2016年05月31日00時29分掲載  無料記事
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安倍政権を検証する

「立法府の長」って?

 安倍晋三が5月16日と17日の衆参予算委員会で自らを「立法府の長」と繰返し発言し、5月23日に「言い間違えたかもしれない」と修正したとのインターネット報道があった。苦笑交じりで修正発言をし、議場にも笑いが漏れたという。 
 私からすれば「それだけの問題なのか?」「国会議員は何をしているのか?」と思う。大手メディアできちんとした批判記事が乏しいので、日刊ベリタにおいて批判記事を記録として残しておきたい。 
 
 言うまでもなく、安倍晋三は議院内閣制によって選出された“行政府の長”であって、日本には衆参議長はいても、“立法府の長”はいないはずである(形式的には、国会を召集する“天皇”と言えなくもない)。 
 “国会”(=立法府)は国民主権の下、国民に選出された国会議員が構成する日本の最高議決機関であって、その“長”を僭称するというのは、日本国の宰相(内閣総理大臣)としてはあってはならない言い間違えである。 
 安倍晋三の迷言は、つとに有名であるが、今回は失言・迷言というより妄言・暴言である(安倍晋三は元々、ヤジが多い国会議員であり、そうした品格の人物を内閣総理大臣に据えている日本という国家も悲しいものがある)。 
 ちょうど1年前になるが、安倍晋三は2015年5月28日の衆院平和安全法制特別委員会で、民主党(当時)の辻元清美議員に対し、「早く質問しろよ」と恫喝的なヤジを飛ばした。自らがお得意と錯覚している安全法制議論を早く開陳し、「辻元の無学を論難してやろう」との思いから飛ばしたヤジだったと思われる。 
 しかし、国会は政府主催・主導の会議ではない。敢えて言えば、国民主権の下で開かれる国会の多様な議論にあって、政権の首相及び閣僚は“参考となるお答えをする”ために国会に臨席しているに過ぎないのである。 
 
 フロイド先生によるまでもなく、安倍晋三は確信的な妄想として、内閣と国会の最高権力者としての自己イメージを持っていると言わざるを得ない。元々、総予算4000億円程度の“最高裁”(=司法府)など眼中にないであろうから、彼は既に“(天皇すら超えた)独裁者”なのである。 
 よ〜く考えてみると、“普通選挙権を18歳に”などという国民運動があったとは思えない。従前の歴史的経過のように、民衆の声や政治運動を前にして立法作業を行ったとは言い難い。 
 つまり、「(母方の祖父・岸信介の亡霊のために)憲法を変えたい。そのための国民投票法を作る。その延長で普通選挙法の改正を行った(その先に民法や少年法も変えてやる)」といった政策過程が露骨なのである。アベノミクスしかり。 
 安倍晋三にとって、自民党憲法草案を新たな日本国憲法とするのも、「“欽定憲法”(=君主の意思で制定され、国民に与えられた憲法)を愚かな国民に示し、従わせる」という感覚なのだと思われる(多少は草案を修正せざるを得ないであろうが)。 
 
 団塊世代を中心とする私たち老人は、そんなに愚弄されたままで本当に良いのか? 
 本年7月の参院選挙で、我々老人たちが何を示すのか。自らの年金や株の儲け話が大事なのか。子や孫の世代のことを考えた上での良識の発揮が今、問われていると考えている。(伊藤一二三) 


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