2015年09月20日13時15分掲載  無料記事
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反戦・平和

挺対協週刊ニュース2015−29号〜31号(9月8日発行)

●目次● 
(1)「平和の碑」建立 
(2)安倍総理の戦後70年談話への抗議 
(3)「平和ナビ大田行動」活動報告 
(4)第三回世界日本軍「慰安婦」メモリアルデー世界連帯集会メモリアルデー(焼身続報) 
 
     ★     ★     ★ 
 
(1)「平和の碑」建立 
 
<8月4日(火曜日)> 
 瑞山(ソサン)に「平和の碑」が建てられます。 
 今日の午後2時〜5時、瑞山地域に「平和の碑」を建てるための市民建設推進委員会が創立総会を開催しました。 
 総会に先立って講演会を開催しました。平和の碑を建てる過程で地域社会が盛り込まなければならない活動、平和の碑を建てた後に作っていかなければならない世の中などについて、日本軍「慰安婦」制度の真実、戦後処理過程での不処罰の歴史が持っている真実、解放後の韓国社会でのハルモニの人生、1990年代に挺対協運動に活動家として参加して以後、私たちに表明している願いを中心に話を展開しました。 
 講演会が終わった後で総会を開催し、組織作りをし、定款を採択し、事業日程について審議しました。今日の総会では民主労総・瑞山・泰安(テアン)委員会が平和の碑建設基金500万ウォンの伝達式を持ちました。 
 10月3日の除幕に向けて瑞山市民が繰り広げていく活動を通して、瑞山の地域社会が過去の歴史の傷を共に抱え、間違いを直していきながら、日本へ向けた批判だけではなく、韓国社会、韓国内部の暴力的な問題も振りかえって反省し、平和を実現していけることを期待します。 
 
<8月15日(土曜日)> 
 今日、キム・ボクトンハルモニ、ユン・ミヒャン代表、アン・ソンミチーム長、リュ・ジヒョン幹事は、原州(ウォンジュ)の平和の碑(平和の少女像)の除幕式に参加しました。 
 午前10時30分に事務所から希望バンに乗って出発しました。余裕をもって出発しましたが、休日で道がとても混んでいました。幸運にも、行事の始まる30分前には到着することが出来ました。 
 平和の碑建立のため、原州改革市民連帯など革新保守が総網羅され、原州市内の市民団体が共に市民推進委員会を組織し、募金と広報活動をしてきて、ついに午後2時に原州市庁の前の広場に平和の碑を建て、開幕式を行うことができました。 
 今後、この平和の碑は原州市民と学生たちに、再び戦争も、日本軍「慰安婦」のような戦争犯罪も繰り返されてはいけないということを教えてくれる平和の象徴になるでしょう。 
 キム・ボクトンハルモニは祝辞で、「私たちのために尽くしてくれて感謝します。平和の少女像が、皆さんの子孫が我々の国でもこのようなことがあったのだと学ぶ教育のためになるはずだから、大切に保管してほしい。安倍がどんな謝罪の言葉もなかったので、心がとても痛いが、必ず謝罪を受け取るだろう。みなさんもくじけずに必ずともに頑張っていきましょう」とおっしゃいました。 
 そして、平和の碑建立のために募金された全額から、平和の碑を建てて行事を進行して、残った残額を挺対協の活動後援金とするとした推進委員会の決定に従って、ユン・ミヒャン代表に寄付金贈呈式が行われました。光復70年を期して行われた除幕式は、「光復節の歌」と「私たちの願いは統一」をともに歌って、幕を閉じました。 
 全国各地に建てられている平和の碑に込められた意味のように、どこでも戦争がない平和な世界となれば良いです。 
 
 原州(ウォンジュ)での平和の碑除幕式に続いて、清州(チョンジュ)でも平和の碑除幕式が開催されました。キル・ウォノクハルモニとハン・クギョム挺対協共同代表、キム・ドンヒ事務所長とソン・ヨンミ所長が出席しました。 
 金曜には全州(チョンジュ)、今日は清州、とても疲労を感じているハルモニは、「謝罪を受けたい。日本はあいまいにして次に進んでいこうとしているのだろうが、それではだめでしょう。皆さんも日本が謝罪するように手伝ってください」と言い、参加者から大きな拍手をもらいました。 
 最後にハルモニと学生たちが平和の碑に蝶々をつけるというパフォーマンスで行事は終わりました。 
 場所に対して青少年団体が反対をして、胸の痛むような現実の中で行われましたが、すぐに団体が平和を作っていくために、別の意見を互いに調整しながら、力を集めて除幕式を共に行えるようになることを期待し、清州を去りソウルへの途につきました。 
 平和の碑を建てる過程を通して、地域社会がお互いに声と立場を調整しながら平和につなげていくということが、今、私たちが作っていかなければならない平和な世界の良い事例になるのではないか考えます。 
 
