2014年11月21日00時13分掲載  無料記事
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コラム

ソ連と自民党

  時は1987年。ソ連崩壊の4年前のこと。筆者の所属する大学の刑法ゼミにソ連から訪れた検事が参加したことがあった。40代くらいの中堅の男で、ゼミの教授が刑法以外にソ連・ポーランド法の専門家でもあったからである。 
 
  1985年にゴルバチョフ氏が書記長になり、ソ連ではペレストロイカと呼ばれる改革が始まっていた。グラスノスチ(情報公開)とともにソ連はゴルバチョフ書記長とシェワルナゼ外相によって、急速に西側諸国との歩み寄りを始めていた。 
 
  そんな最中に来日した検事が語った言葉で忘れられないものがある。それは「ソルジェニーツィンは社会主義の敵だ。今でも認めることはできない」という言葉だった。ソルジェニーツィンは「イワン・デニーソヴィッチの1日」など、ラーゲリと呼ばれる思想犯を収容する強制収容所の生活をリアルに描いた作家である。 
 
  驚いたのはあの劇的な改革の中にあっても、ソ連の検事の感覚には「社会主義の敵」という概念があり、国家が文学や思想のあり方を決めるものだという信念があったことである。当然、その感覚の中には一党独裁が基盤であり、多様な人びとの意見を吸い上げた多様な政党が国会で議論をぶつけて政策を決めていく姿勢はなかったに違いない。社会主義を守る、という目的の為に文学や芸術にまで国家権力が介入し、絶望した人々の中には亡命者が絶えなかった。 
 
  あれから27年。筆者には第二次安倍政権の2年間の歩みに、ソ連の思想統制が重なって見えてしまう。首相がメディアに執拗に介入し、国家が情報を統制しようとする傾向である。社会主義と新自由主義という違いはあれ、思想を統制し、情報を政権と官僚で独占しようとする方針は同じに見える。 


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