2016年10月16日19時54分掲載  無料記事
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コラム

シャルリー・エブドはなぜイタリア人の被災者をラザニアに例えたのか 〜 風刺漫画について〜  Ryoka

  9月初旬、日本では「イタリア人の被災者をパスタに例えて非難殺到」などと報道された、シャルリー・エブドのFelix(フェリックス)の風刺画について、イタリア人の映画監督 Francesco Mazzaが、なぜあのような風刺画になるのか、シャルリー・エブドのホームページで説明している。 
https://charliehebdo.fr/les-nouvelles-de-charlie/la-caricature-de-charlie-hebdo-expliquee-a-ma-mere/ 
  この口頭弁論形式の寄稿を読めば、今後どんなに気に食わない風刺画がネット上に出回っても誰も批判できないような内容になっているので、ここに紹介したい。 
 
”刺は歴史ある特殊なもの 
 
   Mazzaはまず、風刺の歴史から語る。これは、特に日本では知られていないことで(かく言う私も知らなかったのだけど)、最初の風刺は紀元前4〜5世紀にまで遡る。そして、風刺はそのころから見る人を不快にさせるものだった。 
 
  イタリア文学史上最大の詩人・ダンテは、「神曲」の地獄編の中で「自分の排泄物に頭を突っ込んで、お尻を天に突き出している」ローマ教皇を描いた。そしてその中には、あのムハンマドも登場し、「股に垂れ下がってる腸を口からも吐き出しながら、自分の血液をまき散らし、“飲み込んだもので排泄物を作る袋(腸)”にまみれている」姿が描かれているという。ダンテの描写は実際に画になり、あの“天才”サルバドール・ダリも、ダンテの表現にかなり忠実な“ムハンマド”を描いている。 
 
  これらの長い歴史を熟知したMazzaは言う。「シャルリー・エブドの風刺画が僕たちにショックを与える度にわかることが一つある。それは彼らの風刺画が本物だということなんだ。」 
 
▲僖蹈妊ーの目的は人を笑わせること、風刺の目的は・・・ 
 
  シャルリー・エブドの風刺画がネット上に出回るとき、必ずと言っていいほど目にするのが、「これのどこが面白いのかわからない」という感想だ。しかし、風刺画が必ずしも「面白いもの」「笑いを誘うもの」でなければならないとは決まっていない。このことについて、Mazzaは「パロディー」と「風刺」を比較して説明している。 
 
  「パロディーの目的は人を笑わせることで、それがパロディーの役割でもある。一方で、風刺は人を笑わせることもあるけど、笑わせないこともある。なぜなら、風刺の役割は、人に考えさせることにあるからなんだ。だからパロディーと風刺は全く別物。風刺の良し悪しを自分の笑いのツボにはまるかどうかで判断することは、新聞の社説をジャーナリストのお尻の形の良し悪しで判断するようなもので、全く意味のないことなんだよ。」 
 
  風刺画が「考えさせる」ためにあると理解している人は、特に日本にはほとんどいないのではないだろうか。 
 
神聖なものを標的にして不快にさせる 
 
  「考えさせる」ために風刺に欠かせないもの、それは「神聖なものや人」である。社会全体や、大多数の人々に崇められているもの、そうでなければ日本人の私たちが何かとタブー視しがちな「人の死や災害、事故」が風刺のネタになる。なぜかというと、それらが「社会を反映するもの」になるからだ。 
 
   だから、「社会が聖職者を崇めているとすれば、ダンテのように風刺はその頂点にいる教皇を描く。預言者のイメージが神聖なものだとすれば、風刺はそれを利用する。」 
 
  こう考えれば、シャルリー・エブドがなぜムハンマドを始めとする宗教のシンボルを描き続けているのか、納得がいく。 
 
ぅぅ織螢地震は“人災” 
 
  社会を反映した災害をネタにして人々を不快にさせる、という、Mazzaの説く風刺の条件をクリアしたFelixの風刺画はかなり硬派な風刺画だと言える。では、この風刺画が人々に考えさせたいことは何なのか。 
 
  それは「マグニチュード6,2の地震でイタリアほどの犠牲者を出す先進国は他にないということ」である。 
 
  そして、罪のないはずの被災者がなぜイタリア料理に例えられたのかというと、「あれだけの犠牲者を出したのは一にも二にもイタリア人気質が原因で、それを描写するのにイタリア料理ほど適した表現はない」からだとMazzaは説いている。 
 
  私自身、イタリア地震のニュースを見ていて、マグニチュードと死者数に違和感を感じずにはいられなかった。倒壊した家屋の映像から、そのほとんどが石造りであることは明らかで、耐震補強など一切なされていないのは想像に難くなかった。そして、被災地域のある住人の証言からその直感は確信に変わった。その住人は、周辺の住宅がほぼ全壊している中、本人や同じ屋根の下で暮らす家族が無傷だっただけでなく、自宅もひび一つ入らなかったと言ったのだ。彼の家は、町で唯一、個人の判断で耐震補強が施されていた。 
 
