2016年06月30日08時09分掲載  無料記事
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アジアの女性の実像を探る意欲的な試み 「Rethinking Representations of Asian Women」(アジアの女性の表象を再考する) 10人の社会学者・文化人類学者が研究を持ち寄り編纂

   今年出版された意欲的な本の1つが「Rethinking Representations of Asian Women」(アジアの女性の表象を再考する) です。アジアの女性の実像を探る意欲的な試みで、10人のアジアの社会学者・文化人類学者がそれぞれの研究を持ち寄り、伊地知紀子氏、加藤敦典氏、櫻田涼子氏の3人の日本の研究者が最終的に1冊の本にまとめ上げました。特筆されることはこの本が英文で外国の出版社から出版されたことです。そのことによって、日本人だけでなく、英語を理解するアジアの人々、あるいは世界の人々がこれらの研究にアクセスできるようになりました。 
 
  具体的なテキストはバリエーションに富んでいます。 
 
■台湾の女性の水子供養の儀式を研究したもの(Grace Cheng-Ying Lin) 
 
■食肉関連の仕事を割り振られてきたネパールの社会の下層カーストに位置する女性たちの生活と地位向上のための互助的な取り組み (中川加奈子) 
 
■韓国の済州島の海女(Chamsu)が日本の三重県などに出稼ぎに来て海女の仕事をしてきた経済史的な背景と女性たちの生 (伊地知紀子) 
 
■20世紀の社会主義時代に5人あるいは8人以上の出産を奨励され、産み育てれば表彰された「栄光の母」と呼ばれたモンゴルの女性たちの実像 (Turmukh Odontuya) 
 
■パキスタンの出稼ぎ労働者と結婚してイスラム教徒に改宗した日本の女性の生活 (工藤正子) 
 
■在日朝鮮人一世の母親たちが築いた組織「女性同盟」の教育や生活向上に向けた取り組み (洪ジョンウン) 
 
■出稼ぎで来日して日本人と結婚した後、離婚しても韓国人の女性が日本に在住を続ける背景の研究  ( 林徳仁 ) 
 
■マレーシアに在住する中国系家族の女性たちの子育ての実像 (櫻田涼子) 
 
■日本に移住してベトナム食材の調達に取り組んできた女性たちの試行錯誤 (瀬戸徐映里奈) 
 
■ベトナムの村落で一人生きる年老いた女性たちの実像 (加藤敦典) 
 
  これらはいずれもアジアに生きる女性の生活の研究であり、特に越境して海外に移住したり、国際結婚をしたり離婚をしたり、出稼ぎをしたり、あるいは出産・育児をしたり、またあるいは抑圧的な社会の中で生活の向上を図ってきたそのデテールを探っているものです。 
 
  アジアの女性にとって大きな波は20世紀に主に2つあり、1つは第二次世界大戦とその後の冷戦がもたらした激動の影響、もう一つは冷戦の終焉がもたらした新自由主義経済のもとにおける出稼ぎブームの影響です。これらの波がジャーナリズムで描かれる場合は極めて、政治史・外交史・経済史的視点から政治家や経済人を主人公に描かれることが大半でした。しかし、今回本書で発表されたテキスト群では、これまであまり描かれてこなかった市井の女性の視点から、これらの大きな波が描かれているという風に見ることができます。そして、波の中に生きる女性たちが一見変動の受け身でもありながらも状況の中で主体的に生きようとしてきた具体的な歩みも、本書で見逃すことはできない要素だと感じられました。 
 
