2016年10月05日23時46分掲載  無料記事
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検証・メディア

政府の監視に加担するソーシャルメディア  小倉利丸

 米国の諜報機関、捜査当局のなりふり構わぬ監視活動が最近次々に明かになっている。ロイターは10月5日付の記事で「米ヤフー(YHOO.O)が昨年、米情報機関からの要請を受けてヤフーメールのユーザーのすべての受信メールをスキャンしていたことが、関係筋の話から明らかになった。」と報じた。対象になっているのは数億のメールアカウントで、メール本文も含まれるという。そして次のようにも報じている。 
 
「情報機関はヤフーに対し特定の文字をサーチするよう要請していたが、どのような情報を求めていたのかは明らかになっていない。関係筋によると、メールもしくは添付ファイルに記載されたフレーズを求めていた可能性がある。」 
 
 スノーデンやウィキリークスによるNSAの内部文書暴露によって、上記のような網羅的な監視が行なわれているのでは、ということが指摘されてきた。そして、キーワードによって網羅的に収集したメールを取捨選択する仕組みもあるのでは、と言われてきたが、今回の報道は、こうしたこれまでも報じられてきた疑いを、内部関係者の証言だけだが裏付けるものになったといえる。 
 
 ヤフーは先頃、IT大手のヴェライゾンに買収されたばかりだが、ヴェライゾンはNSA協力企業として、極秘文書にもその名前があり、しかも、日本と米国を結ぶ通信回線の監視にも関与している疑いのある企業でもある。しかも、今回のヤフーによる諜報機関などへの協力が、企業トップのマリッサ・メイヤー最高経営責任者(CEO)の決定だというから、企業ぐるみであり、かつ企業の経営方針でもあることがわかる。事実、これに反発して昨年6月に情報セキュリティ責任者アレックス・スタモスが辞任する。 
 
 さて、このような米国の監視が米国で起きているから国外のわたしたちは安心かといえば全くそんなことはない。報道にあったように、監視されているのは受信メールである。(インターネットの仕組みからみて送信メールを送信側のメールサーバで取得するのは受信メールを横取りするよりやっかいだと思う)だから、取得されるメールは、様々な国地域から様々なプロバイダーと契約しているユーザーであって、ヤフーのユーザに限定されない。しかも、日本のヤフーのアカウントを持っている場合は監視対象外になるかといえば、たぶんそうではない。メールサーバが米国内に設置されている可能性が高いからだ。数億というアカウントの数が報じられているが、この数は米国だけでなく全世界のヤフーのユーザの数ではないかと思われる。ヤフーは、「米国の法律を順守している」と声明しているというが、いったいどのような法律によればこうした網羅的にメールの内容まで監視・取得できるのだろうか。国家が法を越えた行為をすることが当たり前になっている米国では(ガンタナモしかり、ドローンによる越境爆撃しかり、NSAなどの諜報活動しかり)、法治国家の実体が事実上形骸化している。これは米国だけでなく世界的な傾向であり、こうした状況のなかで法律順守といった発言は、全く責任をともなうものとは言い難い。 
 
 もう一つの問題は、こうした米国ヤフーの行動について日本のヤフーはどのような対応をとるつもりなのかという点である。日本法人がこうした米国ヤフーの対応を黙認するのか、あるいは、もし、サーバが米国内にあって、日本のヤフーのユーザや、ヤフーのアカウントに送信した全てのメール送信者のプライバシーの権利が侵害されている可能性があるとすれば、その事実を公表しなければならないだろう。そして日本法人として、ユーザーのプライバシーを最優先に考えるのであれば、こうした網羅的な監視に協力しない技術的な(言葉ではなく)対応をとるべきだろう。 
 
