2014年07月22日06時24分掲載  無料記事
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イスラエル/パレスチナ

アイナ・アッバス? (アラビア語で)アッバスはどこに?

 パレスチナ大統領アッバスは何をしているんでしょう? 
 パレスチナ大統領アッバスはどこにいるんでしょう? 
 パレスチナ大統領アッバスはどうしてガザの住民を助けに行かないのでしょう? 
 パレスチナ大統領アッバスはテロリスト・イスラエルの共犯者ですか? 
 
*むかつくイスラエルの虐殺 
 
 2014年7月21日、ガザ保健省が、「イスラエルのガザ侵攻で、540人のパレスチナ人が殺され3640人が重傷を負わされた。大部分が、子供を多数含むガザの一般市民だ。病院はパンク状態だ!」と、SOSを発信した。この瞬間にも死者は増え続けている。 
 同日のNHK発表によると、「イスラエル軍は19日夜、ガザ地区での地上作戦を拡大、20日にかけて、、ガザの東部の町に集中攻撃。この攻撃で市民を含む60人余りが死亡し、空爆が始まってからの死者は415人、、8万1000人(ガザ市民)が避難。イスラエル軍は14人死亡」とある。 
 同日のイスラエル紙ハーレツは、「土曜日(7月19日)から日曜日(7月20日)にかけての戦闘で、13人のイスラエル兵が死んだ。地上戦突入後から18人のイスラエル兵が死んだ。一方、地上戦突入後のパレスチナ側死者は130人以上で、14日前の軍事作戦後からでは350人に上る。うち、76人は子供で、36人は女性だ。日曜日(7月20日)の記者会見でイスラエル首相ネタニアフはガザ侵攻の継続を宣言し、遺族には命を捧げた愛する兵たちへの報復戦争だと説明した」と、発表した。 
 しかし、ガザは先祖代々ガザに住むパレスチナ人のものだ。 
戦車と戦闘機でガザに侵略し、ガザを破壊しガザの住民を殺しまくる、イスラエルこそ虐殺を始めた、紛れもない侵略者で、国家テロだ。それが、自分たちがしかけた戦闘で味方の兵が少々殺されたからといって、仇討とは言語道断の居直り人殺しだ。被害者のガザの住民をテロリスト呼ばわりして、虐殺し続ける。何という恐ろしい国なのか!テロリストとはイスラエル、お前では?! 
 
*イスラエル紙ハーレツ 
 
 イスラエル紙ハーレツの2014年7月20日発最新情報を紹介する。その巧妙な戦意を煽る宣伝作戦に注目してみよう。第二次大戦直前に出された国家総動員法とか1940年にできた大政翼賛会を彷彿とさせる。 
 午後11:23(7/19)ハマス軍事部門がガザ戦闘中にシオニスト・イスラエル兵を一人捕獲したと、ハマスTVのアブ・ウバイダが報道。 
 午後11:54(7/19)イスラエル国防軍が木曜日に殺されたゴラン軍団の5勇士の名を発表。 
 午前00:02(7/20)3個のロケット弾がスデロト上空で粉砕、被害なし 
 午前00:41(7/20)国連がガザ状況に関して緊急会議を招集(ロイター発) 
 午前00:57(7/20)キリヤト・ガト、アシュケロン、ブネイ・シモン地方、ビール・シェバ地方に警戒サイレン。 
 午前01:28(7/20)「ジョン・ケリー米国務長官が月曜早朝にワシントンを離れ、カイロ経由でエルサレムへ停戦仲介に向かう」と、ジェン報道官が発表。 
 午前01:30(7/20)パレスチナ大統領モハマド・アッバスが数時間後にハマス政治部ハリド・メシャルと会う予定と、ドーハに拠点を置くハマス外交部門のオサマが公表。 
 午前02:27(7/20)スデロトとシャアル・ハネゲヴ地方に警戒サイレン。 
 午前03:36(7/20)国連安保理がニューヨークでガザ紛争に関する会議を開始。 
 午前03:38、(7/20)スデロトに警戒サイレン 
 
