2015年10月23日19時08分掲載  無料記事
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反戦・平和

挺対協週刊ニュース2015−35号(10月2日発行) 〜欧州キャンペーン in ノルウェー & イギリス

 35号週刊ニュースはドイツ・ベルリンから送ります。 
 ヨーロッパキャンペーンに来ている間に秋の訪れを感じるようになりました。夜はとても肌寒く、身を縮めて過ごす時間も増えました。それでも、もうすぐ家に帰ることができるので、家に帰ったら数日間でもゆっくり過ごせると期待して、毎日誰かに会い話を伝え、手をつなぐことができる人たちと懸命に話し合っています。 
 多いとはいえませんが、私たちにとって、とても大切な友人が世界のあちこちにいるということに、大きな希望を感じています。時間は多くありませんが、希望を捨てることなく続けていけば、この希望が現実になることを信じて頑張ります。私たちの希望となってくださっている方々に心から感謝申し上げます。 
2015年9月22日 
ベルリンにて 常任代表ユン・ミンヒャン拝 
 
<9月14日(月曜日)> 
 先週に続きノルウェーオスロでの活動を続けました。雨がぽつぽつ降るオスロ、週末にも雨が降り、朝にも降り、午後には陽ざしがあったものの夕方にはまた降ったりやんだりを繰り返しています。 
 まず午前には、国際アムネスティーノルウェー事務所を訪問しました。ジョン事務総長とパトリシア政策顧問が私たちを歓迎してくれました。ノルウェーの人口の1%くらいがアムネスティーの会員だという情報を事前に聞いて訪問したためか、重い責任感を感じての訪問でした。 
 
 初めにユン・ミヒャン代表が挺対協を紹介し、国連をはじめ国際機構の努力について報告しました。そして、7年前に採択されたEUの会議の決議が未だ実行されておらず、文書だけ残っている事実と、10年前にアムネスティーが発表した日本軍「慰安婦」問題報告書と勧告も未だに守られておらず、無視され続けていることを伝えました。 
 そして、ノルウェー外務省と面談してきた結果を報告し、アムネスティーも来年、国連人権理事会の場でノルウェー政府が日本政府に対するUPR会議をする時に、日本軍「慰安婦」問題について質問できるよう活動して欲しいということや、アムネスティーの報告書から、この10年間どのような進展を見せてきたのか日本政府に質疑をし、実行させることができるよう活動して欲しいということなど、支援と協力を要請しました。 
 続けてキム・ボクトンハルモニが発言をしました。「第二次世界大戦の時の過ちを許してくれと請わなければならないのに、今現在、戦争の準備をしているなんてとんでもない」90歳のハルモニの言葉とは思えないほどハキハキした声と語調が伝わってきます。 
 ジョン事務総長は、「ハルモニの戦争での経験だけでも本当に胸が痛むのに、戦後も逞しく生き残られ、こうして活動してくださっていることに強く感銘を受けた」と感謝の言葉を述べられました。そして、ノルウェー政府への要求事項について、ノルウェー政府に手紙を送るなど、行動していくことを約束されました。 
 パトリシア顧問は、日本軍「慰安婦」問題が話題になった当時の状況を細かく質問され、ユン・ミヒャン代表が韓国の民主化運動と女性運動の発展の中で日本軍「慰安婦」問題が本格化されてきたことを説明しました。今後進めていくべきことを一緒に考えていくことを確認し、アムネスティーを象徴する看板の前でハルモニと一緒に記念写真を撮り帰ってきました。 
 
 午前のスケジュールを終え、少し宿舎で休憩した後、午後にオスロ平和研究所を訪問しました。この研究所は、ノルウェーの代表的な平和研究機関として多くの研究者が紛争と平和について研究しているところです。 
 今日お会いした研究者は、アジア地域と韓国に関心を寄せられ、関連した論文も準備されているとのことでした。けれど、やはりノルウェー社会にはまだ日本軍「慰安婦」問題について十分な情報が伝えられていないためか、歴史的背景についての説明に多くの時間が費やされました。学者らしい容貌のとおり、その都度、気にかかったことや確認したいことを質問され、ご自身の意見も存分に話されました。準備した資料は全て差し上げ、日本の歴史学者たちとの接触も提案し本も推薦するなど、結構な時間が過ぎていきました。 
 日本軍「慰安婦」問題が、民族的な問題としてだけ捉えられてはならず、人権と女性の問題であることとの共通認識を確認する中で、特に挺対協のナビ基金活動の中で行われたベトナムでの韓国軍性暴力被害者支援及び基地村女性運動との連帯などの活動について深く共感されました。 
 韓国の軍事主義政権について間違った情報も伝えられており、それに対する説明も付け加え、長い対話を終えた後には、また一歩ノルウェーに近づけたように思います。 
 
