2016年04月11日06時21分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201604110621371

欧州

モロッコ移民二世のベルギーISテロ細胞 「ブリュッセルは欧州過激派の巣」パリ大学教授の分析 平田伊都子

 フランス各紙を賑わせたピエール・ヴァームルン教授のインタヴュー記事(2016年3月22日ベルギーテロ直後)を訳していたら、「パリ(130人死亡)・ベルギー(32人死亡)・テロの容疑者モハメド・アブリニ逮捕」のニュースが飛び込んできました。 やっぱり、アブリニも他のテロ首謀者たちと同じく、ベルギー首都ブリュッセルのモレンべークに生まれ育った、モロッコ移民二世だったんですヨ! 改めて、パリ大学でマグレブ(北西アフリカ)現代史を専門とするピエール・ヴァームルン教授の洞察に脱帽し、勉強しなおしました。 
 4月8日のアブリニ逮捕劇にからめて、マグレブ(北アフリカ)専門家の「モロッコ移民二世のベルギーISテロ細胞」を要訳し、紹介します。 
 
(1)欧州テロ首謀者の一人、モハメド・アブリニ(31)はモロッコ移民二世: 
 ベルギーのブリュッセルで起きた同時テロ事件で、捜査当局は2016年4月8日、6人の連続テロ容疑者を逮捕したと発表した。ベルギーの検察当局は、このうちの1人がモハメド・アブリニ容疑者で彼の自白をもとに、空港の防犯カメラに自爆テロ犯と一緒に映っている帽子の男だと断定した。 
 アブリニ容疑者はパリ・テロ事件(2015年11月13日勃発)の2日前、フランス北部の高速道路沿いのガソリン・スタンドでアブリニ容疑者はアブデスラム容疑者(3月18日、ブリュッセルで逮捕)と一緒に車に乗っている姿を、監視カメラに撮られていた。この時、2人が乗っていた車は、130人もの死者を出したパリ・テロの犯行に使われた。2人ともブリュッセルのモレンべークで生まれ育った幼馴染で、多数の連続テロ実行犯がこの地区に出没していた。アブリニの弟はIS戦闘員としてシリアで戦死、アブデスラムの兄ブラヒムはパリ・テロで自爆死した。 
 モハメド・アブリニの両親もサラ・アブデスラムの両親も、モロッコ人だ 
生け捕りにされた2人のテロ実行犯は、フランスとベルギー警察に締め上げられ、真偽まぜこぜの自白を迫られることになるのだろうか? 
 
(2)Bruxelles, le foyer du djihadisme en Europe (ブリュッセルは欧州過激派の巣): 
 ピエール・バームルン教授によると、ベルギーに住む約50万モロッコ人の大部分は、リーフ山間部からきた移民だという。リーフ山脈は地中海に面したモロッコ北部にあり、その山間部に住むベルベル族を<リ―フ人>と呼んでいる。この地域は歴史的にモロッコ太守(後のモロッコ国王)から疎まれ、<リーフ人>は貧しく差別されてきた。<リーフ人>の悲劇は、1912年に当時の欧州列強がモロッコを三分割し、リーフ地方をスペイン植民地にされたことから始まる。1920年にリーフ人のアブド・アルカリームがリーフ地方で反乱をおこし、1923年にリーフ共和国を建国し、自ら大統領となってソ連の支援を得ながらスペイン軍と戦った。アルカリームは一時スペイン軍を追いやったものの、介入したフランス軍に敗れ、1925年にリーフ共和国は崩壊した。1926年にはドイツ軍がアルカリーム軍を、マスターガスで殲滅した。アルカリームの抵抗は失敗に終わる。第二次世界大戦後、世界的な脱植民地化の流れの中で、フランスから国外追放されていたムハンマド太守が1955年に帰国を許され、1956年3月2日にモロッコはフランスから独立し、フランスやスペインの援助を受けて経済再建を進めた。が、モロッコ王は反抗心と独立心が旺盛な<リーフ人>の粛清を図り、フランス軍の援助を受け6000人をナパーム弾で殺害し、この地方を疎外した。<リーフ人>は食べるために、フランス領アルジェリアのワイン工場で季節労働者として働き、フランスの国籍を手にする者もいた。が、アルジェリアが独立し出稼ぎ移民が禁止されると、<リーフ人>はヨーロッパに出稼ぎの場を求めてなだれ込んでいく。サラ・アブデスラムの父は、フランス国籍を持つ<リーフ人>の典型的な例だ。 
 かくして、フランス、スペイン、ベルギーの3か国が、<リーフ人>の出稼ぎ地になっていった。中でも、かってモロッコ植民地時代に虐めたフランスやスペインとは違って、ベルギーには暗い過去がなく<リーフ人>出稼が殺到したようだ。 
 