●IT企業の協力なんていらない?──FBIのハッキング捜査 
 
 すでに書いことだがここで繰り返しておきたい。電子フロンティア財団(EFF)が9月15日付でウエッブに「FBIによる前例のない違法なハッキング作戦」という記事を掲載した。この記事によると、2014年12月、外国捜査機関による児童ポルノサイト(ネット上の闇サイトでThe Playpenと呼ばれている)の情報提供をきっかけに、捜索令状を裁判所から得たFBIは、このサイトのサーバーをそのまま稼動させ監視を続けた。この間にFBIは、このポルノサイトにアクセスしたユーザーのコンピュータに侵入して個人情報を取得するウィルス(一般にマルウェアと呼ばれる)を仕込むハッキング捜査を実施した。裁判所の令状がハッキング捜査の令状ではなかったことで裁判で争点になっている。実は捜索令状でどこまで捜索が可能かは、サイバースペースでの捜索においては常に問題になる。リアルワールドであれば場所を特定することが令状主義のルールとされているが、サイバースペースの「場所」はバーチャルでありネットワークで接続されている全てをたった一通の令状で捜索することも可能だ、という拡大解釈をする動機が捜査機関側にはありうる。こうした権力の動機を規制する法制度も技術的な規制もほとんどない状態だ。 
 
 わたしたちがウエッブにアクセスした時の直感的な感覚としては、あたかもテレビを観ているかのような錯覚に陥いっているといえそうだ。しかし、最近のデジタル放送も同様だが、ウエッブの受信側と送信側の双方のコンピュータの間では、ユーザには実感できない様々なデータのやりとりが行なわれている。そのなかには、IPアドレスや自分のPCのOSの情報やブラウザの情報なども含まれ、このやりとりをするソフトウェアのセキュリティホールなどを利用してウィルスを仕込むことも可能になる。FBIはこの仕組みを利用してハッキングをしたわけだ。FBIはハッキングとは呼ばずに「Network Investigative Technique」、略称NITと呼んでいるらしいが、要は官製ハッキングであり、米国が蛇蝎のごとく嫌うロシアや中国などの政府によるハッキングと同類である。 
 
 このケースでわかるのは、サーバの管理者が捜査に協力しなくても、管理者に知られることなく捜査機関はサーバを利用するユーザの個人情報を取得できる技術をもっているということだ。Playpenのケースが児童ポルノであるために、捜査機関が用いた手法の問題性への関心が逸らされかねないのだが、ハッキング捜査はどのようなケースであっても可能な捜査技術だということである。今回たまたま児童ポルノサイトでのハッキング捜査が露呈したに過ぎず、他にも同様のケースがありうると考えるべき事案だろうと思う。とくに、サーバを民間のプロバイダなどに依存しないで自主運用していたり、捜査機関に安易に協力しないプロバイダーであったり、国外にサーバがあって容易にその管理者の協力を得られないといった場合に、こうしたハッキング捜査が行なわれる可能性が高い。日本は米国とは違うのでは、ということは成り立たないだろうと思うし、米国の捜査機関がやっていることは日本の捜査機関でも(少なくとも技術的には)やれるということでもある。 
 
 このハッキング捜査は、リアルワールドであればたぶん潜入捜査やおとり捜査に該当するものかもしれない。こうした潜入捜査が認められているのであれば、サイバースペースでの潜入捜査なども認められて当然という考え方が捜査当局にあってもおかしくない。こうした潜入捜査を規制する明確な法制度は、米国にも日本にもないように思う。ハッキング捜査は、盗聴捜査以上に密行性が高くなるだろう。こうした手法を支える技術は、どこの国でも、捜査機関だけでなく諜報機関など軍事組織でも使えるということでいえば、政府がいう「サイバー戦争」なるものの武器の一つでもある。警察も軍も銃を使うのと同様、どちらもコンピュータウィルスを使うということだ。 
 
 この事件の最大の教訓は、FBIには、サーバーの管理者やプロバイダーの協力なしに侵入し、ウィルスを仕掛ける技術があるというところにある。従来、ネット監視にどのようにIT企業などを協力させるか、あるいは現に協力しているのかが話題になることが多かったし、冒頭に述べたヤフーのケースもこの流れに該当するが、Playpenのケースは、捜査機関がネット事業者抜きでかなりのことまでやりおおせるということを示したものとして注目すべきことだ。捜査機関や諜報機関は、これまでも何とかしてこれら企業依存しない監視・情報収集体制を構築したがってきた。日本の改悪盗聴法でも、業者の立ち会いを排除し、更には業者の通信施設ではなく警察署などでも盗聴可能な態勢を構築する方向で法を緩めようとしてきたことに、権力が脱民間企業の方向をとろうとしていることが表われている。軍事組織になれば尚更だろう。 
 
