2015年02月02日16時22分掲載  無料記事
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コラム

フランスとイスラムと右翼 鍵となるアルジェリア独立戦争

  フランス国内が愛国主義で染まった、という報道もあるが、そこには単純化もある。Charlie Hebdoを追悼し、デモに並んだ人の中には愛国主義者も少なくなかったと思われる。370万人のデモはフランス史上最大規模だった。 
 
  しかし、フランス人の非ムスリムの中にはイスラム教徒との平和な共生を望み、中東での戦争に加担するのを批判している人も多い。フランスの中には確かにイスラム教への不安とか、嫌悪もあるだろうが、一方で戦争や差別に抵抗しようと言う人も多い。あのCharlie Hebdoに寄稿していたため殺された漫画家のCabuはイスラム排斥を主張してきた極右政党を長年、徹底的に風刺してきた人だった。日本の中にそのような漫画家はおそらく1人もいない。 
 
  フランスとイスラム世界との歴史を振り返ると1つの大きな出来事がある。それはアルジェリアの独立戦争(1954―1962)だ。この時、フランスではアルジェリアの独立を阻止しようとした右派勢力と、独立を支持する左派勢力とに割れた。最終的にドゴール大統領が独立を承認することで決着がついたが、その後、アルジェリアから引き揚げた人々はピエ・ノワール(黒い脚)と呼ばれ、南仏などに移住し、その後数々の右翼政党を立ち上げ、イスラム排斥運動を繰り広げていく。それら右派政党の離合集散の中から、台頭してきたのがジャン=マリー・ルペンが率いる国民戦線だった。 
 
  アルジェリア独立戦争の最中、パリでは警察官僚のボスであったモーリス・パポンの指令下で多くのアルジェリア独立闘争の活動家が殺され、アルジェリア人ばかりでなく、フランス人もまた殺されている。モーリス・パポンは第二次大戦中のナチス占領下に於いてはユダヤ人のアウシュビッツへの移送を担当した官僚だった。つまり、有能な官僚がユダヤ人排斥も、イスラム教徒排斥も行っていたのである。 
 
  あるパリの地下鉄の駅で偶然、アルジェリア独立を支持していて官憲に殺されたフランス人たちの碑を見たことがある。こうした人たちがいたことを忘れてはならないと思う。イラク戦争の最中にアメリカ人たちが皆、ブッシュ政権の支持者であるかのように十派ひとからげにアメリカ人を否定する言説があふれたが、それもまた誤りだった。それは日本人すべてが安倍政権の支持者ではないということと同じだと思う。 
 
 
村上良太 
 
 
  以下は過去の記事から。 
 
 
■忘れないための闘い 〜石に刻む・金属に刻む〜 
 
  地下鉄のある駅で他人と待ち合わせをしたとき、構内の壁に金属プレートが埋めこまれているのを見た。何かと思って近寄ってみたらこんな文章。 
 
  「この場所で 
 
  1962年2月、アルジェリアの平和を求めるデモが行われ 
 
   共産党とC.G.T.(労組)に所属する9人の労働者の男女が、 
 
   一番若い人は16歳だったが、 
 
   政府の弾圧によって殺された。 
 
   ジャン=ピエール・ベルナール 
   ファニー・デュプル 
   ダニエル・フリ 
   アン=クロード・ゴドー 
   エドワール・ルマルシャン 
   スザンヌ・マルトレル 
   イポリット・ピナ 
   モーリス・ポシャール 
   レイモン・ウィンジャン 
 
   CGT(労組)     PCF(共産党)」 
 
  アルジェリア独立戦争の末期、地下鉄構内のこの場所で平和を求めるデモに参加した9人の労働者男女が官憲によって殺されたことを記した金属プレートだった。恐らく個々人は特に有名な人と言うわけではなかったろう。しかし、その名前は実際に存在した人のことを想起させる。見たことも会ったこともない他人の名前でも、この場所に立ってこれを見る後世の人に何かを訴えかけるのである。それが金属板に刻む、という行動である。 
 
  アルジェリア独立戦争は1954年から1962年にかけて行われた。「アルジェの戦い」というすさまじい映画をご覧になった方もおられるだろう。フランスはナチスと戦うレジスタンス運動のイメージが強いが、片や植民地支配を行っていた。レジスタンスの英雄が一方でアルジェリアの抑圧者になっている現実があった。 
 
  またロベール・ブレッソンの名作に「抵抗」という映画がある。ナチ支配下で監獄に入れられているフランス人のレジスタンス闘士が檻の中で一本のスプーンを磨いて磨いて、それで鍵をこじ開けて脱獄に成功する映画である。映画は感動的だったが、この話は実話に基づいていて、そのレジスタンス闘士は後にアルジェリアのレジスタンス闘士を拷問していたという話を読んだことがある。 
 
  ウィキペディアによればアルジェリアが独立した後、フランス政府は過去の汚点を忘却しさろうとしていたようだ。ウィキペディアには以下の文章がある。 
 
  「フランス政府は忘却政策を行いアルジェリア戦争に関する報道を規制して過去の汚点として忘れ去ろうとした。 しかし、1990年代に入ると記憶の義務運動が起こり、アルジェリア戦争の記録がマスメディアで報道されるようになった。 拷問やテロなど非人道的な問題が頻繁に取り上げられ、これにピエ・ノワール(アルジェリアからの引揚者達)による抗議活動が活発化した。 2005年2月には「フランスの植民地支配を肯定する法律」を成立させアルジェリアの支配を正当化しようとしたが、猛反発を招き一年後には廃止されている。」(ウィキペディア) 
 
  フランス国内においてもアルジェリア独立戦争にまつわる激しい闘争が行われ、死者も多数出ている。ノワール小説の作家ディディエ・デナンクスの小説に「記憶のための殺人」(Meurtres pour m�・moire,1984)という傑作がある。この小説はパリで多くのアルジェリア人や独立闘争を支援する労働者が官憲によって虐殺された現実の事件に基づいているとされる。その背後にはモーリス・パポンという名前の有名な警察官僚が存在していた。彼はナチス支配下の第二次大戦中はユダヤ人を強制収容所に移送する任務を効率的にこなす「優秀な」官僚だったのである。パポンは戦争末期にうまくド・ゴール将軍に取り入り、レジスタンス派に鞍替えして責任を問われることなく生き延びた。それが不幸にして、アルジェリア独立戦争の際に、こうしたアルジェリア人やフランス市民の虐殺をひき起こしたとされる。ディディエ・デナンクスは推理小説のスタイルで歴史の闇に迫る名作をいくつも書いている。 
 
  為政者は常に都合の悪い過去を抹消しようとする。だから、それに抗する者は記憶を保つための戦いを強いられる。忘れないための努力が問われてくる。石に刻む、金属に彫るというのも1つの方法である。 


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