(3)lien entre trafic de drogue et terrorisme (麻薬密輸とテロの繋がり): 
 年間、約3,000トンの麻薬ハシッシが、世界一の生産地モロッコから、ジブラルタル海峡〜スペイン〜フランスを通過して、ベルギーに密輸されていく。麻薬密輸人は陸路を使う場合もあれば、ゼーブルッヘやオーステンデなどの港や、名もない漁村に陸揚げすることもある。モロッコには70,000ヘクタールのハシッシ畑があり、90%の欧米市場を賄い、その上りは年間1,000〜1,200万ドルを超えるそうだ。各国警察の麻薬ハシッシ摘発は氷山の一角に過ぎず、その恩恵に預かっているモロッコ政府などは、見て見ない振りをしているのではなかろうか? 
 この麻薬あぶく銭が、モロッコ移民社会の裏金や過激派組織の軍資金となる。麻薬ハシッシと密輸武器との物々交換システムも確立されているようだ。かくして、ブリュッセルの武器麻薬闇市場は繁盛していくのだ。 
 ベルギー首都ブリュッセルのモロッコ移民二世たちが、イスラムの教えに薫陶されて過激派組織ISに参加したとは思えない。彼らはイスラムが禁じている酒を飲み薬をやり、アブデスラム兄弟にいたっては、パリ・テロ決行の直前まで酒場を経営していた。彼らが、イスラムの行である一日5回のお祈りをやっていたという噂も、聞いたことがない。 
 
(4)Pierre Vermeren professeur d’histoire du Maghreb contemporain ピエール・ヴァームルン、現代マグレブ史の教授: 
 1966年1月、フランスのヴェルダンに生まれたピエール・ヴァームルン教授は、2012年からパリ大学‐1−パンテオン・ソルボンヌで教鞭をとっている。 
現代マグレブ(北西アフリカ)史とアラブ・ベルベル史の第一人者だ。彼はエジプト、モロッコ、チュニジアなどの北アフリカに8年間住んでいた。1996年から2002年まで、現地で歴史を教えていた。マグレブとモロッコの歴史に関する著書を10冊以上発表した。彼の近著は、「脱植民地化のショック」と題したもので、アルジェリア戦争からアラブの春までを扱っている。 
ブルュッセル・テロに関する筆者の記事は、「ル・モンド」「ウェスト・フランス」などが行った教授のインタヴューを参考にした。 
教授はパリ・テロ直後にも、マスコミのインタヴュ−を受けている。 
 
ベルギー首都ブリュッセルが欧州IS過激派の拠点であること、その首謀者たちがモロッコ移民二世であることなどは、容易に想像がつきます。 しかし、その規模や内部事情や、なぜモロッコ移民二世なのかが、分かりませんでした。 が、ここにきて、二人の首謀者からIS過激派欧州細胞の実態を知ることができそうです。 一方、ピエール・ヴァームルン教授のおかげで、その歴史的背景が解明されました。 勉強になりますね、 
 
日本の庶民には分からないことばかりですが、IS過激派テロの脅威は身近に迫っています。 「対岸の火事」ではありません、、明日は我が身に火の粉が降りかかってきます。 
 
 
文:平田伊都子 ジャーナリスト、  写真構成:川名生十 カメラマン 
写真:ベルギー警察のアブリニ公開指名手配写真 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。