2015年12月07日09時25分掲載  無料記事
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ジャン=フィリップ・トゥーサン著 「衝動と我慢」(L' URGENCE ET LA PATIENCE)

  紀伊国屋書店でジャン=フィリップ・トゥーサンのエッセイ集「衝動と我慢」(L' URGENCE ET LA PATIENCE) を買いました。これはミニュイ社から出ている新書版です。ですから、タイトルをこう訳すべきなのか、もっと別のよい訳語があるのか、確信が持てずにとりあえず、僕の理解のままにこう訳しておいたものです。もしかすると、「衝動と忍耐」とする方が、あるいは「急迫と辛抱」とか、「切迫と辛抱」とかにする方がよいのかもしれません。 
 
  いずれにしてもトゥーサン氏の持ち味である軽さを維持していながら、同時に誠実かつ率直に自分の創作について語っている本です。その意味で読み始めると面白く、ページが次々とめくれていく体験をしました。 
 
  トゥーサン氏と言えば最初に登場したのが1980年代半ばで「浴室」という、今までにない不思議なスタイルの小説でした。本書でも少し触れられていますが、「人間は考える葦である」で知られるパスカルの「パンセ」にも似た、1章1章が数十行ごとに分かれていて、その間に間が空いています。このスタイルによって読者が本の中で行われている出来事を少し距離感をおいて、ユーモアをもって眺められるようになっています。そして、長々と糸をひかず、1つの段落が小気味よく完結してある種の余韻を残しながら、次の段落に話が展開していきます。あたかも4コマ漫画の連載を1冊にまとめたような印象でした。1980年代当時を思い返すと、映画の世界ではジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」という映画が大ヒットしており、この映画もまたシーンとシーンの間に黒味が入り、1シーン、1シーンで完結した話が連続して続いていくスタイルでした。それらはいかにもあの時代特有の軽さのように思えるのです。 
 
  当時買った本の紹介欄でトゥーサン氏がフランス最難関の大学を出たエリート青年であることを知りました。そのエリートがさらっと才気で書き上げたかのような印象を持ったのです。そして、トゥーサン氏の実像がどんな人で、どんな生活を送っている人なのか、その肉声はあまり伝わっていなかったのではないか、という気がしています。ベルギー出身の若者がフランスの大学に留学してフランスでデビューする、というような作家としての登場の仕方も日本から見ると、不思議な印象を与えるものでした。あとでわかったことですが、フランスの兵役免除の代わりに、アルジェリアの高校で教師をしていたそうです。そして「浴室」はアルジェリアで生まれたようです。しかし、ミニュイ社で出版が決まるまで、出版社からは採用拒否の連続だったとも書かれています。 
 
  この「L' URGENCE ET LA PATIENCE」において、トゥーサン氏はその謎を埋めるかのように、自分がデビューした頃のことを書いているのです。ですから、今までの謎が初めて明かされるような面白さを感じたわけです。トゥーサン氏は本書の中で20歳の頃まで小説をあまり熱心に読んだ記憶がなかったと書いています。大学の専攻は歴史学だったそうで、学業に必要な読書を除くと、文学かぶれしていたわけでは全然なかったと言っているのです。むしろ、本当にやりたかったのは映画製作だったと。ところが、小説を書いてみようと思ったきっかけには2冊の本が決定的だったというのです。1冊は映画監督フランソワ・トリュフォーの映画製作についての本であり、1冊はドストエフスキーの「罪と罰」だったと言います。 
 
  トリュフォーの本に書かれていたことは映画製作は資金が必要だし、さまざまな制約があって楽ではないが、小説を書くのはまったく自由で、しかも紙とペンさえあればよい、ということで、これがトゥーサン氏にペンを取らせるきっかけになったというのです。トゥーサン氏は小説家としてデビューした後に自作を映画化するなど、小説から映画に歩みを進めていきました。この本ではそのあたりのトゥーサン氏の歩みがよく理解できます。そして、そのあたりのいきさつは長年、よくわからなかったところでもありました。創作論といったことだけでなく、メモに使っているのが無印良品の手帳であるとか、鉛筆は三菱製であるとか、身の回りのマテリアルのことも興味深いものです。 
 
  タイトルの「衝動と我慢」(L' URGENCE ET LA PATIENCE)とは小説を書く上での2つの基本的な事柄を語ったもので、アイデアが出てくるに沿ってどんどん書いていきたい衝動と、思いつきで書きなぐった文章を今度は少し時間をおいて客観的な目で読み直してよりよい表現とか、物語の方向修正とかを行う忍耐との両方が必要であることを意味しています。この2つの事柄が作家によって、その割合の多少は違っているけれども誰しも持ち合わせているものである、と語っており、つまるところ、トゥーサン氏は書いたものを何度も読み返して手を入れる人なのだな、ということがうかがわれます。 
 
  トゥーサン氏の最新作は「フットボール」というこれまたエッセイに近い本ですが、自己を語る、あるいはこれまでの人生を余裕をもって振り返る作品が2作続いています。この2作はとても面白い作品です。しかし、残念ながらまだ日本で翻訳出版されていないようです。 
 
■ジャン=フィリップ・トゥーサン著 「衝動と我慢」 (L' URGENCE ET LA PATIENCE) その2 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201608071454500 
 
■ミニュイ社の本書の紹介欄。 
http://www.leseditionsdeminuit.fr/f/index.php?sp=liv&livre_id=2726 


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