 世宗(セジョン)市にも平和碑を建てるための活動が本格化しました。 
 世宗参与自治連帯、世宗YMCA、世宗YWCA、世宗民芸総、世宗教育希望ネットワーク、中央行政機関公務員労組など、60余以上の機関、団体と1200余名の市民推進委員が共にする平和の少女像建立市民推進委員会創立大会を今日、公式に開きました。 
 今年1月から民間団体20余団体が志を共にし、準備委員会を構成し、セジョン平和碑建立事業の出発を知らせ、日本軍「慰安婦」問題解決と朝鮮半島の平和と統一を願う講演会(ユン・ミヒャン挺対協代表)を皮切りに、子どもの日の行事、ジョチウォン桃の祝祭など、持続的に事業の広報及び市民推進委員の募集をしてきました。このような準備委員会の努力のおかげで総会を開催することになりました。 
 今後、平和碑建立のための多様な募金行事、日本軍「慰安婦」問題解決のための活動を進めていく予定です。 
 
 
(2)安倍総理の戦後70年談話への抗議 
 
<8月14日(金曜日)> 
 日本の安倍総理は、内閣決議を経て、午後6時に敗戦70年安倍談話発表しました。 
 約20分程発表をしたその要旨は、反省と謝罪、侵略と植民地の用語は入っていますが、日本政府の責任は全くなく、誰が誰に植民地支配をして、侵略がどこであったのかなどに関しては含まれていませんでした。 
 米国をはじめとする連合国の国々に対しては哀惜の念が読まれ、中国政府に対しても配慮をした安倍がいましたが、植民地に関して言及はしながらも、韓国に対しては言及さえもせず、続けて、植民地支配と侵略に関しては、言及も反省も謝罪もありませんでした。 
 結局、単語は入っていますが、その単語は全く意味をなさず、言葉だけが入っている状態でした。日本軍「慰安婦」問題も直接言及せず、戦時中の女性たちという表現をし、日本政府との関連性、責任を回避しようとする欺瞞的な談話でした。 
 これに対し、挺対協は即刻声明を出して抗議しました。 
 
<8月15日(土曜日)> 
 14日の晩、20分間程で発表された安倍談話に対して、キム・ボクトンハルモニが声明を発表されました。 
「私たちは、8.14安倍談話を待ちに待っていましたが、日本政府が私たちに謝罪せず、胸が痛いです。安倍政権が今回は誤ることなく謝罪すると思ったのですが、考えただけ無駄になってしまいました。しかし、私たちは挫けることなく最後まで闘います。日本政府からの謝罪を受けなければなりません。だから、みなさんも挫けてはならないし、私たちの力となって共に闘ってくれるようお願いします。韓国政府も進んで日本政府の謝罪を必ず受けられるように努力しなければなりません。国民の皆さん、日本政府の心のこもった謝罪を受けられるように、私たちと共に最後まで戦いましょう」 
 
(3)「平和ナビ大田行動」活動報告 
 
<8月18日(火曜日)> 
 大田(テジョン)地域が、メモリアル週間の活動ニュースを送ってくれました。大田地域では去る3月1日、平和ナビを結成し、市民推進委組織を維持したまま「平和ナビ大田行動」という団体を結成し、日本軍「慰安婦」問題解決と平和実現のための活動を展開しています。 
 
 平和ナビ大田行動は、8月14日午後7時、大田平和碑前でメモリアルを迎え、光復70周年大田市民統一文化祭「解放から統一へ」を開催しました。大田市民300余名が参加し、日帝に徴用された生存者の先生から証言を聞き、マダン劇団「チョッタ」が準備した日本軍「慰安婦」関連のマダン劇「ナビの夢」を観覧する時間を持ちました。 
 今後、平和ナビ大田行動は、毎月第2週の水曜午後7時に大田平和碑前で水曜文化祭を行い、積極的に世論活動と平和行動をすることを決定したという話も伝えてくれました。 
 平和の風は全国に吹いています。この平和の風が日本軍「慰安婦」問題解決!ひいては戦争の火種が消えない朝鮮半島を平和へ!統一へ!とつなげ、武力紛争が続く世界にまで広がっていくことを願っています。 
 
