2015年08月22日00時02分掲載  無料記事
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反戦・平和

「戦争について、多くの若者に関心を持ってほしいのです」 〜人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長・伊藤和子弁護士インタビュー〜

 安全保障関連法案が衆議院を通過し、参議院での審議が開始されました。この法案を「戦争法案だ」とみなし、「戦争に巻き込まれるのではないか」といった懸念を持つ市民が多くいます。政治には無関心と言われていた若者も立ち上がり、反対の声を挙げている様子が連日メディアで取り上げられています。 
 私の記憶に残る戦争と言えば、2003年に起こったイラク戦争ですが、当時、中学生だった私は深く考えることもなく、その出来事を単なるニュースの1つとして受け流すだけでした。 
 その後、日本軍「慰安婦」問題に関心を持つようになってから、そして安保関連法案の国会審議を見ていて、戦争の実態を自分の身に引き寄せて真剣に考えなければならないとの思いを強めつつあります。 
 そこで、世界で続く深刻な人権侵害を無くそうと活動している人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」事務局長で、7月2日に設立された「NGO非戦ネット」の呼びかけ人の1人である伊藤和子弁護士に「平和」について語っていただきました。(高木あずさ) 
 
     ◆     ◆     ◆ 
 
−−平和とは、どういう状況を指すのでしょうか。 
 
(伊藤)平和とは単に紛争がないということだけでなく、貧困や人権侵害という構造的な暴力と言われるものがある状態では本当の平和とは言えません。また、抑圧され、自分たちの考えを言えない状況も平和とは言えません。 
 
−−戦争を引き起こす原因は何だと考えていらっしゃいますか。 
 
(伊藤)私は3つほど原因があると考えています。 
1つ目は、差別、人権侵害、貧困、紛争という悪循環です。貧困や不平等によって紛争が起こることもあります。また、民族的憎悪や差別が引き金になることもあり、差別的なヘイトスピーチが発展して、民族浄化や内戦が起きるのです。また、人権侵害を受けている人たちが憎悪を募らせ、他に方法がないということでテロや報復の行動に出る、という悪循環も続いています。 
 2つ目は、経済的な利益や権益、経済的覇権のために先進国が戦争をする場合です。アメリカなどは軍需産業に経済が依存していて、戦争をしなければ経済が回りません。軍需なくして経済が活性化しない経済構造のもとでは、戦争をしようという発想が安易にでてくるのです。 
 3つ目は、最近問題となっている「人権を守る」ことを口実とする軍事介入です。「人権侵害がひどい」「自由をもたらそう」と言って世論を煽って武力介入する、「正しい戦争」という概念が出てきました。アメリカの国際法学者の中でも「独裁国家を倒すための正義の戦争は認められる」という議論が横行しています。国連の安全保障理事会の決議がなくても「『正しい戦争』であればやってもいい」と言って軍事介入することが正当化されるのは極めて問題です。 
 戦争では、人殺しなどの重大な人権侵害が正当化され、際限なく被害が拡大します。そのような人権侵害を止めるためには何より、戦争を止めることが一番です。民間人を攻撃するなどの戦争犯罪をきちんと裁くことも必要です。戦争を起こして罪もない民間人を犠牲にした人たちが誰も裁かれないままでは、戦争や虐殺のし放題になってしまいます。国際刑事裁判所という戦争犯罪などを犯した個人の刑事責任を取らせる仕組みがあるので、そこが機能するようにしていくべきです。 
 
