2016年03月22日08時10分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201603220810542

アフリカ

【西サハラ最新情報】お上も下々も、国際社会に逆らうモロッコ

 「モロッコの人々、我々西サハラ人の友人たち、国連の指導の下で一緒に西サハラ地域の平和を創っていこう」と、2016年3月7日に西サハラ難民大統領は、モロッコの人々に語りかけました。 3月5日、パン・ギムン国連事務総長の西サハラ難民キャンプ訪問を実現させ、3月7日にはその事務総長に、国連西サハラ住民投票に向け<両当事者の交渉>再開を約束させたことで、こんな<余裕の発言>とあいなりました。 が、素直に非を認め国際社会に戻ってくるどころか、国王陛下は国連やEUやAUにくってかかり、家臣のモロッコ移民はテロと麻薬と武器密輸に精を出す、、モロッコは上も下も、やけくそ状態に陥ってます。 
 
(1) お上のご乱心: 
 モロッコ王国は国連に、モロッコ占領地・西サハラに展開するMINURSO(国連西サハラ住民投票監視団)の撤収を要求し、MINURSO職員の撤去を命じた。さらにモロッコは、「サハラはモロッコ領でモロッコ・サハラだ。モロッコが占領しているとの誤った発言をした国連事務総長は謝れ」と、国連事務総長に謝罪を迫った。これに対して国連は公然と、「占領という言葉は国連決議と憲章に基づく適格な表現だ。国連は事務総長の発言と行動を支持する」と、反発した。3月17日、EUヨーロッパ連合は国連事務総長の西サハラ紛争解決努力を讃え、彼の和平解決策を支持した。 
3月17日(日本時間3月18日)、国連安保理は非公開で、<モロッコの国連侮辱>を討議した。ステファン・ジャッリク国連事務総長スポークスマンは記者会見で、「モロッコ国連大使が国連事務総長に対して、モロッコから3日以内に追放する、MINURSO国際職員84人のリストを提出した。が、国連安保理は国連事務総長の西サハラ紛争解決策を支援し続ける」と、表明した。 
 3月18日(日本時間3月18日)、アメリカ国務省のジョン・ケルビ―報道官は、「モロッコがMINURSO国連職員の追放や国連分担金の不払いなど、国連に対して前例のない脅しをかけているのは承知している。<国連事務総長とモロッコの抗争>に関して、モロッコがアメリカの関与を求めてきても、アメリカは干渉しない。国連安保理とモロッコに任せている」と、明言した。パン・ギムン国連事務総長は、国連を侮辱しその態度を変えないモロッコに対して、遺憾の意を強く表明した。 
 
(2)下々のテロ: 
 2016年3月18日午後(日本時間3月19日、ベルギー首都ブリュッセルのモレンべーク地区に警察の車が急停車し銃声が鳴り響いた。暫くして、重装備の特殊部隊数人が引きずってきた白い服の男を、車に押し込んだ。気の毒に、、足を撃たれたようだ。そして、「パリ同時テロ最後の生き残り、逮捕!」という臨時ニュースが世界を駆け巡った。 
 逮捕されたテロリスト・サラ・アブデスラム(26)は、彼の実家から僅か500メートルしか離れていないアパートに潜んでいた。彼の逮捕3日前には、モレンべーク地区で大規模なテロ掃討作戦が行われていた。BBCのインタヴューに地区のレストラン・オーナーは「こんなたくさんの警察官が踏み込んできたのは初めてだ。家の客は多国籍で、30か国以上を数える。けれど、問題などない」と、適当にあしらっていた。が、地区の住人70%はイスラム教徒で、ベルギー捜査当局は、モレンべーク地区をテロ拠点と指定し、網を張っていた。 
住人が多数シリアへ行き、そのままテロ組織に入る者もいれば、シリアを出てこの地区に戻ってくる者もいる。この地区を中継点にしている者もいる。モレンべークは過激派組織ISのヨーロッパ支部になっていた。 
 
 2015年11月13日21時(日本時間11月14日5時)、パリ連続テロが勃発し、130人が死亡し300人以上が負傷した。過激派組織ISのメンバーでテロを仕切った主犯のモロッコ移民2世アブデル・ハミド・アバウドは、パリ・サンドニのアパートで発見され、射殺された。 彼の父はモロッコ・アガデール出身のモロッコ人で、1975年、ベルギーに移民し洋服屋をやっていた。アバウドは1987年8月8日,モレンべークで生まれたが、高校時代から札付きの不良で、その後ISの傭兵になり、ベルギーとシリアを何度も行き来する。彼の役目はモレンべークを拠点とした、武器調達とIS傭兵リクルート、そして、麻薬密輸だった。 
 
 逮捕されたサラ・アブデスラムの両親は北モロッコにあるボイヤファ村から出てきた移民で、サラは1989年9月15日にモレンべークで生まれた。ハイティーンの頃から酒と麻薬ハシッシの常習者だった。ゲイバーに入り浸り、レント・ボーイ(男娼)としてホモクラブではもてもてだったとか、、2013年12月から、サラと兄のブラヒムはモレンべークで、<レ・レギネ>という名のバーを開いた。禁酒のイスラム教徒が酒商売?が、客の大半も移民のイスラム教徒だったそうだ。しかし、麻薬の巣窟でもあったこのバーは、事件前にベルギー当局から営業停止を命じられた。テロ犯行の6週間前に、兄弟はバーを売り飛ばした。アバウド主犯と釣るんだモロッコ移民二世はお祈りを忘れて、酒、麻薬、人身売買、武器調達などに励み、ISに貢いでいたようだ。モロッコが世界一のハシッシ生産国であることを、思い出しましたか? 
 サラはパリ・連続テロ事件前の11日から、パリ南東にある長期滞在向けのホテルを借りていた。室内にはピザの空き箱や携帯電話、注射器や点滴に使用するチューブ、針などが散乱していた。テロ実行の際、覚醒剤などの薬物を使用していたようだ。兄のブラヒム(31)も、1週間の予定でアパートの一室を借りていた。ブラヒムはレストランの自爆テロで死んだ。一人残って官憲の手に落ちたテロ実行犯のサラ・アブデスラムは、ある事ない事吐くんだろうな、、過激派組織ISの神話がますます膨らんでいくんだろうな、、 
 
 2015年8月21日夕刻、パリ行きの国際特急列車を攻撃した、テロリスト・アユーブ(25)もモロッコ人だ。アユーブは北モロッコのテトゥアンに生まれ、2007年からスペインなどを転々とし、麻薬密輸とイスラム過激派との接触でスペイン当局からマークされ、2015年からはモレンべークに住んでいた。テロ敢行当日、アユーブはブリュッセルのミディ駅から270発の弾丸、カラシニコフ・アサルト・ライフル(強襲ライフル)、ガソリンひと瓶、ルガー・ピストル、そしてボックス・カッターナイフをひっさげて国際特急列車に乗り込んだ。が、4人の乗客に取り押さえられ、テロは不成功に終わった。 
 
 いずれにしろ、フランスを震撼させたテロの首謀者たちは、ベルギー・ブリュッセルのモレンべークをアジトにした、モロッコ移民二世たちなのだ。 
 
 モロッコのお友達へ、、国連も欧州連合もアフリカ連合も、世界の人々はモロッコを除者にしようなどと思っていません。 あなた方が虐めている西サハラの人々ですら、話し合おうよと、握手をもとめているではありませんか?  そんなにすねないで、国際社会に戻っておいでよ! みんな、特に日本人は、モロッコが好きみたいです、 
Come Back Morocco カムバック,モロッコ!、 
 
 
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名敏之   2016年3月22日 
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。