 また、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動ヤン・チンジャ代表招請懇談会を、大田地域市民団体活動家たちと共に行いました。 
 大田訪問は、在日朝鮮人「慰安婦」を支える会の会員であり、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表として活動しているヤン・チンジャ代表が、挺対協と国会の生活政治実践議員の集い(代表イ・ミギョン議員)、性平等政策フォーラム(代表ナム・ユン・インスン議員)が共同で主催する討論会に参席するため、韓国を訪問された中で行われました。 
 ヤン・チンジャ代表は、1992年、初めてソン・シンドハルモニに出会った経緯と、その後の日本政府を相手取った訴訟の経緯などを報告され、日本軍「慰安婦」問題解決のため開かれた「第12回日本軍『慰安婦』問題解決のためのアジア連帯会議」と「第13回アジア連帯会議」で、アジア被害者及び支援団体が採択した日本政府に要求する提言が実現されねばならないと話されました。 
 日本軍「慰安婦」問題解決のために、多くの良心的な日本人が本当に一生懸命駆け回っているということも話されました。 
 懇談会の後には大田市庁を訪問し、市長と会い、ソン・シンドハルモニの状況と日本軍「慰安婦」問題解決に関連した意見を述べ合いました。 
 
 
(4)第三回世界日本軍「慰安婦」メモリアルデー世界連帯集会メモリアルデー(焼身続報) 
 
<8月12日(水曜日)> 
 挺対協は8月12日、焼身により苦しむチェ・ヒョンヨルさんの病院費を作るために募金を始めました。 
 ユン・ミヒャン代表のフェイスブックに公示もし、ツイッターなどにも公示し、水原市民新聞に公告、会員団体に参与を呼びかけました。 
 
<8月19日(水曜日)> 
 午前10時、8月12日世界連帯集会場で焼身された後、漢江ソンシム病院重患者室で治療中のチェ・ヒョンヨルさんの対策委会議がありました。挺対協からはペ・ウェスク理事が代表として参加されました。 
 
 日本軍「慰安婦」問題解決のための1192回水曜デモが、水原地域牧師者連帯の主幹で行われました。 
 夏休み最後だからか、ほかの水曜デモの時よりも学生の参加が少なかったです。それにもかかわらず、多くの中高校生たちが参加してくれました。日本から来た女性たちも参加していました。 
・・・(中略)・・・ 
 最後の報告で、勤労挺身隊とともにする市民モイムのイ・クゴン常任代表が、8.12焼身されたチェ・ヒョンヨル先生の状況について報告し、遺言状の内容を要約して説明してくれました。合わせて市民社会共同対策委が組織され、対策活動を始めたとし、参加者の関心と支援を訴えました。 
 
<8月21日(金曜日)> 
 朝6時頃、8月12日世界連帯集会場で焼身後、病院で苦しまれていたチェ・ヒョンヨルさんが亡くなられたとの連絡を受けました。 
 すぐに事務所の活動家たちに伝え、挺対協フェイスブックなどに訃報を載せ、お葬式の手伝いをするために、挺対協の協力団体である社団法人ナヌムとナヌム及び太陽互助に相談をしました。 
 太陽互助の会員として参与している葬儀場で、葬儀を行う場合の支援は可能だという返答をもらったり、光州「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民モイム(集まり)」イ・クゴン代表に伝えるなど迅速な対応を採りましたが、役には立てなかったようです。 
 午前10時、状況室会議にキム・ドンヒ事務所長とチョン・ウンジ幹事が一緒に参加して、挺対協内部の連絡網を通して素早く状況を共有し、募金状況を確認しましたが、二人だけが参加した状況で、仕方なく挺対協理事たちと常勤活動家を中心に、一日中電話をかけ、募金を集めました。 
 幸いにも、博物館後援会員であるチョ・ヒョンジンさんが、会社の同僚と一緒に参与してくれると知らせてくれ、総3,430,000ウォンを集めることができました。 
 
