2015年12月04日12時24分掲載  無料記事
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末廣昭著 「タイ 開発と民主主義」

  末廣昭著「タイ 開発と民主主義」(岩波新書)は「タイ 中進国の模索」(岩波新書)と並んで、1000円未満の廉価でクオリティの高いまとまった情報が入手できる書籍です。近年、新書と言っても中身の薄い、あるいはボリューム自体が少ない本が増えていますが、末廣氏の書き下ろしたこの2冊は中身が詰まっています。 
 
  タイではしばしば軍事クーデターが起きており、昨年も起きて現在も軍事政権の統制下にあります。タイではなぜこれほど軍事クーデターが常態化しているのか?その謎を解き明かそうと思うと、タイの近代史、あるいは現代史をひもとかなくてはなりません。そこではタイでどのような政権が生まれ、権力闘争を繰り広げてきたのか。それらの政権と経済成長はどのような関係にあったのか。また、王室と軍との関係はどうなのか?さらに仏教はどう絡むのか? 
 
  こうした基本情報をベースにして初めて、赤シャツ派や黄シャツ派といったタイで近年、顕在化した勢力争いの実像が垣間見えてきます。本書は政治、経済、社会と多角的にタイの近現代史を追いかけています。しかも実際にタイに足を運んで研究者として自らの目で見て感じ、肌で触れたタイの第一次情報が詰まっています。 
 
  とくに興味深く感じられたのはもともと土地が痩せており、貧しかったタイ東北部は共産主義の根拠地になっており、タイの歴代軍事政権は共産主義の広まりを恐れてこの地域を弾圧してきたと同時に、アメも与えてきたということです。 
 
  「タイ共産党が1965年8月から、東北タイで武装闘争を開始したことにより、政府の地方・農村開発計画は、国内外の共産主義勢力の浸透・拡大に対する対抗戦略へ急速に傾斜していった。例えば、サリット首相が1960年に開始した地域開発計画(CD計画)は、タノーム=ブラバートの時代に、その対象地域を大幅に拡大するだけでなく、共産主義勢力が浸透していると軍がみなす「赤い地域」や「ピンク」地域へ集中させていった。1970年当時には、CD計画は東北タイ各県を中心に6682カ村に達したほどである。さらにCD計画を圧縮して行う「加速的農村開発計画(ARD計画)」も、1964年から開始された。・・・」 
 
  タイ東北部は稲作地帯の北部と並んでタクシン元首相が率いたいわゆる赤シャツ派の根拠地となっており、人口がタイで最大であると同時に貧困層がもっとも多い農村地域です。グローバリズムが進行する中で、タイ米がもっと安いベトナム米など周辺国の米に追い上げられ、競争が激しくなり、米価下落が農村地域の生活を成り立たなくさせつつあります。 
 
  タクシン元首相の妹、インラック氏はタイ東北部の貧困な農民に対して優遇政策を取ると約束し総選挙で勝利しました。東北部を征することは票数の多さからいっても、タイの政治を揺るがす可能性をもっており、油断できないものです。 
 
  インラック政権は東北部の農民に米を政府が高値で買い取ると選挙運動の中で保証しましたが、米を政府が農民から高値で買取る政策はまもなく、国際米価の下落によって破綻してしまいます。買い取れば買い取るほど国庫の赤字が膨らみ、ついには国庫の米価政策用の予算を空にしてしまうに至ります。政府から米を買い取ってもらえなくなった農民の中には借金が返済できなくなった挙句、自殺が相次ぎました。米の高値買取政策が長引くと思い、農機具を買ったりするなど投資を拡大したことが裏目に出てしまったのです。 
 
  さらに一般市民による反政府運動が首都バンコックを中心に過激化していきます。財政事情を無視した米の高値買取政策は農民に対する政府の買収政策である、という一般市民の批判が高まります。こうしてバンコクに市民が集まり、インラック政権打倒を求める闘いが一昨年秋に加熱しました。一方、インラック政権を支持する赤シャツ派の農民たちもタイ北部や東北部からバスを連ねて上京し、政府支持を訴えかけて泊まり込みを行います。米代の支払いが滞っているのは政府を批判する勢力が妨害しているからだ、というのです。 
 
  こうした両派のにらみ合いの中、昨年五月、プラユット総司令官が軍事クーデターを起こします。軍事政権は赤シャツ派の拠点を次々と襲い、幹部らを逮捕拘禁しました。同時に赤シャツ派の拠点となっているタイ東北部の農村では闇金融の撲滅や滞って自殺の原因となっていた米代の支払いなど、農民への懐柔策を次々と行っていきました。この農民懐柔策はベトナム戦争当時、タイ東北部の共産主義化を防ぐべく、東北部優遇政策をとった当時のノウハウが生かされていると言われています。しかしながら、軍事政権は未だに民主化への移行を完了できておらず政権掌握を長引かせています。 
 
  われわれ日本から見ればタイ米は安い米の象徴でしたが、タイの農村から見ると、周辺の労賃の安い国々の米に駆逐される恐れがあります。タイにおいても自由貿易で利益を受ける層と不利益を被る層とに二分化が進んでおり、そのことが一昨年にはタクシン派 対 黄色派(あるいは国旗派)というような形で亀裂を作り出しました。その亀裂を埋める手立てがなかなか簡単にはないのでしょうか。憲法を制定して、民政へ移管する時期が長引けば長引くほど軍事クーデターを起こしたプラユット総司令官へのタイ国民の不信が増幅させることにもなりかねません。 
 
  アジアにおける民主主義は欧米の民主主義とは違った歩みを持つのが本来なのでしょうか?そうだとすれば中東には中東の違った民主主義があるのでしょうか?・・・西欧の民主主義を受容し、学んできた立場にある日本人はしかし、西欧民主主義を本質的には理解できていない節もあります。 
 
  こうした専門家による質の高い本はハードカバーで買うと、4000〜5000円から、7000円近くまでするものが少なくありません。しかし、岩波新書では700円台あたりと極めて市民が手にしやすい値段になっています。 
 
 
■タイ軍事政権、1年半長期化 17年7月に民政復帰へ新工程表(日経) 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM16H5H_W5A910C1FF2000/ 
  軍事政権は再来年の2017年6月に総選挙を行い、7月に民政移管すると発表した。目下、新憲法の制定も進んでいない。 


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