2015年02月28日01時46分掲載  無料記事
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市民活動

若者を運動に振り向かせるには 〜新外交イニシアティブ(ND)巖谷陽次郎事務局次長インタビュー〜

 取材で様々な運動体関係者とお会いしていると「運動を継続していくためにも有能な若者を確保したい」「我々の運動にもっと若者を参加させていかなければ」といった声をよく聞くようになった。運動のジャンルにもよると思うが、平和運動や労働運動の集会等に行くと、今や70歳近くなった団塊の世代を中心にご年配の方々が会場の多くを占め、20代や30代の若者は少ない光景をよく目にするので、運動の継続を考えると後継者の養成は確かに大きな課題だ。 
 
 3・11の東日本大震災を起因とする福島第一原発事故が発生してからは、例えば各種運動体のメッカとなった感のある首相官邸前に行くと若者の姿が増えたようにも見え、変化が生まれつつあるのかとも思うのだが、昨年12月の衆院選の投票率を年代別に見ると、若者の投票率が低い状況は続いており、政治に無関心な若者が圧倒的に多い状況に変化は無い。このことは、若者を市民運動に振り向かせることの難しさを物語っているとも言えよう。 
 
 ところが、筆者が何度か紹介した民間シンクタンク「新外交イニシアティブ」(ND/New Diplomacy Initiative)では、ND理事5人(ジャーナリストの鳥越俊太郎氏、東京大学教授の藤原帰一氏、法政大学教授の山口次郎氏、ジョージ・ワシントン大学教授のマイク・モチヅキ氏、元防衛庁官房長の柳澤協二氏)は別として、ND事務局メンバーやNDの活動に参加するスタッフ・ボランティアの方々は20〜30代の若者が多く占め、NDが国会内で開催した集会に出席した国会議員からも「NDの人たちの若さに驚く」との声が出るほどだ。 
 NDの活動になぜ若者が集うのか、その秘訣を探ろうと、20代の若さで事務局次長を務める巖谷陽次郎さんにお会いし、NDに集う若者を代表してNDの魅力などを語ってもらった。 
 
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−−最初に巖谷さんのプロフィールを教えてください。 
 
(巖谷)大学時代に政治学を専攻していまして、民主主義のあり方などを学ぶうちに、最小の共同体とされる「家族」という存在の大切さを見つめ直すようになりました。そんなときに、日本で父親たちが家事・育児をし易くなるような社会作りを目指して活動するNPO法人ファザーリング・ジャパン(FJ)という団体に出会い、学業の傍ら、FJで4年間活動してFJ学生組織の代表も務めました。 
 この活動と大学での勉強を並行し、家族という社会単位を通して日本社会を見て気付いたことは、共同体の構成員である個々人の自立よりも共同体の継続が優先されがちで、共同体から離れても生活できるような個人の自立は重視されないということです。 
 共同体を安定的に、あるいは効率的に維持するためには、家事・育児や生活のための収入を得るといった基本的な役割を分担することは有効かもしれません。しかし、役割を担った者に任せたきり、その役割を自らの問題としては考えず、共同体に依存し続けるという態度が日本社会では多く見られます。この態度は共同体の規模が大きくなるほど顕著で、地域や地方、国家などで行われる意思決定を一人一人が自らの問題として引き付け、考え、行動することが前提となる民主主義が、日本社会には浸透していないという実態に改めて問題意識を持ちました。 
 
−−どうしてNDという外交問題を扱う市民運動に活動の場を移したのですか? 
 