 日本大使館前に故チェ・ヒョンヨル先生追慕のための焼香場を設置しようとしたところ、鐘路(チョンノ)警察署から阻まれ、遺影などを押収するという噂を聞き、鍾路警察側と交渉し、「これ以上、国民の憤怒を煽らないよう」など要求し、焼香所設置の許可を要請しましたが、警察署が決定できる事案ではなかったようでした。 
 現場にキム・ドンヒ事務所長とチョン・ウンジ幹事が行き対応をしましたが、どうにもならず、事務所に戻ってきて今後の対策を論議しました。現場には挺対協チョン・テヒョ理事とペ・ウェスク理事がずっと残ってくれました。 
 事務所に戻った後、午前1時まで事務所でユン・ミヒャン代表を始め、キム・ドンフィ事務所長、ヤン・ノジャチーム長、チョン・ウンジ幹事が、共に故チェ・ヒョンヨルソンセンニムの病院費募金の整理及び葬儀に関わる挺対協の協力体制などについて論議し、明日、キム・ソンシル共同代表とキム・ドンフィ事務所長、ヤン・ノジャチーム長が、一緒に直接光州の葬儀場を弔問し、家族に会って労いの言葉を伝え、病院費の募金も伝達することにしました。 
 
<8月22日(土曜日)> 
 キム・ソンシル共同代表とキム・ドンフィ事務所長、ヤン・ノジャチーム長が光州の葬儀場を訪問し、家族に会い、光州市民社会共同対策委の方にも会い、慰労の言葉を伝えました。 
 家族の方は「受け取れない」と一旦断られましたが、挺対協が病院費のために集めた寄付金3,430,000ウォンを渡しました。 
 
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 故チェ・ヒョンヨル先生の病院費募金に、心を寄せてくれた方々に深くお礼を申し上げます。 
 繰り返し公示したので、多くの方々が既にご存じかと思いますが、去る8月12日(水)、平和路で行われた世界日本軍「慰安婦」メモリアル記念世界連帯集会時、光州「勤労挺身隊ハルモニとともにする市民モイム」の会員であるチェ・ヒョンヨル(81歳)先生が、日本の歴史否定と責任回避、朴槿恵大統領の妹パク・クンリョン氏の暴言などに対して抗議し、市民に伝える数枚にわたる遺書を残したまま焼身されました。そして約10日間、重患者室で死闘に苦しまれた末に、金曜日の朝、息を引き取られました。 
 
挺対協は8月13日、この事件についての立場を声明を通して発表し、 
「光復70年に至るまで、正しく過去を清算できずにいる私たちの歴史の恥ずべき現実を嘆き、公的な言葉や社会の指導層に露呈する不適切な過去事発言が、日本の植民地支配及び侵略戦争被害者たちと家族、そして国民に大きな傷と怒りを与えていることに対して責任を問わざるを得ない」とした上で、チェ・ヒョンヨル先生の焼身について「私たち社会の責任である」と明らかにしました。 
 
 病院費募金のためにブログやフェイスブックで公示しましたが、募金が上手くいかず、結局、募金を挺対協内部と連帯団体に転換し、挺対協会員団体、及び理事と活動家、後援会員を中心に参与を呼びかけました。 
 有難くも沢山の方が心を寄せてくれました。ユン・ミヒャン、ハン・クギョム、キム・ソンシル共同代表をはじめ、イ・ジョンフィ、カン・ヘジョン理事がそれぞれ10万ウォンずつ後援してくださり、事務所でもキム・ドンフィ事務所長、ソン・ヨンミウリチプ所長、ヤン・ノジャチーム長、チョン・ウンジ幹事が参与してくれました。 
 戦争と女性事件博物館のイ・ジヨン チーム長とコ・ユニ チーム長も参与してくれました。 
 会員団体であるイファ民主同友会も30万ウォンを後援してくれ、協力団体であるアイコープ生協ソウルのチョン・ソルギョンさん、平和ナビ大田行動チェ・ヨンミン共同代表も後援金を送って下さいました。 
 「必ず立ち上がって下さい」という名前で後援金を送って下さった方もおられ、挺対協募金活動に欠かすことなく参与してくださるホン・インギ後援会員、キム・ソギョン キム・ウンソン平和の碑彫刻家夫婦、日本の平和活動家である寺下さんも後援金を送ってくださいました。 
 ク・ボンイルさん、インジャ教会も共にして下さり、博物館の支援活動家であり後援会員であるチョ・ヒョンジンさんは100万ウォンを送って下さり、職場の同僚の方々も参与してくださいました。 
 みなさんの参与と後援をそのまま集め、今日、お父さんを送り出す胸痛む家族に直接会い、私たちの誠意も一緒に伝えることが出来たことを、皆さんと共有したいと思います。力を集めて下さった皆さんに、もう一度心から感謝の挨拶を送ります。 


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