2016年08月07日14時54分掲載  無料記事
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ジャン=フィリップ・トゥーサン著 「衝動と我慢」 (L' URGENCE ET LA PATIENCE) その2 

   ベルギー生まれの作家ジャン=フィリップ・トゥーサン氏が自己の文学の歩みをそのデビュー当時から振り返ってつづったのが本書,’L' URGENCE ET LA PATIENCE’というタイトルの本で、ミニュイ社から出版されています。デビューしたのもこの出版社で、その経緯も書かれています。 
 
  まだ日本語訳が出ていないと思われるため、前回、仮に「衝動と我慢」という風にタイトルを訳してみましたが、ulgenceを衝動と訳してよいのか、本書の中でurgenceについて語った節を読むと我ながら、考えさせられてしまいます。 
 
  ここでトゥーサン氏が説いているのは作家にとって必要なurgenceとは、いわゆるインスピレーションのことではない、と言っているからです。インスピレーションと言えば「霊感」と訳されるのが普通だと思いますが、これは詩人などに突然、霊感が閃いて(つまりアイデア、着想がわいて)ささっとペンでつづるイメージです。しかし、トゥーサン氏は自分が説くurgenceはそういう受け身のものではない、と言っています。urgenceには最大限の我慢が必要だとまで言っているのです。 
 
  そして、たとえているのは深海にもぐりこんでいく挑戦です。最初は表面付近で太陽光線も届いているから周囲の視界も悪くないが、130メートルくらいまで潜ると物の形もはっきりしないし、・・・そして200メートルまで潜ると太陽光はまったく届かない。このあたりまで達したらurgenceだと言っています。この深海の淵まで降りていく苦しい経験をすることで、今まで感じたことがない感覚の解放があり、感性が広がり、新しい世界が開けてくる、と語っています。ものが普通に見えている水面世界から、これだけ距離を置くことによって世界を再構成できるのだ、と言うのです。それが創作には必要なのだとしています。 
  しかし、せっかく苦心して到達したこのurgenceの領域にいても、ちょっとした偶然によって台無しになってしまうとも言っています。いずれにしても、創作に必要なurgenceの領域が存在し、そこに到達する努力なくしてものは書けないとトゥーサン氏は言っているのです。 
 
  ジャン=フィリップ・トゥーサン氏と言えば最初にデビューした「浴室」の著者紹介はいかにも才気煥発で超エリートの美青年というイメージでしたから、その印象が後にも付随してしまって、こうした苦心して書いている作家の印象がありませんでした。恐らくはトゥーサン氏自身の作家を「続けていく」歩みの中での苦労があったのだろうと思いますが、とくに3作目の「カメラ」で本格的作家になったとも言われているようです。「浴室」はまるでパスカルの箴言集のような、短文がつぎはぎ的に書き継がれていく軽い文体でしたが、のちにその文学を深化させるべく、主人公の造形を深めていったトゥーサン氏です。 
 
  本書の中には先述のとおり、デビューしたころのことも書かれていて、アルジェリアで教師を一時していたことも触れられています。また、ドストエフスキーを読んだ体験や、サミュエル・ベケットとの出会いなども書かれています。意外だったのは高等師範学校では歴史を専攻する学生で、あまり早期から文学かぶれではなかったということです。もしかしたら、そのことが「軽さ」の理由だったのかもしれません。 
 
 
※urgence 緊急、火急、切迫(ロワイヤル仏和辞典より) 
 
 
 
■ジャン=フィリップ・トゥーサン著 「衝動と我慢」(L' URGENCE ET LA PATIENCE) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512070925301 
 
■テロと報復戦争の時代に ベルギー出身の作家ジャン=フィリップ・トゥーサン氏は・・・ 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511251954563 
 
■作家のジャン=フィリップ・トゥーサン氏が生まれ故郷ブリュッセルの美術館で初個展 写真シリーズ「読書を愛する」と新作小説「風景の消失」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201506280141100 


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