2015年04月26日21時10分掲載  無料記事
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映画『みんなの学校』 大人も子どもも真剣に向き合うことから 笠原真弓

 大阪市立大空小学校は7年前に開校した、だれでも入れる普通の公立小学校だ。でも違うのは、特別支援を必要とする生徒もみんなと同じ教室にいること。当然混乱することもあるが、子どもたちは大騒ぎするでもなく、自然に手助けをしている。これこそが「教育」なのだろう。 
 
 だからといって、ほんわかとした特殊空間ではない。そこにいる「みんな」、大人(先生、職員、保護者、学生や地域ボランティア)にも子どもにも「何に拠って」「何をなすべきか」を突きつけてくる真剣勝負の場だ。それなのに暖かいのは、互いに自立しているからだろうか。 
 
 運動会のリレーの練習をしている。体育は校長が担当している。リレーは、全員が走る。その練習の時間に校長は「走れない人もいるのに、放っておいていいのか。これまで6年間積み上げてきた知恵を出しなさい」と投げかける。 
 
 やがて再開された練習では、コースを走れない、バトンを持てない、ゼッケンをつけられない子に、それぞれ伴走者がいた。校長は、思いっきりほめる。子どもを 信じる大人、それに値する子どもたち。脱走常習児もいつの間にか、鉛筆の芯が減るようになったと母親の顔がほころぶ。つまり、教室に座ってみんなと勉強が できるようになったということ。居場所ができたのだ。 
 
 校長室は「やり直しの部屋」。この学校のたった一つの約束「自分がされて嫌なことを人にしない、言わない」。これに違反すると、やり直すために校長室へ大人 につれられて、あるいは一人で行く。そこでは、話を聞いてくれて諭され。自分の何が悪かったか気づくとほめら、自信を取り戻してみんなの輪の中に戻ってい く。自信を持つこと、持たすこと、その大事さを改めて思う。 
 
 ある日、友だちを叩いてつれてこられた子が、「もうしません」の誓約書を書く。見送りながら、またするだろう。でもいまこの瞬間の気持ちに嘘はないと彼を追う目は優しい。案の定2日後に暴力を振るったと自分で頭をたれながら来る。謝りに戻った彼に、相手は顔を見るなりボコボコにする。彼は、頭を抱えてじっと耐えている。 
 
 さまざまな問題を抱えて卒業していく子どももいる。これからの困難を思うと、胸が痛くなるが、この小学校で得たもの学んだものは、きっと困難に出会った時の拠り所になるに違いないと信じられる。 
 
 校長は7年前の開校のその日、事前連絡もなく転校してきた多動の生徒に手を焼き、「この子さえいなかったら、理想の学校ができるのにと思った」と振り返る。この正直 さが、この学校の「肝」ではなかろうか。多分、そこからたくさんの問題に直面しながら、「みんな」で今の学校を築いて来たのだろう。 
 
 父母たちとの勉強会で、障害児教育に詳しい堀智晴教授は「学校の変化は父母に伝わり、やがて地域全体が変わっていく。それには、何十年もかかります」と。教育はそんな長いスパンで行うものなのだ。成果を短期に求めてはいけないということだ。 
 
 また、この学校だけが「特別」なのではないということも、私たちは知っていたいとも思う。全国のあちこちで、子どもを思う大人たちはいる。直接子どもたちと接していない人も含め、次代、次々代の子どもたちを信じるのが私たちの最初の一歩ではないだろうか。 
 
監督 真鍋俊永 
制作 関西テレビ 
全国上映展開中(上映会受付) 


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