(巖谷)大学3年生のときに1年間、オーストリアに留学しました。2011年2月からウィーン大学に通い始めたのですが、それから間もなく東日本大震災が起こりました。オーストリアのメディアは、ソ連時代に起こったチェルノブイリ原発事故により大きな被害を受けたからだと思いますが、福島第一原発事故に対して非常に関心が高く、どのメディアも連日トップニュース扱いで報道していました。その報じ方や、友達から心配されたり、あるいは街中で見知らぬ人に突然文句を言われたことを考えると、日本よりもオーストリアの人々の方が福島第一原発事故をより深刻に受け止めていたように思います。 
 東日本大震災発生から1年が経った頃に留学を終えて帰国し、日本の大学に復学するとともにFJの活動も再開しました。日本では未曽有の大震災からの復旧が始まったばかりで、福島第一原発は今日まで続いている原子力緊急事態宣言の発令下にありましたが、当時の野田首相は冷温停止状態の達成を宣言したり、消費増税やTPP(環太平洋経済連携協定)の議論も始めたりして、日本の政治の在り方に疑念を募らせていました。 
 留学前までは家族という最小の共同体や地域コミュニティの問題を解決していくことで日本社会を良くしていきたいという、いわばボトムアップ型での社会変革を志向していた訳ですが、帰国後は、国レベルの政治課題もなおざりにせず、できる限り関わっていこうという意識に変わっていったのです。 
 そうした中、帰国して数か月後の大学4年の夏に市民参加のディベート企画があり、私も一市民として参加しました。その場に、同企画の運営メンバーであった田場暁生弁護士がいらっしゃり、私の主張に何か感じるところがあったのか、ND(という名前はまだなかったので、そのようなシンクタンク)の立ち上げに参加しないかと誘ってくださったのです。 
 その秋のND発足準備の初会合までの間、沖縄へのオスプレイ配備や2030年代の「原発ゼロ」閣議決定が見送られたことなど、日米の歪な関係を象徴するような問題が続いたこともあり、日本社会にある多様な声をアメリカに伝えていくというNDの活動に魅力を感じ、喜んで参加させてもらいました。 
 
−−就職活動はどうされたのですか? 
 
(巖谷)就職活動をするかどうか迷いましたが、ND立ち上げへの興味が勝り、就職活動する時間も惜しくなりまして、結局、しばらくはアルバイトを続けながらNDの活動に力を注ぐことを選択しました。 
 
−−ご両親は何か仰らなかったのですか? 
 
(巖谷)父には就職を勧められましたが、説得して理解してもらいました。 
 
−−巖谷さんは若いのにしっかりなさっているから、ご両親も安心されているんじゃないですか? 
 
(巖谷)どうでしょうか(笑)。まあ、その辺りの信頼はあるというか、本人が決めたことだから尊重しようと思ってもらっているのかもしれません。 
 
−−NDで活動していて、今、巖谷さんはどう思われていますか? 
 
(巖谷)今は、会員向けの通信やウィークリーニュースの配信、シンポジウムの準備・運営、HPの編集、その他の事務など、ボランティアの方々の協力を仰ぎながら様々な業務を行っていますが、組織の立ち上げから関わったこともあり、やりがいは感じています。 
 今、いろいろな作業に追われていて、毎日時間が経つのが凄く早いです。ND事務局長の猿田佐世弁護士とは「ND発足から僅か2年だけど、大変さは10年分くらい過ごした感じだね」と話すことがあります(笑)。 
 
−−やりがいについて、もう少し詳しくお願いします。 
 
(巖谷)やりがいは沢山ありますが、大きくは4つでしょうか。 
 まず「任せてくれる」というのがありがたいです。人手が足りないという事情もありますが、それでも研究会やシンポジウムの開催、長期の調査プロジェクトの進行・運営などの大きな仕事を任せてもらえると、苦労もしますが、やりがいがあります。 
 老舗の市民運動では、既にコアメンバーがいて、役割分担もしっかりしていて、僕のような若手ができることは限られているように思います。例えば、講演会の受付などのちょっとしたお手伝いは出来るでしょうが、お客様みたいになってしまって、強い問題意識を持って活動に参加した若者が、活動を続けたいとは思いづらいのではないでしょうか。何か1つのプロジェクトの企画や運営を任せるということは、若者が活動に定着する上でも重要な要素だと思っています。 
 
 そして、任された仕事を達成できたときに「自分でも組織のためにやれることがある」と感じる「役立っている感」もやりがいの一つになると思います。 
 
 人から「感謝される」ことも大きなやりがいです。例えば沖縄の米軍基地問題では、NDのような東京の組織が熱心に取り組んでいることについて、沖縄の方々から感謝されることがあります。2013年末の仲井眞県知事の辺野古埋め立て承認の後、年末年始の2週間で準備して、2014年1月10日に名護市で開催したシンポジウムには1,200人もの参加者が来てくださいました。閉演後、帰りがけの多くの方々に直接「ありがとう」と言葉を掛けられましたが、心からやって良かったと思えました。その年は東京では6回、沖縄で計5回のシンポジウムを開き、沖縄だけで延べ3,000人を超える方々にご参加いただいたのですが、その度に感謝されて、ありがたみとやりがいを覚えました。 
 
 最後に「勉強になる」ということもやりがいです。ND理事はもちろん、議員や学者、ジャーナリストなど、その分野の第一線で活躍なさっている専門家の方々から中身の濃い話を間近で聞くことができるのは、とても勉強になります。 
 