−−戦争の現場を見て、私たち若者に伝えたいことはどんなことでしょうか。 
 
(伊藤)戦争こそが一番の人権侵害であるということです。そして、武力によって平和は作れない。このことは、9・11テロ事件以後の15年で明らかになりました。今の若者たちは、世界のどこかで戦争が起きている時代に生まれているので分からないかもしれませんが、こんなにも戦争が起きているのは21世紀に入ってからです。20世紀後半、ベトナム戦争が終わってしばらくの間は、大きな戦争がありませんでした。特に、アメリカが直接介入して多くの人を殺す戦争は少なかったと思います。 
 ところが、現在は、アメリカを始めとする世界の国々が戦争を起こして無実の人を殺すことが常態化しています。そして、それに対抗する形でイスラム国のような武装勢力が出てきて、泥沼の紛争が続いています。2001年の9・11同時多発テロ事件以降、国際的な「テロとの闘い」が始まりましたが、テロは根絶されるどころか、逆に世界中に拡散しています。 
 9・11事件の後、テロに対してどう対処するかという問題の答えとして、アメリカは軍事的なアプローチを取ってしまいました。もし、そのときに「戦争は起こさない」という決断をしていれば、現在問題になっているイスラム国やシリアでの紛争は起きてなかったでしょう。イラク戦争でもアフガニスタンへの攻撃でも、アメリカの武力介入によって、自由な良い国になる、正しい戦争なのだ、と多くの人が思ってしまいました。武力によって平和を作ることができるというレトリックで物事が進んでいたのです。しかし、武力介入によって紛争が拡大し、泥沼の戦争に陥ったてしまったことはいまや明らかです。 
 この15年間、多くの人々が、戦争で起きた現実について、あまりにも無関心過ぎたのではないでしょうか。イラク戦争のときには、多くの人が反対していましたが、一旦戦争が終わってしまうと、イラクで何が起こっても無関心です。酷い人権侵害が起きていても、私たちが関心を向けなければ国連などの国際組織は動きません。その間に、虐げられてきた弱い人たちの間で憎悪が固まり、「何をやってもこの状況を変えることができない」と考えたときにテロという行為に辿り着き、イスラム国のような集団を生み出してしまったと思います。私たちが関心を持ち、何かしなければという意識が高ければ、イラクでの人権侵害も長期化することもなく、今の事態は防げたのではないでしょうか。 
 
−−当時中学生だった私は、フセイン元大統領の像が市民によって倒される映像を見て、「良い国が作られていくのではないか」と思いました。 
 
(伊藤)そう思った人がたくさんいたと思います。現在の状況を見て、武力で平和は作れないということが、よく分かったのではないでしょうか。当時は、武力によって何か良いことができるという思いが、多くの人の中にありました。しかし、そうではなかったということが、あまりにも鮮やかにはっきりしたのです。 
 
−−世界のリーダーたちは、イラク戦争から「武力で平和は作れない」ということを学んだと思われますか。 
 
(伊藤)アメリカは戦争当事国ですから、表向きには言わないですが、イラク戦争は政策上、大きな失敗だったことは認めざるを得ないはずです。世界情勢は、ここ15年で悪くなっていることは明らかです。イラクでの武力行使の代償を払っていることは、世界のみんなが分かっていますが、日本だけは他人事のように、歴史から学んでいないと思います。 
 
−−安全保障関連法案のどの点が問題だとお考えですか。 
 
(伊藤)憲法学者の方々も言っていますが、憲法に明らかに違反しているのに、民意を無視して勝手に進めてしまうことは大問題です。憲法に「交戦権を認めない」と書いてあるにも関わらず、白を黒と言いくるめるように、国のルールを軽視していることは非常に問題です。このままでは、政府にやりたい放題になってしまいます。 
 
−−安倍政権が主張するような「集団的自衛権でなければ対処できない」とする事案は、実際は個別的自衛権で対処できるという話があります。 
 
(伊藤)個別的自衛権も拡大解釈してはいけません。個別的自衛権とは何なのかを考えなければいけません。世界的に見れば、個別的自衛権も拡大解釈されてきました。 
 イラク戦争の時、アメリカは「自衛権の行使だ」「大量破壊兵器があるんじゃないか」と言って、まだ攻撃もされていないにも関わらず、仮想的な自衛権を行使しました。 
 個別的自衛権は、その国固有の主権を侵害され、領土が攻撃された場合に反撃できるという権利ですが、それが拡大解釈されてしまう。そして自国が侵略されるわけでない集団的自衛権はさらに拡大解釈されやすい。 
 個別的自衛権についてしばしば独自の解釈で軍事行動を繰り返してきたアメリカとの関係で集団的自衛権を日本が行使するということになれば、極めて危険な侵略戦争に踏み出す危険があります。 
 
