2016年05月07日13時03分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

拘置所捜索訴訟 司法はデュー・プロセスを厳守せよ 根本行雄

 2016年4月22日、大阪高裁において、大阪地検が公判中に拘置所を捜索し、弁護人への手紙などを押収した捜査の違法性が争われた訴訟の控訴審判決が出た。田中敦裁判長は、刑事訴訟法で定めた接見交通権の侵害を認め、国に110万円の賠償を命じた1審・大阪地裁判決を支持したが、捜索令状を発付した裁判官の責任は認めなかった。冤罪をなくすためには、警察や検察が違法に収集した証拠を完全に排除することが必要だ。それをチェックするのが裁判所だ。違法に収集することを容認しているのは、冤罪の発生に加担していることだ。裁判所は、自らの襟を正さなくてはならない。 
 
 
 この裁判の概要を、毎日新聞(2016年4月22日)の向畑泰司記者の記事から引用する。 
 
 訴えたのは、2008年9月に大阪府柏原市で起きた強盗事件などで起訴され、懲役10年の実刑が確定した受刑者の男性(45)と、国選弁護人だった宮下泰彦弁護士(大阪弁護士会)である。大阪地検の検察官や大阪地裁の裁判官の判断は違法だとして、総額3300万円の支払いを求めたものである。 
 
 判決によると、男性は捜査段階で起訴内容を認めたが、公判中に否認に転じた。その後、公判での争点や証拠を確認し直す期日間整理手続きが行われた。大阪地検は手続き終了の翌日、勾留先の大阪拘置所などを家宅捜索し、弁護人への手紙など計47点を押収した。 
 
 田中裁判長は1審同様、捜索が実施された時期を重視し、「公判戦略への影響を考えると捜査の必要性に比べて男性の不利益が大きい」と述べ、検察官の責任を改めて認めた。裁判官については、検察官が令状を請求した際の捜査資料に触れ、他の裁判官でも同様に令状を発付した可能性が高いとして、原告側の主張を退けた。 
 
 この裁判の問題点は2つある。1つは、大阪地検が公判での争点や証拠を確認し直す期日間整理手続きの終了した、その翌日に、勾留先の大阪拘置所などを家宅捜索し、弁護人への手紙など計47点を押収したということである。もう1つは、令状を発布した裁判官については責任をみとめなかったということである。 
 
 犯罪の立証に役立つ証拠は、たとえ違法な手続きによって収集したものであっても、証拠として許容し、採用することは当然だとする実体的真実主義という立場がある。それは「コモン・ロー」と呼ばれ、英米諸国において、長い間、採用されてきた歴史がある。そして、日本の警察や検察は、現在もなお、犯罪者を野放しにしてはならないという発想法で動いており、有罪率99・9%という異常な数字に「誇り」すら感じているようだ。しかし、この発想法はとても危険であり、冤罪を作り出す要因となっているものだ。つい最近では、大阪地検特捜部の主任検事が証拠を改ざんして冤罪事件をでっち上げた事件があった。 
 
 法律の用語に、「デュー・プロセス・オブ・ロー」(英語: due process of law)という言葉がある。通常は、簡略に「デュー・プロセス(英語: due process)」と呼ばれていることが多い。日本語に訳せば、「法に基づく適正手続の保障」を意味している。そして、日本国憲法は、第31条において適正手続の保障を定めている。 
 
 日本国憲法第31条 何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 
 
 この「デュー・プロセス」という発想法がわかりやすく書かれているのが、四宮啓著『O・J・シンプソンはなぜ無罪になったか(誤解されるアメリカ陪審制度)』(現代人文社刊)である。 
 この有名な事件では、「検察側は自ら『証拠の山』と称するほどの証拠を握っており、立証に自信満々だった。」(38ページ)だから、多くの人々がO・J・シンプソンは有罪だろうと判決を予想していた。しかし、無罪になった。その要因は、2つある。1つは、「鑑定の対象になった血痕などの検体そのものが、証拠の収集や保存の過程に基本的なミスや問題があったため、汚染されていたりして、そもそも鑑定対象としての価値に問題があった」(46ページ)ことである。もう1つは、「ロサンジェルス警察の一部の者が、シンプソンを犯人にするために、証拠に作為を加えた可能性がある」ということである。 
 被告が有罪であるということを立証する責任は100%検察にある。だから、アメリカの刑事裁判においては、「『被告が真犯人であるかどうか』ではなく、『検察側の証拠には合理的な疑問がないかどうか』」(82ページ)をチェックするのである。当然、被告には自分が無罪であるという証明をする必要はない。 
 
 国家権力の乱用により、しばしば人権は侵害されてきた。そのような悲劇を繰り返さないために、近代憲法には「法の支配」の理念が明記されている。「法の支配」とは、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。だからこそ、刑が確定するまで、被告は「無罪」として扱われる「無罪推定の原則」がある。そして、権力による人権侵害である「冤罪」を起こさないために、さまざまな工夫がされている。その1つが「デュー・プロセス」なのだ。 
 
 「違法な捜索や収集を受けない」ことは基本的人権である。政府が、警察や検察が違法な捜索や収集を行い、それを裁判所が容認するならば、それは司法の廉潔性を損ない、その権威を失墜させることになる。それは国民に司法への信頼を喪失させ、法に対する侮蔑の感情を醸成し、法秩序、社会秩序を損なうことにつながっていく。 
 
 大阪地検が「デュー・プロセス」を順守しなかったことは明白である。そして、令状を発布した裁判官もまた、「デュー・プロセス」を順守しなかったことも、明白である。裁判官について責任を認めなかったという、仲間をかばう態度は国民の司法への信頼を大きく損なうものだ。 
 
 冤罪をなくすためには、警察や検察が違法に収集した証拠を完全に排除することが必要だ。それをチェックするのが裁判所だ。その裁判所が、違法に証拠や証言を収集するのを安易に容認しているのは、冤罪の発生に加担していることだ。裁判所は、自らの襟を正さなくてはならない。 


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