2015年03月06日14時37分掲載  無料記事
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コラム

パリの本屋 思想や社会科学など古典が半数以上

  日本では書店が減少する一途で、駅前にとうとう1つも書店がなくなったという町も増えているのではなかろうか。近所に書店がなくてもアマゾンで買えばよい、という考えの人もいるだろうが、書店に行って棚を見ているうちに読みたくなる本もあると思うし、むしろ、そちらの方が本を買う時の生理にあっていると思う。 
 
  写真はパリの小さな書店の店内だが、小規模の書店はたいがいこんな感じだ。天井まで本が並べられており、客ははしごを登る。 
  これらの本の中で新刊小説は比較的少なく、むしろ思想・社会科学などの古典が半数以上を占めている。もちろん、フランスでも最新小説は多数書かれているが、書店主たちは本のバランスを彼らなりに考えているようである。古典に属する本が多数を占めている、ということは古典を大切にしているということである。ここで古典と言っているのは出版から20年以上たったもののことだ。いい本は長く読み継いでいこうという姿勢が強い。 
 
  一方、日本では2〜3年もすると、たとえ面白い本であってもきれいさっぱり書店から姿を消すことが多い。つまり、書店と言うよりキオスクと呼んだ方がよい書店が多い。日本で生き残っているエキナカ(駅構内)の書店は基本的に最新流行が大半で、相当数が数か月の間に入れ替わる。しかし、パリの書店の場合は書店主が基本的に本を買い取って売っているため、返品することがない。店主は仕入れる本に自分の書店主としての方針を込めているのである。 
 
  本が禁止されたSF世界「華氏451度」を書いたレイ・ブラッドベリは「文化を破壊しようと思ったら、本を燃やさなくてもいいんだ。ただ本を読めないようにすればよい」と言っていた。 


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