2015年03月05日15時55分掲載  無料記事
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コラム

宮崎駿氏は 民主主義社会における風刺の意味を理解されていない 飛田正夫

 これは、鎖国日本の精神的状況そのものですね。今もってして頭の中が開国されていない。フランスにはイスラム教徒が500万人以上いるのです。どうして他国の異質文明だなどといえるのでしょうか。いまやイスラム教徒を信ずるものはフランス人の中にもいる。地球は狭くなっている。宮崎駿さんの認識世界は穴の中の狢状態です。これでは何も見えてないことになる。危険です。文明や生活様式を異にする移民の集まりがフランスです。そこでどうやってみんなが仲良く暮らすのかを求めて1905年の政教分離法(ライシテ)ができたのです。(在パリ 飛田正夫) 
 
 チャルリー・ヘブドの緊急医師パトリック・ペロー氏は、デンマークのストックホルム文化会館でイスラム主義者に殺害された監督とユダヤ教会の監視員のテロ殺害追悼集会に17日に参加し、「どんな宗教も我々の上に、民主主義 の上にあることはない」と記者会見で発言しています。ライシテとはそういうことなのです。これが我々の異なる文明と異なる宗教を持つ人々が一緒に仲良く暮らすための、現時点での最良の方法のひとつで世界の共有できる価値なのです。 
 
 尊厳とはそういう次元の尊厳なのであって、イスラム主義者のように人間を宗教よりも軽く扱って相手を殺害する行為は絶対に避けなければならないのです。預言者マホメッドを描いたからといって描いた人を殺害していいわけがないのです。そこでは人間が宗教の下にあるからです。ですからこのような人間不在の怪しい宗教とは闘わなければならないのです。しかし暴力はだめです。 
 
 民主主義の世界では何でも隠さずに遠慮なく意見を言い合っていいわけです。もちろんそこには風刺画もあるし批評や批判も当然のことあるわけで、これはどんどんやっていいわけです。それが民主主義 なのです。よく考えるとわかりますが、宮崎氏の発言はこれを閉ざす方向にむしろあるようです。これは危険なのです。 
 
 繰り返しますが人を殺してはならない。 
 
 宮崎氏のような誤解をされている人は非常に日本には多いようです。そこでは、批判をするから叩かれる。モハメドの風刺画を描いたから殺害される。だから相手の宗教心を傷つけるような限度のない批判というは、相手の文明なり宗教を尊厳してない。もっと自粛すべきであったのだという論調です。 
 
 しかしこれは一見して道理のようにも思えるのですが誤っているのです。批判がなくなれば真実は存在しなくなるからです。そこに思想の自由性がなくなり民主主義 が枯渇する原因を欧州は見てきていて知悉しているということです。言論の自主規制や表現の自由を限定的に制限することは本当に危険なのです。そうしなくても言論の自由というのは完全な自由など実現不可能なくらいに困難なものであります。そのことがわかってない。言論や表現に限度を設けるにしてもそれを誰が決めるのかという民主主義 を破壊するような問題点があるのです。 
 
 こういう意味で、民主主義の意味を理解していない知識人やジャーナリストに牛耳られて日本的精神の鎖国状況下に誘導されて危険な軍国主義に突き進もうとしている。脅迫や復讐など、暴力を絶対に振るってはならないということです。そしてまたそういう暴力や殺害や脅迫があっても、それを恐れずに口を開き発言しそれを批判しなければならない。宮崎氏のような主張こそが、表現の自由や言論の自由を閉ざす危険なものなのです。 
 
<注>映画監督の宮崎駿さん(74)が、2月16日に放送されたラジオ番組で、フランス週刊紙「シャルリー・エブド」の銃撃事件をめぐる風刺画問題について、「異質の文明に対して、崇拝しているものをカリカチュア(風刺画)の対象にするのは間違いだ」と話した。47NEWSなどが報じた。 


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