2015年05月27日14時34分掲載  無料記事
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みる・よむ・きく

あなたのとなりの「アラヤシキの住人たち」 笠原真弓

 こんな空間が40年も続いていたなんて!!! のっけからみんなバラバラ。勝手な振り付けで、自分のリズムでラジオ体操をしている人たち。冬の間、里に降ろしていたヤギとともに、若い女性が3人大学を休んで1年間ともに過ごすために上がってくる。春が里から上がってくる。車の通らない、昨年秋の地震で壊れた道を上がってくる。大きな屋根の、大きな窓のあるアラヤシキ・新屋敷に。信州小谷村の真木集落の、共働学舎と呼ばれる空間の物語がはじまる。 
 
 受け持ち仕事は決まっている。ヤギに慕われているヤギ係や、百葉箱を守っている人がいる。タバコが楽しみのおじさんは、1日に2、3本しかもらえないらしい。それを大事に吸い、「しけもく」も吸う。吸いながら、犬と関わる。一瞬、時間を止めることの出来る人さえいる。 
 「カン、カン、カン」板木が鳴る。この音で一日が回る。そして、季節も巡る。日本の農村の原風景がある。田植えをして稲刈りをして……、ヤギが子を孕み産む。雪が降りはじめれば、百葉箱がかさ上げされる。そういえば、住人の出産や結婚式もあった。 
 
 家長のような責任者の宮嶋信さんはじめ、風に寄せられては散っていく人たちの生活の場である。長い人では35年も暮らしている。生きた歴史である。一方、ふっといなくなり、数ヵ月後ふらりと戻ってきた人がいる。受け入れるか否か話し合いは続く。「いいじゃない、仕事助かるし」の一言がみんなを救う。本人は「死ぬまで逃げ続けたらやだなぁーと思って」が戻った理由。山を降りることにしたヤギ係のあとを受けもつことになる。 
 
 昔は、いろんな人が近所にいた。2軒先には、夏に毛布を頭からかぶってウロウロしているお兄ちゃんがいた。取り立ててどうということもなかった。いまは、街がどんどんきれいになって、そんな人は人目につかなくなった。 
 今でもここ共働学舎には、いろんな人がいて当たり前。どちらかに合わさせるのではなく、あちらもこちらもマイペースの大切さを静かに語っている。カメラの一ノ瀬正史さんのレンズが暖かい。 
 
 映画では語られないが、自給自足の生活でも少しの現金は必要だ。生産物の一部は現金化しているのだろう。また、ここで暮らす人も暮らしていない人も、会費を払えば会員として参加出来る。それで、彼らは僅かな給料をもらう。私のところに、毎年彼らの手になるクリスマスカードが届く。色ラシャ紙に、絵と聖句や賛美歌の一節が書かれたカードは、机の前にいつもある。今年のカードを受け取るときは、大きな家や彼らの顔を浮かべながら受け取るという楽しみが増えた。 
    X X X 
 共働学舎とは:1974年、自由学園の教師だった宮嶋眞一郎氏(2015年4月27日逝去)によって創設された。酪農を含む農業や工芸を生活の基礎とした共同体で、北海道など数カ所ある。 
 
監督 本橋成一 
ポレポレ東中野上映中。全国にて上映決定 
http://arayashiki-movie.jp/ 


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