2015年11月28日17時51分掲載  無料記事
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社会

「放送法遵守を求める視聴者の会」の記者会見と放送法

  11月26日、東京・丸の内で「放送法遵守を求める視聴者の会」の会見が行われた。この会は産経新聞(11月14日)や読売新聞(11月15日)などで「私達は、違法な報道を見逃しません」としてTBSの「NEWS23」のメインキャスターである岸井成格氏を名指しで批判したことで注目を集めたばかり。ゲンダイなどによればこの意見広告では岸井氏が安保法に反対の意見を自ら開陳したことを「政治的に公平であることなどを定める放送法に反する」と批判した。 
 
  26日の記者会見では代表のすぎやまこういち氏は放送法4条に触れ、放送では政治的に公平であることが要求され、意見の対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすることが求められると語った。民主主義が健全に機能するためには国民が多様な情報や意見を広く見渡しながら主権者として政治判断をしていく必要があり、そのためには放送法4条が守られていることが大変重要であると語った。 
 
  「放送法遵守を求める視聴者の会」の記者会見に参加したアメリカ出身のケント・ギルバート氏(弁護士)はある報道番組の安保法制への批判報道を「幼稚なプロパガンダである」と批判。報道は公平さを要求されるものであり、それを欠いた一方的な報道をしているとプロパガンダ機関になってしまう。プロパガンダをやりたい人たちはデモを行ったり、お金を出して広告を出してやればよいので、放送局が宣伝する必要はない。放送局自体が活動家になってしまっているように見える。そうなると放送局に対する信頼性は下がると指摘した。 
 
  しかし、放送法が求める「政治的公平性」とは、放送法が制定された当時の記録をひもとけば、放送法で「政治的公平性」を要求されたのはそもそも放送事業者ではなく、政府であるとの反論が出ており、自民党の放送法の解釈はまったくの誤りであるという指摘がある。 
 
  つまり、選挙で勝ってたまさか政府を構成したとは言え、一定期間に限定された政治勢力に過ぎない政府が放送局に圧力をかけて政府に有利な報道を強いたり、政府批判の報道を抑圧するような介入は放送法に反する違法行為であるとするのが放送法の趣旨だというのである。その意味で言えば自民党が最近執拗に行ってきた報道への介入は度重なる放送法違反ということになる。政府がたまたま今は自民党(公明党)だが、かりに民主党政権であれ、共産党政権であれ、同様に一政治勢力として報道機関に介入すべきではないのである。 
 
  このことで言えば昨年11月、安倍政権が国会を解散して総選挙を行った時の9時のNHKニュースの報道が思い返される。そのニュース番組では国民が疑問に感じている国会解散について、一見、国民の疑問点を首相にぶつけるような体裁ではあったが、本質的には安倍首相が語りたいことだけを十分に時間を割いて語らせていた。この時に限らず、安倍政権になってから政府が報道に過剰に執拗に介入していると感じる人は多いはずである。実際、「国境なき記者団」による「世界報道自由度ランキング」で日本は安倍政権になってから下がっていく一途である。今年に入ってついに61位にまで下落してしまった。台湾や韓国よりも低い。 
 
  政府は権力であり、マスメディアには権力を監視する役割がある。そのためには報道の自由と表現の自由がなくてはならない。このことはかつてソ連や社会主義陣営の報道統制や検閲を批判してきた西側自由主義陣営の共通の理解でもあるはずである。その意味で言えば政府が報道機関による批判を封じて、自分に都合のよい弁明だけを報道させようとするなら放送法違反ということになる。いや、放送法があろうとなかろうと、ジャーナリズムの役割が権力の監視であるなら、政府批判の報道が行われることは当然なことであり、英国のBBCにおいても常識である。その場合に双方の意見を等分に番組にさしはさむ必要はないのではなかろうか。 


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