2016年06月06日06時51分掲載  無料記事
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ジュンパ・ラヒリ著「べつの言葉で」 インド系アメリカ人の作家がイタリア語で本を書き始めた理由

  アメリカで活躍しているインド系の女性作家ジュンパ・ラヒリ氏が、このたび、英語を捨ててイタリア語であえて書いたのがエッセイ集「べつの言葉で」(新潮社)である。ラヒリさんのこの本を読み、彼女が生まれたのはロンドンで、その後、インド系の両親とともに渡米していたのを知った。そのアメリカで育った彼女はO・ヘンリ賞やピュリッツァー賞などを総なめにするような活躍をした。ところが、なぜかイタリアに渡って、イタリア語で本を一から書き始めたのである。本書で彼女はなぜ自分がイタリア語で本を書くのか、それがどんな意味を自分に与えるかを執拗に掘り下げる努力をしている。英語に比べたら、イタリア語の読者は圧倒的に少ない。大海の1滴にも等しい。それでも彼女はイタリア語に挑戦したのだ。 
 
  このことをラヒリさんなりに考えるにあたって、両親と自分の関係について触れている。カルカッタ出身のベンガル人だった両親はアメリカにおいてはベンガルなまりの英語の話者であり、子供時代から英語を身につけたラヒリさんはネイティブの英語が話せた。両親はアメリカにいても、あたかもインドにいるかのように暮らしたという。ラヒリさんにとってはベンガル語と英語が両方話せるのだが、英語とベンガル語だけでは何かが足りないと思ったらしい。そこには親の世代との確執もあったことがうかがえる。そこで彼女が自分の意志で選び取ったのがイタリア語だった。イタリア語はラヒリさんにとっては生活の必要性がまったくない言語だった。 
 
  「イタリア語で書くとき、わたしはより自由であると同時に拘束、強制されていると感じるが、どうしてそんなことがあり得るだろう? たぶん、イタリア語で書くとき、わたしには不完全であるという自由があるからだろう。なぜこの不完全で貧弱な新しい声がわたしを魅了するのだろう?なぜ窮乏がわたしを満足させるのだろう?路上同然の、こんなに壊れやすい仮小屋に住むために大邸宅を捨てる、というのはどういうことなのだろう?たぶん、創造という観点からは、安全ほど危険なものはないからだろう。」 
 
  こう綴るラヒリさんは不自由な言語を組み立てる作業の中に、使い慣れてある意味、淫してしまった英語では語ることができない、言葉の新しいスタイルが生み出せないか、と考えたのだろう。言葉を変える、ということは感覚も、思考もモードを変えるということなのである。 
 
  「わたしの言語遍歴に3つめのイタリア語が加わったことで、三角形が形成される。直線ではなく1つの形が作られる。三角形は複雑な構造で、動的な形をしている。3つめの点ができることで昔から仲が悪かったカップルの力学が変化する。わたしはこの不幸な2つの点の娘だが、3つめの点はその2つから生まれるのではない。わたしの願い、努力から生まれる。わたしから生まれるのだ。イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。この新しい道はわたしをどこに導いてくれるのだろう?」 
 
  私たちは生まれる国も場所も言語も、そしてまた家族や親も選ぶことができない。しかし、長じて言語も、時には国も選び取ることができる。新しい言語を選んだからと言って昔の言語を捨てることにはならない。ただ、新たな言葉を身につけることで新しい人間関係の網目に入ることになる。自分にとって新たなネットワークが開かれ、今までと違った論理や考え方の人びとと出会うことになる。 
 
  あえて英語ではない、もっと人数的にはマイナーな言語を使うことで何が得になるのか?いや、大切なことは言語を習得し、それを使うことによって自分の中の今までと異なる感性が開かれていくことだろう。ラヒリさんにとってはインドでもなく、アングロサクソンでもない、イタリア語の感覚はそれらと相当に異なる精神世界の窓となったはずである。そして彼女がイタリア語を学んだのは25年も前のことで、実は四半世紀もの間、少しずつ蓄積していたのだ。それは彼女がアメリカで英語で小説を書くにあたっても、ある種のスパイスになっていたのではないだろうか。しかし、今回、そうしたスパイスという位置づけにとどまらず、どっぷりと浸かる決意をした、ということなのである。 
 
 「日記はイタリア語で書く訓練になるし、習慣にもなる。でも、日記だけを書いているのは、家に閉じこもって自分自身と話をしているのと同じことだ。そこで表現しているのは私的で内輪な話にすぎない。どこかで、危険ではあるけれど、そこから外へ出たいと思う。」 
 
 
村上良太 
 
 
■ニュースの三角測量   村上良太 
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■クロード・レヴィ=ストロース著  「野生の思考」 
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■ダグラス・ラミス著「最後のタヌキ 英語で考え、日本語で考える」 
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