2016年01月27日11時52分掲載  無料記事
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安倍政権を検証する

参院選と改憲 戦後の自由を保証した個人主義の終焉の年となるか

  安倍首相はこの夏の参院選で勝利した後、国民投票で過半数を得て憲法改正を行う目算です。しかし、日本国内では憲法が大きく変わる、つまり、日本国家のあり方が大きく変わることに対する緊張感が弛緩している印象があります。 
 
  たとえば自民党の改憲案には個人の尊重が欠落していますけれども、このことは思想や表現の自由に対する大きな妨げになるでしょう。本来ならばジャーナリストや芸術家から、アクションが起きてもおかしくないことです。 
 
  改憲の本質は個人が国家に服従することにあり、個人的見解は公共の利益に反しない限りにおいて許容される、ということになります。司法が行政に遅れを取っている日本においては事実上、政府が公共の利益かどうかを判断する主体になっています。つまり、改憲によって政府が個人の思想や表現の自由がどの程度許されるかを判断することが憲法上認められる事態になります。ジャーナリズムの本質が政府の監視であることを考えた場合、恐ろしい事態です。 
 
  今、安倍政権下で盛んにメディアが呼び出しを受けたり、恫喝されたりしていますが、そういったことが憲法で認められた常態と化すことを意味しています。テレビのコメンテーターや司会者が政府の注意で交代させられることも常態となるかもしれません。いや表看板だけでなく、裏で働くスタッフの人事にも影響することになりかねません。 
 
  しかし、ことはマスメディアに留まらないでしょう。改憲によって大新聞や放送局ばかりでなく、ブログや演劇、映画などもまた干渉や注意、監視の対象となりえるのではないでしょうか。上演される戯曲の選定過程への干渉や舞台表現上の注意なども出てくるかもしれません。映画や演劇などは経営上のやりくりの厳しい今日、あとから演出の手直しやシーンの修正などが出ないように政府に事前検閲を自主的に希望するようになっていくかもしれません。これらの事態は憲法から個人主義を削除することによって起きることです。 
 
 
■自民党憲法改正案「第十三条 全て国民は、個人として尊重される」(現行) ⇒「第十三条 全て国民は、人として尊重される」(改正案) 個人と人の違いとは? 
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