2015年08月01日17時50分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

少年法の対象年齢を18歳未満に引き下げることは必要か?(2)

<「司法統計」から見た戦後日本の少年非行の変遷> 
 
 少年による非行事件総数はここ30年間、減り続けているのが実態である。この実態を、最高裁判所統計局の司法統計による「全国の家庭裁判所の非行既済事件数(家庭裁判所で事件処理を終えた事件数)」の経年比較で確認してみたい。 
 
 この司法統計によると、戦後70年間の少年による非行事件総数の変化は、まず1955(昭和30)年に約33万件。以後、急増して1964(昭和39)年に100万件を超え、1966(昭和41)年に約111万件で過去最大、戦後の「第1次非行ピーク」を迎える。 
 それから2年後の1968(昭和43)年以降は100万件を下回り、50万件以下まで減少するが、1977(昭和52)年から再び50万件を超えるようになり、1981(昭和56)年に60万件超、1984(昭和59)年に約69万件となり、「第2次非行ピーク」に達する。 
 しかし、3年後の1987(昭和62)年には60万件以下となり、1990(平成2)年には約49万件、以後、現在まで減少化が続いている〔前回ご報告したように、2014(平成26)年度に戦後初めて10万件を下回った〕。 
 なお、この経年比較の中で、成人による犯罪事件総数は、常に少年による非行事件総数を数倍上回っていることを付記しておきたい。 
 
 こうした少年による非行事件総数の変化は、少年人口の動態変化と基本的に関係している(成人による犯罪事件総数も同様である)。人口が増えれば、残念ながら犯罪や非行の件数も増えることになる。 
 
 上記の第1次非行ピークは、戦後の第1次ベビーブームの子どもたち〔1947(昭和22)年〜1949(昭和24)年生まれの、いわゆる「団塊の世代」〕が14歳を迎え、「非行少年(20歳未満)」の年齢に達したことが大きく影響している。 
 また、第2次非行ピークは、第2次ベビーブーム〔1971(昭和46)年〜1973(昭和49)年生まれの、いわゆる「団塊第二世代」)による人口増が影響している。 
 
 厚生労働省が公表している人口動態統計によれば、第1次ベビーブームでは1年間に250万人以上の新生児が生まれており、第2次ベビーブームでは年間200万人以上が生まれている。1975(昭和50)年以降は年間200万人を下回るようになって漸減傾向が続き、1990(平成2)年以降は年間約110万人程度に留まり、2013年に生まれた新生児は約103万人である。現在の新生児数は、第2次ベビーブームに比べて半減、第1次ベビーブームと比較すれば6割減の状態である。 
 
<少年事件は凶悪化していない> 
 
 以上の戦後70年の少年による非行事件総数の変化と、その母数となる少年人口の動態変化の2つを勘案すると、現在の非行事件総数である約10万件は、1966(昭和41)年前後に比べると10分の1以下、1984(昭和59)年と比べても約7分の1であり、1990年以降も出生数の漸減割合以上に非行事件総数は減少してきたことが分かる。 
 すなわち、「少年による非行が増えている」といった実態は全く事実に反しているし、「子どもの数が減ったから非行は減ったかもしれないが、昔に比べると、悪いことをする子の割合は増えている」といった実態もない。 
(ここでは統計的比較を示さないが、世界的に見ても、日本の青少年は犯罪を起こさない、奇妙なほどに静かな若者たちと言って過言ではないのである) 
 
<「刑法犯」と「特別法犯」> 
 
 ここで検討しておくべきことは、「罪名が変更されたり、統計の取り方が変化しているのではないか(だから統計的に少年による非行事件総数が減っているのではないか)」といった疑問である。 
 
 一般に、少年非行であれ成人犯罪であれ、犯罪事件は「刑法犯」と「特別法犯」の二つに大別される。 
 「刑法犯」とは刑法に定められた犯罪を起こしたもので、殺人、強盗、強姦、放火といった凶悪犯、傷害(傷害致死を含む)、恐喝、暴行、脅迫といった粗暴犯、窃盗や横領、詐欺といった財産犯など、社会通念として広く、ある意味で世界共通の犯罪行為として認識されているものである。 
 「特別法犯」とは、その時代・その社会の必要性に合わせて制定される、例えば風俗営業法、銃刀法、暴力行為等処罰法といった「特別法」に定められた犯罪を起こしたもので、覚せい剤取締法違反、毒物劇物取締法違反といった薬物事犯、出入国及び難民認定法違反等、様々な違法行為がある。 
 