<9月15日(火曜日)> 
 ノルウェーオスロから英国ロンドンに出発しました。ノルウェーでスケジュールをこなしていく間、私たちの通訳としてご一緒してくださったシム・ジナ、イ・ジュヨンさんに感謝いたします。オスロ大学の行事を進めて下さり組織してくださったパク・ノジャ教授からも、多くのお力添えをいただきました。 
 私たちはここを去りますが、今回のことをきっかけに、今後オスロで日本軍「慰安婦」問題に対して関心をよせ、戦時性暴力被害を生み出す戦争に反対する活動に関心をもって連帯する動きが起こっていくことを祈っています。おかげさまでオスロでの活動を終えることができました。次はロンドンに行ってきます。ありがとうございました。 
 
 駐ノルウェー韓国大使館イ・ビョンファ大使とシン・ソッコン参事官に感謝申し上げます。雨が降る中、空港まで私たちを乗せて下さった大使館の運転手さんに本当に感謝いたします。 
 今までの海外キャンペーンとは違い、今回のヨーロッパ巡回キャンペーンでは、一日だけでも不慣れな外国生活を楽にしようと心を配ってくれたのが、韓国大使館の支援でした。私たちはノルウェーからオスロに着いたのですが、荷物が別に空港に到着してしまい呆然としていたときも、車でオスロ空港まで一緒に行って下さり、荷物を宿舎まで運んでくれたノルウェー韓国大使館のシン・ソッコン参事官様、勤務外の夕食時間にも関わらず私たちのために時間を捻出してくださり、助けて下さったことに本当に感謝いたします。 
 イ・ビョンファ駐ノルウェー大使様は、ハルモニがとても嬉しそうに「この間、どんなに忙しく駆け回っても大使が直接私たちを歓迎してくれなかったのに、どういうことだい?」と喜ばれるほど、私たちを温かく食事に招待してくださいました。特に、大使館に招待し、故国から送られてきたテンジャング(味噌汁)と雑穀のご飯、ほうれん草の和え物やキムチでおもてなしくださり、また、ノルウェーで有名な鮭のお造りに舌鼓をうちながら体を癒すようにしてくださいました。帰りがけにはキムチを持たせて下さり、食べ物の郷愁も癒してくださいました。 
 ノルウェーでのスケジュールを終えロンドンに行く日、朝から雨が強まり激しく降りました。荷物をどうしようかと悩み、タクシー代もずいぶんかかるだろうし、どうやって空港までいこうかと頭を悩ませていた私たちに、大使館の車を提供してくださり、安心して空港まで行けるようご配慮いただきました。本当にありがとうございました。 
 
<9月16日(水曜日)> 
 英国外務省を訪問し、面談をしました。写真は撮れないということで、写真を残せませんでした。英国でのスケジュールは、どういう訳かとてもダイナミックです。ロンドンの天気と交通が、どうも私たちに厳しいデビュー戦を強いているようで、英国での初日は、英国外務省との面談にこぎつくまでに紆余曲折がありました。タクシーの運転手さんがロンドン市内の道をよく知らないのか、外務省の住所を渡したのにセントジェームスパーク駅に車を止めて、「もう着いた」と言い続けるのです。公園の横の外務省だからかしら^^。そこは公園と道路しかないところです。住所をもう一度確認し略図まで書いて渡しても、一回りしてまた同じところに車を止めるのです。結局、途中で降りて別のタクシーに乗り換えて外務省に着きました。 
 あちこち移動するのにお金と時間ばかり浪費した水曜日の朝でした。約束の時間にずいぶん遅れたので、焦りながら外務省に入ったのですが、ここは雨が降れば言うまでもなく交通地獄になるから、遅れてくると思っていたとのことでした。申し訳ない気持ちでお会いしたのですが、「全然大丈夫だ」と笑顔で私たちを迎えて下さり安心しました。 
 英国外務省では、アジア太平洋担当者の3名の女性が出てこられました。ユン・ミヒャン代表は「時間を割いて下さりありがとうございます」と挨拶し、挺対協の資料とキム・ボクトンハルモニの証言資料、そして英国政府に要請項目を公文で渡しました。第13回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議で採択された決議文と、連合国だった国々に連合軍文書を公開の公開および真相調査を要請するなどの内容でした。EU決議採択の内容の重要性を説明し、英国政府が進めている戦時性暴力予防に関するG8宣言などを通して、日本軍「慰安婦」問題解決のための役割を担って欲しいとお願いしました。 
 キム・ボクトンハルモニは、疲れた様子も見せず、アジア太平洋担当者3名の女性たちに、英国政府の協力を要請しました。日本軍人に連行され、荷物のように連れまわされ、各地で性奴隷とされ、死ぬ前に日本政府から謝罪を受けられるよう各国政府が働きかけてくれれば本当にありがたい、そんな気持ちでここまできたのだと話されました。ナビ基金に込められた自身の気持ちも忘れることなく説明されました。 
 政府関係者たちは、つらい話を話してくださったハルモニに感謝の挨拶を伝え、戦時性暴力を防ぐため、英国政府がとっている政策について説明し、今日聞かせてもらった情報を当該チームに伝えるとおっしゃいました。今後もこの事案について話し合っていくことも約束されました。海外にいて会うことができない英国政府の戦時性暴力予防に関する特別代表にも伝え、書簡も送ると仰られました。 
 最後に、ユン・ミヒャン代表は有事犯罪の「予防」のためにも、日本軍「慰安婦」問題が解決されねばならない点を強調し、ハルモニは最後に、必ず戦争がなくならなければならないという言葉を付け加え、和気あいあいとした面談が終わりました。 
 
