2015年04月19日14時08分掲載  無料記事
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国際

2015年 アルメニア人虐殺から100年

  今年2015年はアルメニア人がオスマン帝国で虐殺されてから100周年という年である。今月24日にイスタンブールのタクシム広場で記念式典が執り行われる予定だ。アルメニアの知識人などリーダーたちがイスタンブールで逮捕監禁された日だそうだ。赤い日曜日とも呼ばれている。 
 
  一連で殺された人数は150万人に及ぶとの推定もある。これは虐殺が起きた第一次大戦前のアルメニア人口と大戦後の人口との引き算による推定値である。人数に関しては諸説あり、もっと少ない数値もある。シリアやメソポタミアに向けてアルメニア人を強制的に移住させようとして、その途上、多くが疲労や飢えで命を失ったという記録もある。 
 
  一方、トルコは死者が出たことは認めながらも、戦時中のことでアルメニア人だけが殺されたわけではないとしてジェノサイドであることは一貫して否定している。 
 
  当時は第一次大戦の最中でトルコはドイツ側について戦っていたが、オスマン帝国領に住むキリスト教徒のアルメニア人たちは敵に当たるロシア側(英仏露の三国)につこうとした。そうした戦時下の陣営をめぐる政治的確執が引き金になったとされるが、虐殺自体は第一次大戦以前から繰り返し、起きていたとされる。特に19世紀末に起きているが、これはアルメニア人の中にロシアを後ろ盾に、オスマン帝国から独立を求める動きがあったことによる。 
 
  オスマン帝国は第一次大戦の敗北によって崩壊し、1918年、アルメニアも独立を果たした。のちにロシアを中心とした社会主義陣営に組み込まれた。 


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