2015年08月16日19時17分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201508161917070

国際

「アジアのチトー」とホー・チ・ミン 戦後70周年と戦後40周年 ハンス・モーゲンソーのリアリズム政治学 村上良太

   エリザベス・ヤング=ブルーエルによるたいへん分厚い評伝「ハンナ・アーレント伝」の中にベトナム戦争に触れた一節があります。1965年に政治学者ハンス・モーゲンソーがベトナム戦争に関する米国務省の外交政策を改めよ、と迫る論文を発表したのですが、政治哲学者のハンナ・アーレントがモーゲンソーの見方を支持したというのです。モーゲンソーが唱えたのは北ベトナムを敵視するのはやめ、その指導者であるホー・チ・ミンを「アジアのチトー」にするべきだというのです。北ベトナムのハノイ政府が南ベトナムを侵略している、という米政府の解釈は誤りであり、そもそもベトナムは1つの国なのである、と。 
 
  チトーとはご存知のとおり、ユーゴスラビアの指導者であり、第二次大戦後、東ヨーロッパ諸国がソ連の支配の下で衛星国として社会主義政権を運営していましたが、ユーゴスラビアのチトーはソ連式の共産主義とは異なる社会主義の道を歩もうとした結果、コミンフォルムからも追放されてしまいました。モーゲンソーが「アジアのチトー」という言葉に込めたのはハノイ政府が社会主義政権であっても、ソ連と一線引いた独自路線を取るのであればアメリカの国益にかなうと見たのでしょう。 
 
  このような提案を行ったハンス・モーゲンソーという人物はもともと政治学者であり、国際的には「リアリズムの政治学者」として知られています。その核となる考え方として理想主義を求めず、政治を動かすものは力学なのであり、イデオロギーではなく、力と力の均衡によって1国が覇権を握らないように地域で力のバランスを分散する、バランス・オブ・パワーこそがよいのだ、ということでした。これは19世紀まで欧州で行われてきた政治学の主流の考えであり、その覇権国としては英国がありましたが、その英国でも欧州全域を支配できないように地域の諸国が力を持って牽制し合っていたのです。 
 
■リアリズムの政治学の6原則 
 
著書である’Politics Among Nations’’ (国際政治)の中でモーゲンソーはリアリズム政治学の6つの原則を提唱しています。以下はウィキペディアに紹介されているその6原則を訳したものです。 
 
1 Political realism believes that politics, like society in general, is governed by objective laws that have their roots in human nature. 
 
1   リアリズムの政治学は客観的な法律によって政治も〜社会と同様に〜統治されると考えるが、その法律の源は人間本来の性質に由来する。 
 
2 The main signpost of political realism is the concept of interest defined in terms of power, which infuses rational order into the subject matter of politics, and thus makes the theoretical understanding of politics possible. Political realism avoids concerns with the motives and ideology of statesmen. Political realism avoids reinterpreting reality to fit the policy. A good foreign policy minimizes risks and maximizes benefits. 
 
2   リアリズムの政治学は国力に基づいた国益という視点を重視する。これによって理にかなった要求が政治に反映されうるのであり、政治の理論的な理解も可能になるのである。政治家個々人のイデオロギーや動機は重要視しない。リアリズムの政治学は時々の政策に意図的に合わせて現実の政治的状況を理解することは断固として拒否する。優れた外交政策とはリスクを最小化し、利益を最大化するものである。 
 
3 Realism recognizes that the determining kind of interest varies depending on the political and cultural context in which foreign policy, not to be confused with a theory of international politics, is made. It does not give "interest defined as power" a meaning that is fixed once and for all. 
 
3   リアリズム政治学は国益とは時々の政治や文化の文脈から決定されるものであり、外交政策もまた同様に行われると考える。つまり、永久に固定された国力による国益というものを想定しない。外交政策の理論と実践は区別されなくてはならない。 
 
4 Political realism is aware of the moral significance of political action. It is also aware of the tension between the moral command and the requirements of successful political action. Realism maintains that universal moral principles must be filtered through the concrete circumstances of time and place, because they cannot be applied to the actions of states in their abstract universal formulation. 
 
4   リアリズムの政治は政治的行動がどのような影響を道徳的に与えるかをよく意識している。また効力を発揮しうる政治行動を取らなくてはならない場合に、それが道徳律と葛藤を起こしうることも意識している。リアリズム政治学においては、普遍的な道徳律も具体的な時と場所において状況に応じて適用されなくてはならないと考える。つまり、国家の政治行動にどんな場合でも当てはめなくてならない型にはまった道徳律というものは存在しないと考える。 
 
5 Political realism refuses to identify the moral aspirations of a particular nation with the moral laws that govern the universe. 
 
