2016年04月18日23時33分掲載  無料記事
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反戦・平和

「集団的自衛権は違憲である」 砂川事件被告らは告発する 根本行雄

 1957年7月、東京都砂川町(現立川市)の米軍基地内に反対住民らが立ち入った「砂川事件」を巡り、東京地裁(田辺美保子裁判長)は2016年3月8日、刑事特別法違反で有罪が確定した土屋源太郎さん(81)ら元被告と遺族計4人の再審請求を棄却する決定を出した。2015年9月に成立した安全保障関連法(安保法制)は3月29日に施行された。憲法が禁じる武力行使に当たるとしてこれまで認めていなかった集団的自衛権の行使が可能になり、他国軍への後方支援や国際協力活動で自衛隊の任務が拡大する。日本は「戦争ができる国」になった。安倍政権の暴走は続いている。 
 
 まず、最初に、簡略に、「砂川事件」の裁判について振り返っておこう。 
 
 一審の東京地方裁判所(伊達秋雄裁判長)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した。一般に、「伊達判決」と呼ばれる有名な判決である。 
 
 これに対し、検察側は直ちに最高裁判所へ、異例とも言える、跳躍上告をした。 
 
 最高裁判所(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、同年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」として原判決を破棄し地裁に差し戻した。 
 
 差戻し審は、東京地裁(岸盛一裁判長)で行なわれた。1961年3月27日、罰金2千円の有罪判決を言い渡した。この判決につき上告を受けた最高裁は1963年12月7日、上告棄却を決定し、この有罪判決が確定した。 
 
 2008年から2013年にかけて、機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、新たな事実が次々に判明した。 
 
 まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中耕太郎と密談したりするなどの介入を行なっていたということが明らかになった。田中がマッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」であると一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが明らかになった。 
 
 今回の再審請求の理由の要点は、当時最高裁長官であり、裁判長を務めた田中耕太郎が事前に米大使と密談し協議をしたという事実である。これは、評議の秘密を定めた裁判所法だけでなく、公平な刑事裁判を受ける権利を保障した憲法37条にも違反しているということである。 
 
 2014年6月17日、砂川事件の元被告と遺族4人が、有罪判決は誤りであり、判決を破棄して免訴とするよう再審請求を行なった。今回の請求について「第2次安倍内閣は集団的自衛権の合憲解釈を、田中判決・岸判決を根拠にしようとしているため。抗議の意味を込めて」行なうものだと説明している。 
 
 2015年9月に成立した安全保障関連法(安保法制)は集団的自衛権の行使を認めるものである。その背景として、自民党の高村正彦らが砂川事件の最高裁判決(1959年)を集団的自衛権の行使容認の根拠として挙げた。それに対して、砂川事件の元被告らが抗議の声を挙げ続けている。 
 
 昨年6月18日、元被告らは東京都内で記者会見を開いた。元被告の土屋源太郎さんは会見で「争点は駐留米軍が違憲かどうかだった。その判決が集団的自衛権の行使を認めていると、とんでもないことを言っている」と強調し、「最高裁判決の引用は政府側のごまかし。国民をだます方便に使っており、絶対に許すことはできない」と述べていた。 
 
 ここで、集団的自衛権について、いくつかのことを確認しておきたい。 
 
 集団的自衛権とは、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利であるということである。 
 
 国連憲章第51条「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」 
 
 国際連合とは、個人の団体ではなく、主権国家の団体である。だから、ここに述べられている集団的自衛権という権利も、個人の権利ではなく、主権国家の権利としてであることを忘れてはいけない。 
 
 砂川事件判決の自衛権に関する判断のポイントは、以下の3点となる。 
 
 その1 憲法9条は戦争を放棄し、戦力の保持を禁止するが、わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されない。 
 その2 憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない。 
 その3 わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然と言わなければならない。 
 
 安倍信三首相をはじめとする改憲論者たちは、主権国家であるならば、当然、自衛権をもっており、無防備、無抵抗であっては、他国より武力による侵略があるとき、自国の平和と安全を維持することはできない。それゆえに、他国からの武力による侵略を防ぐためのさまざまな措置をとることは当たり前のことだと思い込んでいる。 
 
 集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利であるが、改憲論者たちは国連憲章第51条にもとづいて、日本国にも、当然のことながら、集団的自衛権があると思い込んでいる。 
 
 
 
 国際法の観点から、主権国家であるならば、自衛権や交戦権などは、当然、あるというという前提にもとづいて、国連憲章第51条の規定がある。 
 
 しかし、日本国憲法第9条は、主権国家であるならば当然持っているはずの自衛権、交戦権などを放棄するという規定であり、だからこそ、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」のである。 
 
 他国が武力をもって侵略してくるとき、わたしたち一人ひとりが、自己の生命、財産、幸福を守るために自衛したり、戦闘をしたりすることは、当然の権利として、基本的人権としてもっている。改憲論者たちは個人が持っている権利と主権国家がもつ権利とを混同しているのだ。 
 
 昨年9月に成立した安全保障関連法(安保法制)は3月29日に施行された。憲法が禁じる武力行使に当たるとしてこれまで認めていなかった集団的自衛権の行使が可能になり、他国軍への後方支援や国際協力活動で自衛隊の任務が拡大した。 
 
 これまで、ずっと、自民党政権は、戦後ずっと、「解釈改憲」という手法で、憲法の中身を骨抜きにしてきた。自衛隊を「軍隊」ではないと誤魔化しつづけ、日本は今では世界有数の「軍事大国」の一つとなっている。集団的自衛権を認める法律も成立させた。 
 
 さらに、安倍自民党政権は4月1日の閣議で、核兵器の保有に関し、法理論上、自衛のための必要最小限度の実力保持は憲法9条によって禁止されていないとし「核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、保有することは必ずしも憲法の禁止するところではない」とした答弁書を決定した。 
 
 安倍自民党政権の暴走が止まらない。どこまで、続いていくのか。破局まで、一気に、突き進むのか。国民は運命を共有させられている。暴走する車から、どのように逃れればいいのか。どのように止めればいいのか。「不断の努力」の質が試されている。まずは、直近の課題としては、安倍自民党政権が夏の参議院選挙において改憲に必要な議席数を取らせないようにしなければならない。 


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