 アムネスティーインターナショナル事務所を訪ね、活動家たちと一緒にセミナーに参加し、法律政策チームとジェンダーチーム実務責任者たちと具体的な解決方案について討論しました。 
 英国外務省での面談を終え、建物の外に出てみると雨脚はますます強まっていました。息をつく間もなくすぐにアムネスティーに向かいました。ハルモニのロンドン訪問をきっかけに、アムネスティー活動家たちとのセミナーが準備されていたからです。 
 女性暴力中断のための16日行動に紹介されたハルモニのインタビューの内容をまず画面で映した後、キム・ボクトンハルモニがマイクを握りました。「うまく話せない」とおっしゃられながらも、自身の歴史を紐解き関心と支援を訴えられました。 
 ハルモニの話に大きな拍手を送った参加者たちは、他の被害国はどこなのか、戦後、被害者が家に戻った後の韓国社会と家族の反応はどうだったのか、また、アムネスティーが具体的にどんな支援をすればよいのかなど、様々な質問が出ました。ユン・ミヒャン代表とキム・ボクトンハルモニが一緒にマイクをとり、質問に答える中、いつの間にか約束の時間が過ぎていました。 
 世界一億人署名運動に署名する人たちや、ハルモニとあいさつを交わす人たちがいる中で行事を終え、すぐにアムネスティーの国際事務局職員たちとの別の会議をもって今後の計画について具体的に話をつめました。 
 特別に来年に迫っている国連人権理事会の日本政府の人権審議で、各国政府が日本軍「慰安婦」問題について質疑と勧告を出してくれるよう協力してくれることになりました。 
 実は、最初に席に着いた時は、すでに10年前アムネスティーの関連報告書が発表されているし、その後各国議会の決議採択と国連勧告など、多くの成果があったにも関わらず、未だに解決されていない状況があるということに、お互いにもどかしいと感じている雰囲気があったのですが、実際に今後すべきことと計画を考え始めると、目を輝かせて積極的な意志を示しているのが確かな活動家たちの姿でした。 
 
 息切れするほどの今日のスケジュールがこうも簡単に終わるのかと思いきや・・・ロンドンの交通状況は、ソウルに引けを取らないくらい私たちを疲れ果てさせました。こうして今日一日を終えていきますが、ロンドンでの夜は、あとまだ5日残っています。 
 
<9月17日(木曜日)> 
駐ロンドン韓国大使館が、キム・ボクトンハルモニと挺対協国際キャンペーンチームを昼食会に招待してくださいました。 
 イム・ソンナム大使は、ハルモニを招請した場で、直接料理をよそったり、付き添ったりして下さいました。キム・ボクトンハルモニは、いつもは昼食をとられませんが、今日は少し召し上がられながら大使のおもてなしを喜んでおられました。 
 特に、ハルモニは最後に活動する日、空港まで遠いから車を提供して頂けないかと訴えられたところ、大使館の車を出してくれるというのでとても喜んでおられました。英国で韓国政府も外交活動を積極的に行ってくれることを要求し、英国政府及びアムネスティーとの面談の結果を伝え、政府間レベルでの努力を求めました。 
 
