2016年06月20日04時40分掲載  無料記事
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コラム

保守と革新  何が革新で何が保守なのか?

  最近、日本では保守とか革新という言葉の使われ方が曖昧になっているところはないでしょうか。日本のマスメディアで今、注目を集める論客、中島岳志氏(東京工業大学教授)が自身の立場を「リベラル保守」という言葉で掲げています。「リベラル保守宣言」という著書も出されています。この言葉の「保守」とはどういう意味なのでしょうか?筆者は未読なので、詳しいことは不明ですが、最近行われた朝日新聞のインタビューには以下のようなくだりがありました。中島氏の保守と革新という言葉についての考え方が記されていますので引用したいと思います。 
 
Q 「保守的」とされる自民党の改憲草案は、憲法を一気に書き換えようとするものですよね。 
 
中島「あの改憲草案は、非常に『革新』的です。これまで合意されてきた規範や憲法解釈を一気に変えてしまおうとしている。その態度は保守というより、むしろ左翼的なものに近いと思います。蓄積されてきた死者たちの英知をどんどんはぎ取ろうとしている」 
中島「安倍さんのように『憲法を一気に変えてしまおう』という人と、『一文たりとも変えるべきではない』という『護憲派』は、特定の人間が絶対的に正しいものを設計できるという設計主義に立っている点では、同類だと言えます。本来の保守は、そのどちらの考え方も採りません」 
 
  中島氏は自民党の憲法改正案を「革新」的だと評しています。しかし、この評価に疑問を抱く方も少なくないのではないでしょうか。というのは安倍首相が主導する自民党の改憲案というものは戦後憲法で初めて盛り込まれた「個人の尊重」などの基本的人権を削ろうとする意図があり、その意味では戦前に回帰する傾向を見せている、という風にも解釈できるからです。その場合に自民党の憲法改正案を「革新」的と表現することが適切なのか、ということなのです。それ以上に中島氏がいうような「左翼的」なものなのでしょうか?そもそも蓄積されてきた死者たちの英知とは誰の英知なのでしょうか。 
 
  生活感覚的に言えば、戦後の日本で革新と言えば共産党や社会党などの左翼政党を意味しました。一方、戦後憲法を否定し、自主憲法の制定を党是としてきた自民党は保守を意味したものです。この意味で筆者は安倍首相の憲法改正に対する政治姿勢は極めて自民党の原点に近い「保守」的なものであると思っています。そのことは安倍首相の祖父が自主憲法の制定を掲げた岸信介元首相であり、安倍首相が祖父をこよなく尊敬していると報じられていることからも明らかであると思います。従来の日本の政治における保守と革新という言葉に基づけば自民党は保守政党であり、今に至っても変わっていないばかりか、むしろ、より純化されていると見るべきではないでしょうか。 
 
  ここで問題となるのは保守とか、革新という言葉が政治的にどんな定義なのか、ということでしょう。言葉の定義をきちんとしないと、話し合いが成り立ちえません。 
 
  この時の朝日新聞のインタビューで、中島氏は自らよって立つ「保守」の意味を説明するために、自由・平等・博愛を掲げたフランス革命を批判的に考察した「フランス革命の省察」の著者である英国の貴族、エドマンド・バークについて語っています。 
 
中島「エドマンド・バークは、フランス革命を厳しく批判しました。彼が何に批判的だったのかを突き詰めていくと、フランス革命の背後にある人間観です。人間は優れた理性で世の中を合理的に設計し、完全な社会をつくることが可能だという考え方に、バークは異議を唱えた。そうしたものが、むしろ寛容性を失わせ、他者に対する暴力や専制政治を生み出すと考えたんです」 
 
  中島氏はフランス革命の背後にある合理性万能主義的な考え方、そしてそのためにしばしば過去との断絶を生む政治的な行き方を「革新」と呼んで批判しています。その意味で言えば安倍首相の憲法改正案は70年続いた「戦後憲法」を一気に変えようとする意味で、「革新」的だと考えているのです。つまり、昨日と異なることを急に始めようとする行為を中島氏は「革新」的と呼んでいるのだと解釈できます。中島氏の考えでは安倍首相の政治は従来の自民党の保守政治から一線を画している、ということのようです。 
 
  こう見ると、保守と革新という言葉をどう定義するかで、まったく逆の意味内容が生まれることがわかると思います。つまり、時間軸をどのようなスケールで設定するか、ということで保守と革新という言葉の中身が異なってくるのではないか、ということなのです。しかし、あえてこのように日本人が戦後抱いてきた保守とか革新という言葉の意味合いを崩すことはむしろ、ジョージ・オーウェルが独裁国家を描いた近未来小説「1984」に出てくるニュースピークに近いものではないか、という疑いです。ニュースピークは言葉の意味合いを少しずつ改変していき、人々の思考を不可能にする人工言語を意味します。 
 
  ここでウィキペディアの「革新」という言葉を見てみます。 
 
 「革新(かくしん、reform)とは、字句通りの意味では新たに革(あらた)めることを意味し、既存のものをより適切と思われるものに変更することを意味する。伝統的な政治学の図式では、左翼(left)・社会主義(socialism)・共産主義(communism)、あるいは社会自由主義・社会民主主義と同義で用いられる。一方、政治学以外では字義通り何かをより良いものに改めていこうとする「改革」(英語では同じくreform)と同義の抽象的な意味で用いられることも多く、「イノベーション」(innovation, 技術革新・刷新・更新・新機軸)の訳語としても用いられる。」 
 
  このように「革新」という言葉には2つの意味合いが含まれていることがわかります。既存のものを変えていくことを革新と言っており、その意味で既存の戦後憲法を改めようとすることは確かに「革新」的かもしれません。しかし、一方で、社会主義とか社会民主主義という意味でつかわれてきた歴史があることも書かれています。この意味でいけば自民党の憲法改正案を「革新」的と呼ぶことはできないでしょう。 
 
  広辞苑では「革新」は「組織・慣習・方法などをかえて新しくすること。改新」とあります。広辞苑には社会主義的な方向性は記載されていません。この意味では中島氏の「革新」という言葉に近いと取れます。辞書的な意味では広辞苑のように既存のものを改める意味合いであり、これは中島氏の言葉の使い方が正しい、ということになります。しかし、従来の政治を語る言説で言えば革新とは左翼的な意味を含んでいることになり、その意味では中島氏の言葉の使い方とは真逆に位置するかもしれません。 
 
  戦後の政治ジャーナリズムの世界における保守と革新という言葉に関して「保守」的な立場をとれば戦後、保守と呼ばれてきたのは憲法改正を訴え続けてきた自民党であり、安倍首相の今回の改憲の動きも保守と考えられると思います。しかし、戦後続いてきた保守と革新という言葉の使い方に対して「革新」的な立場をとれば自民党の改憲案は「革新」的ということになります。問題は日本の多くの市民・有権者が今の自民党を革新だと位置づける評価にすっきりうなづけるかどうか、ということだと思います。というのはそこに戦後70年の長い暮らしの中に根付いた言葉の感覚があるからです。もし中島氏の革新的な定義で物事を論じるのであればそのことが国民的に共有されなければ混乱を起こすことにもなりえると思えるのです。それ以上に、「革新」という言葉を貶めることによって、政治において新しい思考を発展させたり、新しい試みを始める行為を萎縮させることにもつながりかねません。 


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