2016年09月07日15時27分掲載  無料記事
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検証・メディア

ナショナリズムを煽りたてたオリンピック報道 このままだと東京五輪は“国威発揚”一色に

 日本文学研究者のドナルド・キーンさんが東京新聞に「五輪報道への違和感」というエッセイを書いている(「ドナルド・キーンの東京下町日記」9月4日付け)。「どのテレビ局も似たような映像で伝えるのは、日本人の活躍だった。まるで全体主義国家にいるような気分になった」とキーンさんは書いている。まさにその通りだった。何日間かテレビを中心にメディアはリオ五輪に占拠された感じだった。オリンピックのほかに伝えるべきことは沢山あるだろうに、ニュース番組のほとんどの時間はオリンピックに割かれた。その内容は「日本が獲得したメダルの数」と“強いニッポン”の賞賛に終始するものであった。2020年の東京オリンピックを前に「ニッポン、ニッポン」を連呼するメディア、あふれる日の丸と君が代。どこかおかしいと違和感を感じる人も多い。いつから「東京オリンピック」ではなく「日本オリンピック」になったのか。このままだと東京オリンピックは“国威発揚”を前面に押し立てたナショナリズム五輪になりかねない。(大野和興) 
 
◆“国威発揚”を堂々と掲げるNHK 
 
 東京大学名誉教授でNHK改革に取り組んでいる醍醐聡さんはオリンピック報道でNHKに8月26日に質問状を出した。醍醐さんの提起は単にNHKだけでなく、他のメディアにも共通する。醍醐さんの質問は次のようなものだ。 
 
.螢・オリンピック開催中のニュース7では連日、アナウンサーがその日の日本選手のプレイの模様を伝えたあと、「これまでの日本のメダル獲得数は〇です。これは〇〇に次いで〇番目です」と語りました。 
8月21日の「おはよう日本」に登場した刈屋富士雄解説委員は、リオ・オリンピックを振り返った解説の中で、「五輪開催5つのメリット」として、国威発揚、国際的存在感、経済効果、都市開発、スポーツ文化の定着を挙げました。 
 
 こうしたNHKの報道は、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章6)、「IOCとOCOGは国ごとの世界ランキングを作成してはならない」(第5章57項)と定めたオリンピック憲章に反していると考えます。NHKの見解をお聞かせ下さい。 
 
 この質問状に対しNHKからは30分後に以下のような回答があった。,砲弔い討蓮屮リンピック憲章では、IOC自身と組織委員会が国別ランキングを作成しないことをうたっておりますが、メディアによる報道は禁止しているわけではありません」と木で鼻をくくったような回答だった。また△砲弔い討蓮◆屐惺餔卮揚』という表現は、解説委員がオリンピック開催の効果の一つとして、国民を元気にする、国民の自信と誇りを高めるといった意味で使いまし」というものだった。 
 
 この回答に対し醍醐さんは自身のブログで、「オリンピック憲章で謳われたオリンピズムは、国威発揚のためでもなければ、開催都市への波及的経済効果のためでもない」と前置きした上で、「オリンピックを通じて高められる「国民の自信と誇り」とは、どのようなものなのか。国威発揚、ナショナリズム鼓舞とどこが違うのか」「オリンピックを通じて「国民の間に自信と誇り」を高めるのに肩入れするのはメディアの使命なのか」と疑問を呈している。 
 
◆オリンピックは「日本のための大会」ではない 
 
 スポーツジャーナリストの小川勝さんがリオ五輪が閉幕した翌日の8月22日に刊行した『東京オリンピックー「問題」の核心は何か』(集英社新書)は、帯に「オリンピックは『日本のための大会』ではない」とある。小川さんはオリンピック憲章と照らし合わせながら「ニッポンオリンピック」のおかしさを指摘している。目次からいくつかの見出しを拾うだけで、彼がいう「問題の核心」が浮かび上がる。 
 
オリンピックは「開催国のために行う大会」ではない(第1章) 
オリンピックは「国同士の争い」ではない(第2章) 
オリンピックに「経済効果」を求めてはならない(第3章) 
オリンピックの理念は「勝敗」ではない(終章) 
 
では現実はどうであったか。東京五輪のために2015年11月に決定された政府基本方針というのがある。その一節に次のようなくだりがある。 
 
 「日本人アスリートが(略)過去最高の金メダル数を獲得するなど優秀な成績をおさめることができるよう…」 
 
 醍醐さんの指摘のようにオリンピック憲章は第1章で「オリンピック競技大会は(略)選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と定めている。日本政府はなはから憲章違反を犯しているのである。憲章がこうした規定を置く背景には、オリンピックとナショナリズムの長い「戦い」の歴史があった、と小川さんは書いている。 
オリンピックの創設者クーベルタンは当初から大会にナショナリズムが持ち込まれるのを警戒していた。1952年から72年まで会長を務めたブランデージは、再三にわたり表彰式での国家・国旗を廃止し、国歌を五輪ファンファーレに代えるよう提案していた。こうした提案はオリンピックを国威発揚の場、資本主義国よりすぐれているとことを証明する場と考えていた共産主義国の反対でつぶされていった。「日本をとり戻す」ことを自身の政治目的に掲げる安倍首相が率いる政権に姿勢と重なる。 
 
 リオ五輪の閉会式での安倍首相のパフォーマンスにその姿勢は見事に現れていた。ドラえもんやキャプテン翼など国際的に有名な日本のアニメキャラクターが登場した後、日本から地球を貫通してリオに現出したマリオ。赤い帽子の下はなんと安倍首相の得意げ顔。オリンピックの閉会式に一国の首相が顔を出すこと自体がオリンピック憲章違反の政治利用なのだが、日本のメディアはこうした安倍首相を持ち上げるだけだった。大手広告代理店が関わったとされるこの演出、なんと12億円かかったと8月8日の東京新聞は伝えた。 
 
◆追いつめられるアスリートたち 
 
 最後に、もう一度醍醐さんに登場いただく。醍醐さんは、NHKからの回答を得てすぐさま、以下のような意見を送った。 
 
 昨日、お送りした意見・質問への返信の中に、オリンピック開催の効果の一つとして「国民の自信と誇りを高める」というくだりがありました。国ごとのメダル獲得数を示すのもそのためですか? しかし、オリンピックは参加国の国民にどのような「自信と誇り」を高めるのですか? 
 
 「幸吉はもう走れません。お許しください」という遺書を残して円谷幸吉選手は自殺しました。ロス五輪マラソンで途中棄権して帰国した増田明美さんは空港で「非国民」という罵声を浴び、ショックのあまり寮の自室にこもって死ぬことばかり考えたと述懐しています。女子シンクロで銅メダルをもたらしたとして賞賛された井村雅代ヘッドコーチは「無茶苦茶強引に指導して選手を追い込んだ」と誇らしげに語りました。 
 
 オリンピックは、選手の人権を顧みず、選手を追い詰めて、国民に自信と誇りをもたらすため、「お国のため」にあるのではありません。メディアがそんな国威を煽るのは愚の骨頂です。 


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