2014年08月21日18時20分掲載  無料記事
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アフリカ

西サハラへの道のり 西サハラ軍がコンボイ

  2011年の12月、西サハラではモロッコに迫害された亡命政権がアルジェリアの難民キャンプから、あえて西サハラ領内に帰還して国会を開いた。4年に一度の国会と大統領選挙の機会であり、海外から多くの報道記者も同行することになった。 
 
  折しもイスラム原理主義勢力が出没して、スペイン人などのNGO関係者を誘拐する事件が起きており、取材陣も危険を覚悟する必要があった。とはいえ、実際に出かけてみると、西サハラ亡命政権は海外から集まってきた報道陣の安全を守るために、最大限の努力と態勢を作ってくれていたことに思いいたるのだ。 
 
  アルジェリア南部の砂漠地帯チンドゥーフから、8時間以上費やしてサハラ砂漠を縦断して西サハラ東部の「解放区」に向う。そこはモロッコが作った「砂の壁」の外側にあり、砂ばかりの大地であり、とても人が住み暮らせる土地ではない。そこは解放区になっていて、西サハラの亡命政権の軍が拠点を持っているのである。そして、「砂の壁」の周辺には夥しい地雷が敷設されている。前を走る車の後ろには砂埃が尾を引く。 
 
  車の数にして記憶では70台以上がチンドゥーフから砂漠を西サハラに向うのだが(すべてトヨタのランドクルーザーだった)、西サハラ軍の車両が十数台、先頭から末尾、そして途中まで常に寄り添い、無線で連絡を取りながら1台の車も見失わない努力をしてくれていた。ランドクルーザー全車両に大きくナンバーがふってあるのだ。兵士たちはもちろん武装している。イスラム原理主義勢力が襲ってきたら、即座に交戦できる態勢である。報道陣は車の中で凸凹を通過するたびに天井に頭をぶつけ頭痛に悲鳴をあげながらも心は平穏でいられた。 
 
  もちろん、それでも絶対に安全ということはないだろう。しかし、報道陣には彼らがいかに報道陣を大切にしていて、そのための汗と努力を払ってくれているかが強く感じられた。亡命政権が通常の警備以外でさける人員をすべて投入したのだと思う。その配慮が嬉しい。そして、西サハラの拠点においても夜通し兵士たちが周辺を警備していたことを思い出すのである。彼らもまたイスラム教徒である。彼らは客人に朝昼夜とお茶を出し、食事を出し、精一杯歓待してくれた。 


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