*むかつくアラブ社会 
 
 アメリカも国連もヨーロッパも、「ガザのハマス(イスラム抵抗運動)がテロリストだからテロ撲滅だ」という一言を免罪符にして、イスラエルの残虐な大量殺害に見て見ぬ振りを決め込んでいる。「イスラエルのガザ攻撃、ハンタ〜イ!」とか、一応リップサービスはするものの、本気でイスラエルの犯罪を止めようとしない。 
 デマ捏造に始まって、欧米・イスラエル連合のアラブ民族とアラブ国家を抹消するやりかたは、イラク戦争で体験したし、アラブの春でもはめられたし、シリア戦争では目下体験中だ。アラブ社会は勉強したはず、、いや、客観的に見て、アラブ社会は不勉強だと言わざるをえないのでは、、軍事面でも学習面でも精神面でも、アラブはイスラエルに負けている。 
 
 7月20日、アラビ・アラブ連盟事務局長はイスラエル軍のガザ攻撃を戦争犯罪だと非難する声明を出した。それなら、さっさと国際刑事裁判所ICCに告訴すべきだ。アラブからはチュニジアとヨルダンがICCに加盟しているのだから、告訴できるはずだ。 
「アイナ・アラブ?(アラビア語で、アラブはどこに?)」これは、第一次インティファーダを戦っていたパレスチナ人の間で、流行っていた歌だ。 今、再び流行らせてたい。 
 
*むかつくアッバス 
 
 「私は紛れもないアラファトの後継者だ」という宣伝文句でアッバスは自分を売り込み、アラファトの地位を取った。 
しかし、アラファトならガザを見捨てない。ガザの子供たちがイスラエル軍に殺されるのを、血まみれになって病院に運び込まれるのを、絶対に許さない。イスラエル軍戦車の前に立ちはだかっていたはずだ。 
 アラファトの義父がガザ出身だからではない。アラファトはパレスチナの子供みんなの 
お父さんだった。殉死した兵士たちの遺児を引き取って、面倒をみていた。 
 ちなみに、筆者にアラファトは、1929年エルサレムで生まれたと言っていた。が、エジプト内務省の登記録では1929年エジプト生まれとなっていたり、1926年ガザ生まれという説もある。 
 1994年7月12日、アラファトがパレスチナ帰還をイスラエルから許された地も、ガザだった。その一週間後に筆者はガザのアラファトを訪ねた。アラファトに1994年9月30日出版の「ピースダイナマイト・アラファト伝」へのメッセージを貰うためだった。 
 
 モハマド・アッバースは1935年パレスチナのサファド(現在のイスラエル・ツファット)に生まれ、難民となってヨルダンに移住し、アラファトが創設したファタハに入り、その後もアラファトが指導するパレスチナ解放機構PLOに参加する。アメリカやイスラエルと連絡を取りつつ、PLOが対イスラエル強硬路線を放棄するよう画策した。2000年から 
 第二次インティファーダが始まり、インティファーダを支援するガザのハマスやアラファトと対立する。その一方で、イスラエルとアメリカの支援を得て、アッバスはハマスにテロ組織のレッテルを貼った。2004年11月11日、アラファトが死去するとアラファトにとって代わって、PLO議長の席につき、2005年にはパレスチナ大統領になる。アラファト毒殺説が今も燻っていて、アッバスの嫌疑もまだ晴れていない。 
 
 アッバスは、ガザ住民虐殺に関して形だけのイスラエル非難声明を出した。それだけ?パレスチナ大統領がやれることは?? 
 
 
 2014年7月15日、断食月真っ最中のトルコで、エルドアン首相は公正発展党AKP議員を前にした演説で、パレスチナ自治区ガザ攻撃を拡大するイスラエルについて「国家テロを犯している。ヒトラーを昼夜非難する者が、野蛮さでヒトラーを超えた」と激しく批判しました。その通りです! 
 月がどんどん欠けてきました。この三日月が消えたら断食月が終わります。断食明けの祭イード・アル・フィトルは、イスラム教徒が大半を占めるアラブ社会で一番大きなお祭りになります。 
イスラエルテロの犠牲になった人々の御霊がひしめいているガザを見殺しにして、、アラブ社会はどんなお祝いをするのでしょうね? 
 
 
文:平田伊都子 ジャーナリスト、 写真:川名生十 カメラマン 


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