●フェイスブック:政府をビジネスパートナーにするソーシャルメディア資本 
 
 次はフェイスブックである。 フェィスブックによる検閲事件が相次いでいる。ベトナム戦争当時、ピューリッツァー賞を受賞した有名な写真に、米軍のナパーム弾から逃げる裸の少女の写真がある。この写真をノルウェー人作家のトム・エーゲランがフェイスブックに掲載したところ、フェイスブックはこれを児童ポルノだとして削除するという出来事が起きた(ハフィントンポスト9月10日)。この削除への批判が、ノルウェーはじめ国際的にも高まり、フェイスブックは削除措置を撤回したという。この事件を報じたハフィントンポストによると、写真の削除だけでなく、検閲を批判したエーゲランのフェイスブックのアカウントが一時停止されることまで起きた。「アフテンポステン」のイギル・ハンセン編集長はこの事件に対してフェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグに公開書翰を送り、その中で次のように述べた。 
 
「マーク、子供たちが、たる爆弾や神経ガスなどの被害にあう今の戦争のことを考えてほしい」「お願いだから、偏狭な検閲方針を撤回してもらえないだろうか? 単に極めて少数の人たちが裸の子供を映した画像を見て不快感を感じる可能性があり得るとか、どこかの小児性愛者がその画像を児童ポルノと見なすかもしれないから、という理由をつけるのはやめてもらえないか?」 
 
 ハンセンは「マーク、あなたは世界で最も権力のある編集者なのだから」「権力を乱用していると思う。そして、あなたがよく考え抜いた結果こうなったとは、とても思えない」とも書いた。 
 
 この問題はハンセンが述べているように、マーク・ザッカーバーグのちょっとした権力濫用といったエピソードのたぐいなのかどうか。実は、フェイスブックには別の検閲事件も起きており、これらを総合すると、フェイスブックのそもそもの経営方針がネットの民権的自由(注)よりも後で述べるように、グローバルな資本の論理が作用しているなかで起きたことのように思われるのだ。 
 
 イスラエル政府は、ネット上で急速に影響力を拡げはじめたパレスチナ人たちによる国際的な反弾圧運動、BSD運動をターゲットに、その国際的な支援者たちを網羅的に監視するための法整備を実施し、こうした動きにフェィスブック側が協力していることが判明している。9月11日に、イスラエル政府の閣僚とフェイスブックのトップが会談し、協力協定を締結したことをフェイスブックは公式に発表した。具体的には、国外のBSD運動の支援者たちの監視にフェイスブックが協力するということになるという。BSDは、イスラエルをかつての南アのアパルトヘイト国家と同罪とみなして糾弾する国際的な非暴力運動だ。フェイスブックは、イスラエル政府のトップと会談し、イスラエル・オフィスは、ネタニエフ首相のドバイザーで元駐米スイラルエ大使館の主任スタッフを勤めたジョルダーナ・カトラーを雇用するという露骨な政権寄りのビジネスを展開している。イスラエルの公共安全・戦略問題・情報担当大臣のジラッド・エルダンは「フェイスブックは自身のプラットームを監視し、コンテンツを削除することに責任を自覚している。」と述べている。イスラエル政府はフェイスブックやソーシャルメディアを監視し、数千の投稿やアカウントなどの削除に成功し、イスラエル法務大臣によれば政府の要求の7割が実現できているとも報じられている。(Middle East Monitor 6月9日) また、その投稿内容を根拠に投稿者の逮捕者まで出ている。(Intercept 7月7日) 
 
