2015年08月12日12時01分掲載  無料記事
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時代が要請する本がある −メディアは戦争をどう報じたか− 永井浩『戦争報道論 平和をめざすメディアリテラシー』 大野和興

 時代が要請する本、時代がつくる本がある。本書を手にとってまず思ったのはそのことだった。刊行されたのは二〇一四年一二月。この年の七月一日に集団的自衛権行使容認が閣議決定され、一二月一六日に行われた総選挙で安倍自民党が多数を制してした。「戦争をする国」への足取りが現実の問題をして目前に迫っていたときであった。毎日新聞記者としてアジア各地を歩き、開発と紛争に揺れ動くアジアを「報道される側」から凝視しつづけてきた著者は、改めて「報道者とは何か」を突き詰めたとき、戦争に行きあたった。「戦争」ということをはずして報道の意味を問うことなどできない時代状況を、正面から受け止めて誕生したのが本書である。 
 
◆ブッシュの戦争の報じられ方 
 
 戦後七〇年、日本は戦争をしない平和国家できた、という。だが現実には、世界の幾多に戦争に、日本はかかわってきた。「日本な戦争をしなかった」などという言説は神話に過ぎない。本書は日本が直接間接にかかわってきた戦争を行きつ戻りつしながら、その時日本のメディアはどう報道したかを検証する。 
 
 検証はアメリカの対テロ戦争・イラク戦争から始まる。続いてアジアの戦争が検証される。そこでまず取り上げられるのは竹山道雄の『ビルマとの竪琴』に見られる大東亜戦争・アジア解放戦争の幻想と偽善である。戦後の日本とアジアの関わりをみるとき、この野郎自大な偽善から説き起こさなければ何も見えなくなる。ここの著者の軸足の強固さと視点の確かさをみることができる。さらに筆はベトナム戦争、カンボジアPKO、ビルマの戦争に及ぶ。 
 
 こうした「日本の」戦争を分析する著者の記述に通奏低音のように流れているのは、戦前日本の新聞が権力に追随し、庶民の戦争気分をあおり続けた、その事実に対する痛恨の思いである。著者は常にそこに立ち返りながら、いまの日本のメディアを検証する。例えば9・11後のブッシュの対テロ戦争に際し、アメリカのメディアは愛国報道一辺倒になる。日本のメディアはそれをほとんど無批判に受け入れた。著者はそのことを鋭く糾弾する。 
 
「政府間だけでなくメディアにおいても日米同盟が優先され、“ブッシュ大本営”の発表を事実上垂れ流しにし、自衛隊の海外派兵を通じた米国追随の軍事的『国際貢献』をよしとする世論形成の露払い役をメディアが果たすことになった」 
 
 この報道姿勢は、アルジャジーラなどアラブメディアやアラブジャーナリストによる他の視点からの報道を無視し、多様な言論を読者に示す機能を日本のメディアから失わせることになった。著者は「ほとんどの(日本の)マスメディアは、自らの歴史的教訓を踏まえた他者への想像力と幅広い世界認識を欠いた報道に終始し、米国の正義の戦争を支援する自衛隊の海外派兵を『成功』と評価してしまった」と書いている。 
 
◆アジアをどう報じたか 
 
 なぜそんなことになってしまったのか。著者の視点はアジア太平洋戦争に際し、日本の新聞が何をしたかに向かう。戦前の戦争報道、アジアを進軍する日本の帝国軍隊の勇ましさを鼓舞する記事、それを書く記者や文化人たちの模様を史実に立ち戻って描き、戦後発表されて国民に大きな感動をもたらした先述の『ビルマの竪琴』に行き着く。手製の竪琴を抱えた水島上等兵が戦友の霊を慰めるためにビルマに残るこの物語は、映画化され、鎮魂と平和国家再建へのメッセージとして、新聞雑誌にもてはやされた。だが、と著者はいう。「彼が弔うべきとするのは日本の亡き戦友たちだけであり、日本の戦争によって殺されたビルマ人の霊についてはなにも考えられていない」。 
 
 一九五〇年に文部大臣賞を受賞し、教科書にも掲載されるこの物語の中に、竹内好は欧米志向とアジア差別をかぎ取る。この宿疴(あ)ともいえる他者への想像力欠如を日本のメディアが越えたかにみえたのがベトナム戦争報道であった。著者は「日本のジャーナリストたちはアジアの現実と向かいあい、欧米メディアの限界をこえて独自の報道をめざそうと試み高い国際的な評価を得た」と評価する。その先端を切ったのが毎日、大森実の「泥と炎のインドシナ」であった。駆け出し記者として日本の農村を歩きまわっていた筆者は「記者はこれだけのことができるのだ」とむさぼるように読んだことを覚えている。「大森センセーショナリズム」といわれ、毀誉褒貶激しい大森の再評価はジャーナリズム論としてとても興味深く、安倍政権のもとで起こっている「権力とメディア」の関係を彷彿とさせる。 
 
◆権力とメディア 
 
 大森は最終的に毎日を去ることになる。大森のベトナム報道は米国政府の虎の尾を踏んだ。当時の米国大使ライシャワーは名指しで大森を批判する。そして財界が「広告を切る」と毎日に圧力をかける。こんな未確認情報が当時流れていた。結局メディアは一人の記者を権力から守りきれなかった。大森、本多勝一、そして岡村昭彦や沢田教一をはじめとする写真家たちを含む多彩な記者を輩出したベトナム報道を検証する著者は、同時にその限界にも立ち会う。その限界を如実に示したのが、大森の去就であった。 
 
 一九九五年、著者はアンサンスーチーにインタビューする。このしなやかな非権力の政治指導者は敬虔な仏教徒でもあった。彼女は仏教が説く慈愛と誠実は民主主義と人権そのものだと語る。「足元の言葉で民主化、人権を語る」その言葉に著者は感動する。多様な価値観、多様な視点、多様な思いを伝えることこそが報道ではないのか、という著者の報道論と重なる。 
 
 それは既存のマスメディアの限界が明らかになったいま、どのようなメディア状況を見通すのかという、これからの課題にもつながる。本書で著者は最後にそのことに触れている。マスメディアの限界のかなたからあらわれた市民メディアの存在への言及である。それはイラク戦争とインターネットの発展の融合の中から出現した。著者自身、その源流を切り拓いた独立系インターネット新聞『日刊ベリタ』の創設にかかわり、長く代表・編集長を務めた。市民メディアと同時に著者は憲法九条にも言及する。憲法と独立系市民メディア、そこに著者はこの先の可能性をみる。 
(明石書店二〇一四年一二月刊、四〇〇〇円+税) 


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