2015年01月11日09時31分掲載  無料記事
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コラム

パリの漫画家批判で浮き彫りとなった日本人の古層

  パリで襲撃された漫画家たちを非難する声が日本で次々とのろしのように上がっている。表現の自由の行き過ぎだ、というのがその理由のようだ。そこでフランスの風刺文学を俯瞰してみたい。 
 
  漫画家たちのルーツを遡ればルネサンス期に発展した人文主義に行きつく。フランスの人文主義=ユマニズムの伝統の1つが教会権力との戦いだった。教会は超越的な権力を持ち、人間の上に君臨し、科学を軽視し、人々を一方的に裁いていた。だから、人文主義者=ユマニストたちは人間中心主義の観点に立って、絶対的な教会権力と戦っていた。とはいえ、個人で戦える相手でもなかったから、たとえばエラスムスは(出身はオランダだが)「痴愚神礼讃」や「平和の訴え」を、ラブレーは「ガルガンチュア」や「パンタグリュエル」といった風刺文学を書いた。現代フランスの風刺漫画家たちもその系譜にある。 
 
  太平洋戦争の時代、日本では思想統制が徹底していたため、反戦文学などは書かれる余地もなかった。だから、仏文学者の渡辺一夫のような人はラブレーを孤独に読んでいた。 
 
  今回襲撃されたパリの漫画家たちが敵にしていたのはキリスト教徒でも、イスラム教徒でも、ユダヤ教徒でもなく、その上に君臨して、人々に戦争をけしかける宗教原理主義の勢力だったのだと思う。そこが最も誤解されているところだ。自爆テロを行った者は天国に行ける。宗教原理主義者はそう説いて若者たちを自爆テロに誘導している。日本でも太平洋戦争の時代、特攻が賛美された。いつの世でも、この世における命よりも美しい世界があると宗教指導者たちは純真な若者たちに説いて戦場に送り込んできた。 
 
  宗教こそ戦争を招いている、というのが多くのフランス人の共通理解としてあるのだと思う。そのことがわからないと、フランス全土で、そして世界各地で人々が「私はCharlieだ」と連帯を表明する動機は理解できないだろう。 
 
 
■【パリの散歩道】(2) MOMO(画家)  村上良太 
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