−−日本が戦後70年の長きに亘って戦争に参加していないことについて、「国際社会に貢献していない」と言う人がいます。この点についてどのようにお考えですか。 
 
(伊藤)国際法についていえば、確かに、国連憲章上、集団的自衛権の行使は禁止されていません。国際法上、集団的自衛権が出てきた経緯には、東西ブロック(資本主義国と社会主義国)が出来上がっていく段階での国際政治の状況が色濃く影響しています。 
 集団的自衛権という考え方は、冷戦時に大国が小国を守るという考えの下に一般化しました。しかし、今日本で論じられている集団的自衛権の行使は、一番強い超大国であるアメリカが侵略された場合に、日本が助けるという議論なのです。当初想定されていた集団的自衛権とは、少し違う想定になっているのです。 
 第二次世界大戦後、ソ連のアフガニスタン侵攻のように、集団的自衛権の名の下に他国に軍隊を派遣する事態が発生し、集団的自衛権は濫用され続けてきました。それ自体も批判的に検証していかなければいけません。国際法上は合法だからと良いという話ではないはずです。 
 また、国連安保理決議で武力行使が容認された場合、武力紛争は違法とはみなされませんが、それでよいというわけではありません。例えば、国連決議で認められたリビアへの武力介入(2011年3月17日国連安全保障理事会決議1973)は本当に良かったのでしょうか。現在起きているアルジェリアやナイジェリアの紛争は、リビアに対する武力介入が引き金になっていると言えます。国連憲章の名の下に行われる武力行使も、果たしてそれが何をもたらしたのか、常に検証していくべきです。 
 日本は、国連憲章よりも厳しく徹底した平和主義を採用し、国民もそれを良しとしてきました。それによって日本は非常にユニークな国を作ってきました。だからこそ、日本は平和に貢献できるポジションにいるのです。武力介入を行わず、紛争と離れたポジションにいることで、これまでの武力行使が本当に良かったのかを客観的に発言できます。憲法9条や前文に対して忠実な外交を展開していくことで、国際社会に貢献できるはずです。 
 集団的自衛権を認めることで、普通の国になるのかもしれません。しかし、他国の軍隊と一緒に人を殺すことが普通の国と言うのならば、私たちはそんな普通の国になっていいのかということを考えていかなければなりません。 
 
−−安全保障関連法案に対して若者が反対を訴える行動を起こしていますが、それについてどう思われていますか。 
 
(伊藤)若い人たち中心で、若い人たちの感覚でどんどん運動をしてほしいです。台湾や香港、タイでも若者が頑張っています。 
 ミャンマーでは、何か物事を決断して行動に出るのは若い学生たちだと言われています。学生たちが何か行動を起こすときには、社会全体で支えようという考えがあり、ミャンマーでは学生や若者に対する期待が凄く高いのです。日本もそのような社会になっていくと良いですね。 
 戦争を起こさないために戦争に反対することは大事ですが、現実に今も戦争で命を奪われれる人が後を絶たないいることに目を向け、関心を寄せることも大切です。 
 日本での平和に関する議論は抽象的で、「第二次世界大戦のようなことは二度と起こしてはいけない」といった机上の空論のような側面があり、その点が気になっています。日本が戦争に参加するということは、自衛隊員が殺されることも起こり得るというだけでなく、自衛隊員が殺戮の当事者となり、無実の人たちを殺すことも起こり得ることを理解しておかなければなりません。 
 世界中で紛争が後を絶たない状況で、他の国とつながらずに日本だけ平和であれば良いというわけにはいきません。現実に紛争地があるわけですから、犠牲を防ぐために、紛争を解決するために、私たちも何か行動しなければなりません。その何かを市民社会で考えていかなければいけないと思っています。私たちが武力に頼らずにできることは何なのか、それを考えるために、若い人たちには、まず世界で発生している戦争に対して関心を持ち、自分たちには何が出来るのか考える、ということから始めてほしいです。 


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