 刑法犯の場合、罪名が変更されたり、罪種が増えたり、その犯罪構成要件が大きく変更されることはほとんどない。例外としては交通事故の場合があるが、旧刑法では業務上過失致死傷罪として扱われていたものが、自動車運転過失致死傷罪として分離され、さらに2014(平成25)年11月27日制定の「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」によって、罪種の分類や処罰規定が重くなる等の変更がなされている。但し、このことで統計上の事件総数に大きな変動が生じることはない。 
 これに対して特別法犯は、社会が複雑困難化し、旧来の刑法では取り締まれない等の背景事情から、次々と新たな特別法が制定され、特別法犯として検挙されるのであるから、基本的には事件総数を増やすことになる。 
 但し、社会事情の変化とともに、特別法犯の事件数は変動する。一例をあげれば、最高裁判所統計局の司法統計による「全国の家庭裁判所の非行既済事件数」を見ていくと、「統制経済法関係」という罪種分類(非行種別)があり、1951(昭和26)年には8,355件を数えているが、昭和30年代後半から急減して1977(昭和52)年に2件、その後0件が続き、平成時代になってからは非行種別として記載されなくなっている。 
 
 敗戦直後の日本は食糧難で、お米など配給制を採っていたことから、基本的に禁じられていた闇物資の売買や運搬に関わる非行があったと考えられるが、昭和30年代後半の高度経済成長期には問題視されなくなっていたことがわかる。 
 また、毒物劇物取締法は1950(昭和25)年に制定されているが、この法律を、いわゆる「シンナー(トルエン)吸入」の取締りに適用したのは1973(昭和48)年からであり、1982(昭和57)年に2万6,155件となっているが、1994(平成6)年には1万件以下となり、2005(平成17)年以降は1千件前後となっている。 
 高度経済成長を遂げた昭和40年代半ば、大都市(東京でいえば特に渋谷や原宿)に半家出状態の少年らが集まるようになり、当時のヒッピーなど逸脱的・解放的文化の流入・蔓延とも関連して、シンナー吸入に耽溺する少年少女が増え、社会問題となったことから取締りが始まったものであるが、その後、薬物非行は覚せい剤や大麻に移行し、近年では違法ハーブ吸入へと移ったという社会事情が反映している。 
〔ただし、覚せい剤取締法違反、大麻取締法違反についても、1998(平成10)年以降、1千件を越えることはなくなり、2004(平成16)年以降は500件以下となっている〕 
 
 したがって、その時々の社会・時代の要請に基づいて司法の対象とされる特別法犯は、総じて見ると統計的には刑法犯に比べて少なく、司法統計のなかで一つの特別法犯が突出した影響を及ぼすことは少ない。 
 
<道路交通法違反事件> 
 
 但し、事件数が多く、統計的に大きな影響力を持つ唯一の特別法犯といってよいものが「道路交通法違反事件」である。 
 現在の道路交通法は、道路交通取締法(昭和22年制定)の廃止に伴って制定され、1960(昭和35)年12月20日から施行、交通事情の複雑化や車両装備の改善等に合わせて20回を超える改定がなされてきた。基本的には自動車運転に伴う注意義務が追加され、罰則規定が重くなってきたと言える。こうした中、司法統計に最も大きく影響を与えたのは、1968(昭和43)年7月1日から開始された「交通反則通告制度」の導入である。 
 