   日本と同じ地震大国において、耐震補強を怠るということは、人の命が疎かにされているということである。 
 
   つまり、Mazzaの言う通り、「犠牲者は地震で亡くなったのではなく、イタリアが死に追いやった」のであって、シャルリー・エブドはあの風刺画を通してそのことが言いたかったのだ。 
 
  こうしてみると、シャルリー・エブドの意図するところと、大手メディアを含む日本人の解釈に大きな溝があったことが伺える。その理由は大きく分けて二つある。まずは、2015年1月のテロ以来、シャルリー・エブドというフランスにおいてもマイナーな媒体が世界中に知られてしまったことだ。これは、ただ単に「知られた」のではなく、「知られてしまった」と言わなければならない。なぜなら、Mazzaの解説通り、風刺というのは、見方を知らなければ理解できない「専門的なもの」、さらに言えば「特殊なもの」であって、それを知らずに見る人が多ければ多いほど単なる「下手くそで不愉快で不謹慎な絵」と捉えられ、風刺らしい風刺が世に広まるたびに誤解が生じるからだ。 
 
   もう一つの理由は、風刺を知らない人たちが風刺を「知らないもの」だと気づいていない点にある。私たちが芸術作品を鑑賞するとき、作品を前にして“よくわからない”と思ったら理解しようとするのが普通だろう。そうでなければ、それ以上は追求せず、自分の独断と偏見で批判にまわる人はいないはずだ。それは、芸術作品にはあらゆる経緯と思いが込められたものがほとんどで、全く知識のない人が適当に判断できる代物ではないからだ。・・・というと、「風刺は芸術ではない」と思う人もいると思うので、別の例を挙げると、例えば日本の「大相撲」なんかが恰好の例なのではないかと思う。大相撲は一部の国にしか存在せず、愛好者も少数派で伝統やルールを知らなければ「太った人同士が取っ組み合いの喧嘩をする醜いもの」と捉えられがちだ。実際、フランスのサルコジ前大統領は、当時の宿敵で日本びいきだったシラク元大統領に対抗するために、自分はよく知らない相撲を貶(けな)した過去がある。 
 
  これまでシャルリー・エブドの風刺画を徹底的に批判する側にまわってきた人は、風刺にもルールがあり、特殊な見方があることに、そろそろ気づくべきではないだろうか。 
 
 
ド刺に耐える社会は自由な社会 
 
  とはいうものの、敢えて醜い画を描き、敢えて人々を不快にさせ、その目的が「考えさせる」ことにある風刺が社会に好意的に受け止められることは滅多にない。それは今も昔も変わらず、「風刺は社会が神聖だとするものや人に触れるために人々の顰蹙(ひんしゅく)を買って、社会から駄目だしされ、自粛を要請されるのが当然」になっていて、今では世界的に称賛されているダンテも「社会から追放されそうになったことがある」という。2015年夏には、ダンテが作品の中でムハンマドを冒涜していると知った「イスラム国」が、ダンテの墓のあるローマを標的にすると予告している。風刺作家は、死んでも憎まれ続けるらしい。 
 
 ただし、そんな風刺にこそ、ある重要な社会的価値がある。 
 
  それは、「表現の自由を物差しで測る役割」である。Mazzaは「世論のほとんどが一つのイデオロギーに傾倒していて神聖なものに従順な社会の自由度はどうやって測れるだろう?」と問いかけ、「表現の自由を測れるのは風刺しかない」と言い切る。 
 
  そして「社会が風刺による不快感に耐えるとき、その社会は自由な社会だと言える。一年半前、僕たちはそういう理由で“Je suis Charlie”と言い合った。みんながみんな突然あの廃刊寸前の週刊紙のファンになったというわけではなく、あの週刊紙があるお陰で自由を主張することができるということだったんだ」と締めくくる。 
 
   風刺が認められない社会に自由はない・・・私たち日本人の胸に突き刺さる言葉ではないだろうか。 
 
 
寄稿 Ryoka 
(在仏ブロガー) 
 
 
■シャルリー・エブドのシリア難民を扱った風刺画について 〜批判に対する作者RISSの反論〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510021439525 
■不可解な風刺画掲載本 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201503112107253 
■シャルリー・エブドは難民を馬鹿にしているのではない 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509161922143 
■拝啓 宮崎駿 様 〜風刺画について〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201503102218542 
■「日本 川内原発が3・11のトラウマを呼び覚ます」 社会学者 セシル・浅沼=ブリス Cecile Asanuma-Brice (翻訳・紹介Ryoka) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604221513295 


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