<9月18日(金曜日)> 
 ロンドンにいる在英韓国文化院で、留学生や同胞たちと日本軍「慰安婦」被害者キム・ボクトンハルモニと挺対協ユン・ミヒャン代表から、日本軍「慰安婦」被害者の苦痛について、歴史的背景とこれまでの活動、現在の生き様について学び、共有し連帯する時間を持ちました。 
 入口では、支援奉仕員が世界一億人署名を集め、会場の入り口付近には子どもたちがハルモニの歴史を勉強し絵で表現した作品がハルモニの作品とともに並んでかけられていました。ハルモニを応援するために花を活け贈って下さった方や作品を展示してくださった画家もいらっしゃいました。 
 まず、少女の物語のアニメを見てから、キム・ボクトンハルモニの証言が始まりました。今日のハルモニはなぜだか、いつもよりより詳しく自身の経験を話して下さいました。中国広東に到着した初日に身体検査を受け、将校に強かんされた後、次の日に血のついたものを洗濯し、友だち3名と自殺をしようとしたけれど、死ぬことさえままならなかったと話すハルモニの言葉に、あちこちからすすり泣きする音が聞こえてきました。 
 ハルモニの証言に続き、ユン・ミヒャン代表が歴史的な資料を土台に問題を説明し、運動の流れと状況について紹介しました。 
 質疑応答の時間には、韓国に生存者がどれだけいるのか、別の強制動員被害者たちとの連帯はあるのか、ハルモニの解放後の生活はどうだったのかなど、多様な質問がありました。英国で40年暮らしてきたある神父のおじいさんは、ハルモニが来てくださって本当にありがたいと繰り返し挨拶をされました。 
 セウォル号問題に連帯しているという英国人が、韓国の若者たちがこのような問題について討論するのを、政治的だという理由で避けていることを何度も経験したと話されもしました。けれど一方で、多くの若者たちがナビ活動を通してこの運動を引っ張っているという事実を伝え、考え方の異なる人や、このような問題を後回しにしている人とも絶え間なく対話していかなければならないということを互いに認識しました。 
 心のこもった料理を準備してくださったことも含め、今日一日はハルモニにとって、英国に来てたくさんの韓国人に会い、韓国料理もお腹いっぱい召し上がられた日になりました。また、サバティカルでロンドンに暮らしていらっしゃる日本の林博文教授が遅れて来られ、一緒に食事をし、ハルモニを励まして下さいました。すべての方々に感謝申し上げます。 
 
<9月19日(土曜日)> 
 安倍政権が、ついに安保法制を強硬処理しました。それも明け方に強硬しました。このニュースをロンドンとソウルでやり取りし、待機していましたが、挺対協はすぐさま糾弾声明を作り、意を共にする団体を組織しました。そして「過去を反省せず民主主義を破壊し戦争にひた走る日本政府を強力に糾弾する。安保法制を即時廃棄せよ!」という安保法制強硬処理糾弾声明を発表しました。 
 日本は今、強硬処理した法に基づき米国など「密接な関係国」に対する武力攻撃が発生した場合などの「存立危機事態」と認められる6つの事態が発生した場合、自衛権行使が可能になりました。これで平和憲法と呼ばれる憲法9条により「戦争しない国」だった日本は、「戦争できる国」に堂々と変わってしまいました。 
 戦後70年が過ぎた今まで、侵略戦争と植民地支配という犯罪を反省せず解決しなかった戦犯国日本が、再び戦争に向かって爆走する今の事態は、まさに衝撃であり湧き上がる憤怒を抑えることができません。日本軍の性奴隷とされ戦場で徹底的に人権を蹂躙された日本軍「慰安婦」被害者たちの絶叫が止むことなく、数多くの戦争の犠牲者と被害国の痛みが癒されずにいる今日、日本は再び戦争をし、被害者を生み出そうとしています。たとえうわべだけの平和憲法であっても、再び戦争ができないように最小限の制御装置としての役割をしてきた憲法9条さえ破り、帝国主義日本の復活に向けて疾走しています。 
 挺対協の声明に参加した団体は、平和憲法を作らせた当事国である米国が、自国の利益と安保のために日本を戦争同盟国として武装させていることについても糾弾し、その責任を厳重に問いただしました。合わせて韓国政府にも明確に反対と廃棄を要求せよと訴えました。 


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