 道路交通法違反には、大きく分けて2種類の違反がある。1つは、飲酒、制限速度を30km以上超える速度違反(高速道路など自動車専用道路の場合は40km以上)、無免許運転、集団暴走といった危険度が極めて高い、重い違反であり、これらの事件は司法手続き(裁判)を受け、処罰されることになる。 
(多くの場合は数万円以上―10万円以上になることも多い―の罰金となるが、事案が悪質であれば懲役刑を受けることもある) 
 もう1つは、駐車違反、交通標識の見落とし等による一時不停止、信号無視、一方通行路の逆行等々の多くの交通違反であり、これらの比較的軽い違反については、取り締った警察官から交通反則金通告書(通称青切符)が交付され、数千円から数万円の反則金を納付すれば司法手続き(裁判)を免除される仕組みとなっている。 
 一般には、どちらの違反もお金を取られることになるので「罰金」と称されることが多いが、「罰金」は司法手続きを経て科せられるものであり、「反則金」は司法手続きを免除されるためのものであるから、法律的な意味合いは大きく異なる。端的に言えば、「罰金」を受ければ交通前科となるが、「反則金」は何度納めても交通前科にはならない。 
 1968(昭和43)年以前は、この「交通反則通告制度」が無かったため、重い軽いを問わず、全ての交通違反は道路交通法違反事件として立件され、成人の場合は簡易裁判所及び地方裁判所へ、少年の場合は家庭裁判所へ送致されていた。 
 最高裁判所統計局の司法統計では、これら重い違反と軽い違反の区別がなされておらず、正確な統計は不明であるが、1967(昭和42)年の道路交通法違反事件数は約84万件であり、1969(昭和44)年は約63万件になっているので、1968(昭和43)年の「交通反則通告制度」の導入で立件送致されなくなった道路交通法違反事件は、その当時、およそ20万件程度であったと考えられる。 
 このように、「特別法犯」である道路交通法違反事件では、統計的に10万件を超えるような大きな影響を及ぼす制度の改定があった。しかし、1968(昭和43)年以降にはこれほど大きな変動を及ぼす改定はなく、現在に至っている。 
 
<少年による非行事件総数は減っている> 
 
 今回は統計数字の扱いばかりで、読者には読みにくかったり、退屈であったと恐縮しているが、戦後70年の司法統計を詳細に調べてご報告した。機会があれば「平成24年版犯罪白書」にある少年保護事件のグラフをご参照いただきたい。 
 小結論としては、少年による非行事件は1984(昭和59)年以降、この30年余、ほぼ一貫して減少傾向にあり、それも少年人口の減少割合以上に減少していると言える。 
 司法統計的には、1968(昭和43)年の道路交通法の制度改定によって、道路交通法違反事件数が大幅に減少したことがあったが、それ以降、罪名や罪種の変更による大きな変動は無く、むしろ新たに様々な「特別法」ができることで事件数は多少なりとも増えたはずである。それにも関わらず、少年による非行事件総数は減少してきたのが実態である。こうした実態は、私たちの抱いている感覚と大きく食い違う。それはなぜなのかを冷静に考える必要があるように思う。 
 ただ、先に「奇妙なほど静かな若者たち」と書いたが、少年による非行事件ではない、青少年の不登校や引きこもり、ニートといった問題は増加しており、それが現代の少年像(イメージ)に影響を与えていることも考えられる。 
 次回はもう少し、少年による非行事件の事件内容に踏み込んで、戦後70年の少年非行の変遷をご報告したい。 
 
<「司法統計」が持つ意味> 
 
 最後に、今回なぜ最高裁判所統計局の司法統計を用いたかについて付記しておきたい。 
 私たちは「少年事件」についてマスコミ報道や警察発表によって知ることが多いが、最高裁判所統計局の司法統計は「事件数」として最も正確で、実態を反映していると考えられる。 
 マスコミ報道は同じ事件を繰り返し報道することで、世の中に凶悪犯罪が蔓延しているかのように扇動してしまう危険性がある。 
 警察による「犯罪認知件数」といった統計は、『認知しましたが検挙・立件できませんでした。』といったものを含んでおり、いくらでも「犯罪認知件数」を増減することができる。 
(傷害事件に至る前に夫婦喧嘩を認知し、未然に防止したといった件数を含んでおり、相応の社会的意義を有する統計であるが、警察官の増員等の予算請求のために操作することも可能である) 
 それに比較すると、司法統計は現実に警察で検挙(ときに逮捕)され、取調べを受けて事件として立件され、検察庁から裁判所に送致(成人の場合は起訴)され、そして裁判(審判)を受けた少年非行や成人犯罪の「事件数」を統計的に扱っているので、「これくらいなら事件にしないで勘弁してやろう」とか「こんな少年は絶対厳罰にしてやる」といった恣意的な操作や誤魔化しが効きにくいのである。その点を伝えておきたい。(伊藤一二三) 
 
参考文献:浜井浩一「グローバル化する厳罰化とポピュリズム」(現代人文社、2009年) 


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