にもナチス時代が到来し、何やら華々しい勢いが生まれる。ナチスについていくと景気がよいらしい。そうした空気が田舎町の庶民のデテールとして面白おかしく、半ば冗談交じりのように少年の眼を通して描かれていく。 
 
  いつの時代でもそうだろうが、その時代の真っただ中にいると自分が見えないものだ。10年後、20年後に振り返るとあのとき間違ったということが明瞭にわかる。しかし、その時は空気にのまれているものだ。だからこそ、成長を自らの意思で止めた、奇形の少年の眼差しが貴重なのである。その時代の呪縛から逃れ、自由であるために。 
 
 
■ギュンター・グラス作「ブリキの太鼓」(Die Blechtrommel) 
河出書房新社 池内紀訳 〜世界文学全集 供舛茲蝓
 
■追悼 岩淵達治氏 (演出家・ドイツ文学者) 
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