2016年03月11日00時58分掲載  無料記事
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コラム

「ナショナリズムに塗りこめられないこと」 古久保さくら

  一つの父親と娘の物語をしたい。父は大正10年生まれ。地方都市の旧制中学校を4年で卒業して陸軍士官学校にすすみ、職業軍人となった。中学校の教師は高等学校から大学へすすむよう、言ってくれたが、「愛国者」であった祖父は、長男であった父に陸軍士官学校に入るように命じた。 
 
  1945年、敗戦時に父は24歳、陸軍少尉だった。娘はその父親が40歳のときに生まれた。父親が92歳で亡くなるまで、戦争の話はほとんど聴いたことがなかった。 
 
  いくつかの断片はある。フィリピンから撤退するときの最後の飛行機に乗っていたこと。軍用飛行機に乗っている時に酸素が出なくなって、気絶しながら基地に戻ったこと。地図を読むのがうまかったこと。 
 
  娘が思春期になったとき、南京大虐殺の事実を知った。青春期のとき、従軍慰安婦の存在を知った。娘はおびえた。父は、どこかで女性をレイプしたのだろうか? 殺したのだろうか?兵士なのだから敵を殺したのだろうか? 人に「殺せ」と命令したのだろうか? 
 
  周りを見渡しても、同級生の父親たちは戦争に行っていない者の方がはるかに多かった。娘は、クラスの中で自分だけが「人殺しの娘」として生きていることに愕然とした。 
 
  戦争が終わって、父は大阪商科大学に入学した。大日本帝国の若き元将校たちは、どこの大学でも優先的入学が認められていたのだ。当時の父が、職業軍人になれと強制した祖父と激しく衝突していたことを、最近になっておじたちから娘は聞いた。 
 
  大阪商科大学では、民主主義を教えていた。恒藤恭や末川博などのリベラル派の教授陣が、新しい日本をどう作るか理想を語っていた。父は再度人生を立て直すことにした。 
 
  父は憲法が好きだった。特に好きなところは、第24条だった。 
 
  「第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」 
 
  家長の一存で、家族の人生が決められる理不尽さを、24条は解消しようとしていた。第9条については多くを語らなかった。将校の友人たちの多くが、フィリピンで、沖縄で、亡くなっていた。 
 
  晩年になって「戦争中に死んでおけばよかった」と父はぽつんと語った。別に戦後の父の人生が不幸であったわけではなかっただろう。高度経済成長の「モーレツ社員」として働き、それなりに出世し、結婚し娘を育て、孫ができ、妻と旅行を楽しみ・・・ 
 
  父は、陸軍士官学校の同期会にも母を連れてよく行っていた。だが、父は決して海外旅行には行かなかった。「戦争中にいろんなところへ行ったから、もう十分なのだ」と言った。父が偵察将校であったことを娘が知ったのは、娘がすでに30代になってからだ。偵察機に丸腰でのりこみ、敵を目視して帰ってくる。敵にみつかれば撃ち落とされる。見つからなければ生きて帰れる。地図を読み、磁石を読み、風を読み、行って探して帰ってくる。・・・地味な戦争だ。 
 
  戦争は、国の名の下に行われる。まるで国民全ての運命は同じであるかのようなふるまい方だ。だが、戦争体験とは一人ひとり異なる。それぞれが多くのものを失って、傷ついたが、その失ったものや傷つきのあり方は、個々人によって異なる。一概に「被害」とは言えない経験であり、一概に「加害」と断罪できない経験もあろう。 
 
  娘は、父の経験を聞き取りきることはできなかった。それぞれの人が、同じように苦しむのではなく、それぞれの固有の不幸を抱え、その苦しみは、結局のところ家族にも理解されきれない。 
 
  語れない物語を抱えて父は戦後70年弱を生きた。 
  語れないものを語らないままに、生を終えた。 
 
  娘の私は、ナショナリズムに塗りこめられないような、個人として生きることをめざす。国の名の下に、国民個人個人に個別の不幸を強いる戦争への道を開くものに対しては、断固として反対する。 
 
人権問題研究センター 
准教授 古久保さくら 
 
(違憲安全保障法に反対する大阪市立大学有志の会「月命日コラム」から許可を得て転載しました) 
https://sites.google.com/site/ocucolleagues/home 
 
 
■特攻隊の生き残りだった父を想う 木村結 
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