  韓国の場合は日本の植民地にされたことが大きな要素となります。韓国・済州島の海女であるChamsuは日本が1910年に韓国を併合した後、小さな漁船で日本に出稼ぎに来るようになりますが、その後、1923年に済州島から大阪への直行フェリーが開通し、Chamsuだけでなく、様々な職を求めて日本への出稼ぎが本格化します。1910年の日本の海女と済州島のChamsuの賃金格差は7:1という圧倒的な格差だったとされ、この格差が出稼ぎを生む圧力となりました。明治維新の当時、日朝(韓)間に未だ大きな経済の差がなかったと聞きますから、40年足らずの間に日本経済が加速度的に帝国主義的発展を遂げていったことを物語るものです。済州島から直行フェリー便があった大阪には在日コリアンのコミュニティも生まれます。済州島のChamsuたちは大阪から移動して、三重県の海で潜ったほか、各地の海でもダイビングをして海産物を採り、済州島で暮らす家族を養います。こうした韓国からの出稼ぎの波は戦後、ストップしますが、1980年代以後に再開され、海産物需要の増大と日本の海女の減少との差を埋めることになりました。 
 こうした80年代以後に労働者として、あるいは配偶者として渡航してくる韓国の女性たちは「ニューカマー」(新参者)とされ、そうした女性が日本で結婚したのちに離婚した後も日本に留まったケースの研究も本書の中で紹介されています。 
 
  本書を紐解くまで知りえなかったことの1つは国際政治の影響で女性が何人子供を産むか、そして堕胎が許されるかどうかが政治的に決定されてきたことです。とくに周辺国と国威を争う場合や戦争が起きた場合は女性は兵士を一人でもたくさん産み育てることが奨励されますから、たとえばモンゴルのように8人以上産み育てれば最高の奨励を得られる、というようなことがあります。また、そのことは政府が行う堕胎の許認可にも影響します。台湾のケースのように堕胎によって生まれた女性の罪の意識があり、死後の霊的世界に想像力をたくましくしていく女性も生まれることが見えてきます。台湾では長い間、堕胎が禁止されていましたが(その間は闇で堕胎が行われていた)1982年から条件つきで合法化され、その前後から水子供養がブームになっていったようですが、一説によれば日本から持ち込まれたものとされます。そこではシャーマン的な霊的世界との交信をビジネス化したものが多数あるとされます。 
 
  また戦争であれ、経済ブームであれ、アジアにおいて子育てや老人の介護を行ってきたのは大半が女性であり、経済環境の変化で働き手が移住したりした後の村落での生活を女性がどう主体的に選択して生きているのか、ということもこれまで盲点になってきたことと言えるでしょう。ベトナム戦争のひずみが今も農村には残り、若者たちが都会に出稼ぎで移住したのちも戦死した夫や子供の霊を供養するためにあえて村に残り、自活する老いたベトナム人の女性の姿は印象深いものです。また日本に出稼ぎにきたムスリムの男性と結婚した日本人の女性が子供をどう育てるかで、周囲の家庭環境や地域社会の中で苦労している様子もうかがえます。かつてはあまりイスラム教徒だからといって敵視されなかった日本国内でも、2001年の同時多発テロ以後はムスリムの人々への視線が厳しくなってきた、ということも苦労を大きくしているようです。こうした場合に子育ての環境を選んで父親の国でもなく、母親の国でもない第三国に移住するケースもあるということです。 
 
  これらの研究がどのようにして、1冊にまとめられるかに至ったかですが、アジアの国際的な研究会議が最近行われており、その際、発表されたことを基礎にして国境を越えて成果を共有しようということがもとになったのだそうです。一国の政治経済の利害を超えた研究を図ろうという大きな意欲が感じられます。本書はアジアの女性の生活のあり方を、国家や共同体が押し付けた「役割」から離れて生活の実相と女性たちの主体性に着目して編纂されたものです。本書のもとになった研究者たちのグループ、AAS(Association for Asian Studies)ではさらなる本の編纂の可能性もあるようです。 
 
  この共同発表の営みが成果をあげれば、将来より多様なテーマでアジアの共同研究が行われ、その成果が各国の研究者が共通に読むことができる言語で発表されればアジアの平和や持続可能な発展につなげていけるに違いないと思います。 
 
村上良太 
 
 
■共著「Rethinking Representations of Asian Women」(再考・アジアの女性をどう描くか) 
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