5   政治のリアリズムはどこか特定の一国の道徳を全世界の政府にも求めなくてはならないという考え方を拒否する。 
 
6 The political realist maintains the autonomy of the political sphere; the statesman asks "How does this policy affect the power and interests of the nation?" Political realism is based on a pluralistic conception of human nature. The political realist must show where the nation's interests differ from the moralistic and legalistic viewpoints. 
 
6   リアリズムの政治家は政治の世界における自治を大切にする:政治家は個々の政策によって国力や国益がどう左右されるかを考える。政治のリアリズムは人間性とは多様なものであるということを基本にしている。政治リアリストは国益というものは道徳や法律上の正義とは異なっているということを示さなくてはならない。 
 
  この6原則を読むと、ハンス・モーゲンソーの政治学がよく理解できます。ちなみにモーゲンソーはドイツ出身でナチズムを避けてアメリカに亡命した人物です。ハンナ・アーレントもそうであり、また同じく政治学者のキッシンジャーも同じ道をたどっています。興味深いのはこれらのドイツ出身で、つまり欧州の政治を知っている亡命知識人たちがリアリズムの政治学に身を寄せていたことです。ニクソン政権で国務長官になったキッシンジャー博士もまたリアリズムの政治学者であり、バランス・オブ・パワーを重視しました。米中国交正常化も、アメリカの理想主義の発想では成し遂げられなかったでしょう。イデオロギーにとらわれなかったからこそ、政治体制の異なる中国と国交正常化をなしとげられたのであり、そこには中国、ソ連、ベトナムの力の均衡を重視する発想がありました。 
 
■米国の変貌  第一次大戦が契機に 
 
  キッシンジャーはその著書「外交」の中で米国がバランス・オブ・パワーの世界観から、理想主義を看板にかかげた世界の警察官にどのように変貌を遂げていったかを書いていますが、その契機は第一次大戦への参戦にありました。それまでは米国の外交は南北米大陸に限られており、それはモンロー主義と呼ばれていました。しかし、第一次大戦に英国側について参戦したことが契機となって、世界に軍事力を派遣するようになっていきます。そして、英国が二度の大戦で覇権を失うのと入れ違いに米国が世界の覇権を握っていきますが、それを可能にしたのが海軍力を中心とした軍事力と通商力だったとされています。世界に「民主主義」を広めていくアメリカの理想主義が顕著となるのも第一次大戦以後です。そのプロテスタント的な理想主義を盾にして、第二次大戦後も米国はベトナム戦争への介入や、イラク戦争、リビアへの軍事介入など世界各地で軍事力を用いた政治介入を行ってきました。しかし、その結果、米経済は衰退し、膨大になった軍事予算をなんとか他国にまかなってもらおうとしています。 
 
  今、日米同盟を軸として世界の紛争に軍事的に関与していく道を日本政府は進めていますが、それはリアリズムの政治学ではなく、アメリカの理想主義の道に日本が身を置くことを示しています。アメリカの中にもキッシンジャーのようにリアリズムの政治学を核に据えた国務長官もいましたが、近年はますます理想主義が強まっています。特に中東やアラブ諸国に対する関与を見ると、その感は一層強まります。 
 
■ベトナム戦争終結から40周年 あの戦争は何だったのか?と自問したアメリカ人 
 
  今年は日本の敗戦から70周年ですが、ベトナム戦争終結から40周年の年でもあります。アメリカの著名な政治コラムニストであるトマス・フリードマンはベトナムを訪れたとき、信じがたい光景を目にしたと書いていました。あれだけ激しく戦争を行ったベトナムの人々がアメリカ人を非常に友好的に受け入れもてなしてくれたことです。 
 
  「いったいなんで私たちは戦ったのだろう」と彼は考えずにはいられなかったそうです。当時の米政府が状況を見誤った原因はイデオロギーにとらわれて、ベトナム人の真の欲求が見えていなかったことにあるとフリードマンは書いています。それは左であれ右であれ、「植民地支配は嫌だ」という民族の切望です。 
 
  イデオロギー的には自由主義であったとしても南ベトナム政府は腐敗しており、腐敗した政府を通してベトナムを自分の陣営に引き込もうとした米国はベトナムの人々から見ると植民地支配を行う外敵に見えたに違いありません。もし、ケネディ政権にリアリズムの見方があったなら、ベトナム戦争は避けられたかもしれません。あるいは少なくともあれほどの犠牲者を出すことはなかったでしょう。米国がベトナムを分断して、南ベトナムに関与を強めれば強めるほど、北ベトナムはソ連への関与を深めていくということになりました。この教訓は今でもまったくよく当てはまると思えます。 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。