 ソーシャルメディアが反政府運動や人権活動の手段として有効な時代は終ったのかもしれない。ソーシャルメディアもまた資本の論理でその経営を維持していることが忘れられがちで、なぜかソーシャルメディアは言論表現の自由の味方であるかの神話が確立されてしまったように思う。しかしネットビジネスは、ユーザーの権利よりも株式市場の株価の動向にずっと敏感だ。しかも株価は、ソーシャルメディアの顧客数や広告料などによる収益を基準に変動するのであって、人権や表現の自由度などは株価とは無関係だ。ヤフーが象徴しているように、競争他社に押されぎみの資本にとって政府は格好のビジネスパートナーとなる。かつての軍事産業が政府の予算を経営の基盤に据えたように、現代のIT産業の無視できない経営基盤に政府資金があることは間違いない。また、中国、インド、東南アジアのような巨大な人口をかかえた国はソーシャルメディアにとってはまたとないビジネスチャンスでもある。こうした国でのビジネスを円滑に進めるには政府とのパートナーシップが重要になるだろうし、そこでのビジネスの展開いかんによって株価に影響し、これが資本の業績を左右するという仕組みがある以上、各国の規制や政府の意向を受け入れることこそが利益最大化のポイントになるというのがソーシャルメディアを含むIT産業の基本的な姿勢だろう。民権的自由などというのは、こうした資本の論理からすると、それが圧倒的に多くのユーザーの関心にならない限り、後回しになることは必然ともいえる。 
 
 サイバースペースが欧米中心の言論表現の自由に大きな関心を寄せるユーザーが多くを占めた時代から、グーバルなネットユーザーの市場へと変貌するなかで、ユーザーの関心の軸が、民権的自由よりもショッピングやエンタテインメントに移行し、ヘイトスピーチや戦争の国策メディアへと変貌するなかで、各国政府の富国強兵政策の一環としてのIT産業へのテコ入れ、そして対テロ戦争の一環としての「サイバー戦争」の軍事産業としてのIT産業の変質という環境のなかで、もはやソーシャルメディア資本をかつての商業マスコミや国営放送と差別化して「自由」の守護神だと高を括る時代にはない。 
 
 私が危惧するのは、こうした深刻な状況にありながら、多くの活動家や運動は、やはりツイッター、フェイスブックなどの限られたソーシャルメディアに依存しているということだ。ソーシャルメディア業界がますます寡占化しているだけではない。PCのOSは、事実上マイクロソフトかアップルか、という二つの選択肢しかない。(私はLinuxユーザーだが、徐々に増えてはいても極端な少数派だ)インターネットに至ってはたったひとつしかないのだ!しかも資本と国家の論理から自由なメディアではない。資本も国家も大嫌いなアナキストですら、これらを大いに活用している奇妙な現実を奇妙でヤバいことだと真剣に青ざめなければならない。 
 
 19世紀に印刷技術が普及した時代には、執筆、印刷から配布までを国家や資本から自立したメディアとして構築することが可能だった。匿名の筆者、アクティビストの植字工、労働者が自主管理する印刷所、そして地下茎のような流通のネットワーク。これらが、どこの国でももうひとつの世界を構築できた。しかし、ネットにアクセスして情報を共有する仕組みのどこにアナログの世界が確立してきたもうひとつのメディアに匹敵する自由があるといえるのだろうか。インターネット草創期に「サイバースペース独立宣言」が出されたり、もうひとつのインターネットを!といった運動があったが、今やそうした運動が決定的に消滅してしまったかのようだ。ネットへの依存を絶たれる危険性のある時代にあって、サイバースペースをかつてのユートピアとして奪還することの必要性はますます高まっているが、同時に、現実の空間を越境できるメディアのアナロギズム(analog+ ism)の再構築も重要だと思う。難民たちが身体をもって越境し移動するように、現実の空間を移動できるメディアの回路の遺跡を発掘して再生する方途もまた模索すべき時代だろう。 
 
(注)民権的自由:市民的自由と言われていることの言い換え。「市民」という概念に違和感がりながらこれまで使ってきたが、とりあえず民権と言い換えておく。しかし、これも「自由民権」という歴史的な概念を想起させるので、イマイチかもしれないが。 
 
(参考サイト) 
 
Amid Anti-BDS Pressure, Facebook Israel Appoints Long-Time Netanyahu Advisor To Policy Post 
http://www.mintpressnews.com/amid-anti-bds-pressure-facebook-israel-appoints-long-time-netanyahu-advisor-policy-post/217631/ 
 
Facebook And Israel Officially Announce Collaboration To Censor Social Media Content 
 
(ブログ「ne plu kapitalismo」から) 


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