−−外交や軍事という分野は日常生活でほとんど意識しないですからね。 
 
(巖谷)いわゆる「外交」に関心があっても、活動の入り口はほとんど無いと思います。若者が外交に興味を持って力を注ぎたいとなると、議員や官僚などを目指す他は、デモを行うかシンポジウムを開くといった運動に限られるのではないでしょうか。 
 NDでは自治体の首長や国会議員、海外の専門家や有識者と直に話ができる機会が豊富で、外交の現場で外交そのものを肌で感じられるNDの活動は貴重だと思っています。 
 
−−今、日中両政府間の関係は良いとは言えませんが、そういうときこそ両国をつなぎ止める民間外交が重要になってくる訳で、民間外交の存在は重要ですよね。 
 
(巖谷)「中国」と言ったときに多くの方が思い浮かべるのは、尖閣諸島など安全保障の課題や、大気汚染や密漁などの問題が多いと思いますが、まず中国に住む友人の顔が思い浮かぶことが非常に重要だと思います。そのような友人がいれば、政治的な問題について攻撃的に接することはなくなるのではないでしょうか。仲の良い中国の友人を持つことの大切さを改めて思います。 
 NDは昨年7月、中国に行って中国の要人たちと交流する機会を持ちました。中国の主要な機関の方々に日米関係を考える民間シンクタンクが出来たことを紹介し、日中関係改善に寄与できることを示したかったのです。日本の安全保障問題や沖縄の米軍基地問題は、その背景に対中国戦略がある訳で、中国を抜きにしては日本の外交を考えられませんし、東アジアの国々の協調関係を築くためには中国との関係作りは欠かせません。ゆくゆくは中国に限らず、各国毎に担当を置いて、それぞれの国に日本の声を伝える仕組みをNDで構築していくことが出来れば良いと思います。 
 
−−ところで、NDのスタッフやボランティアには若い人の参加が多く見られますが、どうしてNDに集まってくるのでしょうか? 
 
(巖谷)先にお話ししたような、外交を専門的に扱うNDならではの活動が魅力になっていると思います。今の若者は冷めているだとか、ゆとり世代だとか言われますが、実際には日米関係や日中関係、集団的自衛権などの安全保障の課題などを自分の問題として捉えている若者は多いと感じています。 
 また、ロゴやイメージカラーなどに凝っているのも1つの要因かもしれません(笑)。NDでインターンやボランティア参加する方で、NDのロゴや色を「かっこいい」と言ってくださる方が多く、立ち上げるときに時間をかけて決めてよかったと思っています。 
 
−−巖谷さんはNDの活動を通じて、日本をどうしたいと考えていらっしゃいますか? 
 
(巖谷)一人一人が家族や地域、自治体、国の問題を他人任せにせずに自らの問題として考える、そういう日本人を増やしたいと思います。そういう日本人が増えれば、日本という国の在り方も、米国の圧力に屈することなく、自立した考えに基づいて行動できる国に変わっていくのではないかと期待しています。 
 
−−独立自尊ですね。実際に広大な米軍基地を目にすると「日本は占領されているなあ」と感じます。まるで米国の属国ですよね。 
 
(巖谷)米軍基地を目の当たりにし、また日米地位協定の実態などを分析すると、日本が主権国家と言えるのか疑問に思います。ですから、胸を張って日本は主権国家だと言えるようにしたいという思いもあります。 
 
−−巖谷さんのそうした思いは「今、自分の住んでいる社会をより良い方向に持っていきたい」という市民活動家の方々が多かれ少なかれ抱いている思いと同じだと思います。 
 
(巖谷)地元住民による米軍普天間基地移設反対運動が続く辺野古を抱える名護市では、昨年1月の市長選で移設反対を掲げる稲嶺進市長が再選し、11月の沖縄県知事選では、「オール沖縄」の動きを背景に移設反対を掲げた翁長雄志知事が誕生しました。沖縄で行われた世論調査では、県民の8割が移設作業を中止すべきだと回答しています。 
 繰り返し示された民意に対し、新基地建設を強行している状況を見ていると、今の日本が民主主義国家であると主張するのにも違和感を覚えます。 
 
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 巖谷さんの言う「任される」「役立っている」「感謝される」「勉強になる」は、市民運動に限らず、あらゆる組織で若者を育てる上での重要なポイントのように思える。後継者養成という課題に抱える市民運動の方々に参考となれば幸いである。(坂本正義) 


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