2016年11月05日13時24分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

これは冤罪では? 「乳首を舐めた」とされる外科医の逮捕  樫田秀樹

 10月14日14時から東京地裁の司法記者クラブにおいて、「逮捕された外科医の釈放」を要求する記者会見がありました。こういう事件があったのを、2週間ほど前、知人からの情報で知りました。案外、とんでもない誤認逮捕です。以下、いわゆる「乳腺外科専門医逮捕勾留準強制わいせつ事件」の概要です。 
 
●5月10日 東京都の柳原病院において、非常勤の乳腺外科専門医C氏が、全身麻酔された女性患者B氏に右乳腫瘍摘出手術を行う。 
●8月25日 C医師、突然逮捕される。(それ以前のA医師への任意取り調べは一切ない。警察の各方面への捜査はありましたが) 
 
 逮捕の理由は、手術を受けた女性患者が手術終了後に4人部屋に移されるが、そこでC医師から、着衣を脱がされ、17分間にわたり左乳首をなめられた・・ということである。 
 つまり、女性患者が警察に訴えたことだった。 
 
 C医師は 
 
●8月27日 勾留決定。 
     勾留決定準抗告するが棄却。 
     勾留取り消し請求もするが却下される。 
 
●8月28日 柳原病院の捜索差押と、C医師の自宅とA医師が常勤するクリニックの捜索差押が行われる。 
●9月14日 起訴決定。 
 
 そして今も、東京拘置所で勾留されています。 
 
 この事案に対しては、柳原病院も「警視庁による当院非常勤医師逮捕の不当性について抗議する」との声明書を出し、早期釈放を求める署名活動にも取り組んでいます。 
 
 そこには以下のことが書かれています(概要)。 
 
★B氏がわいせつ行為を受けたとされるのは、術後の15時ころから。B氏は友人を通じて、16時頃に警察通報した。 
 だが、B氏がその行為を受けたとされるのは、術後35分以内のことであり、全身麻酔による「せん妄(錯視)」状態がまだ続いていた。実際、9月5日、東京地裁での勾留理由開示公判においても柳原病院の顧問弁護士が証言したのは、術後4人部屋に戻ったB氏が目を閉じたまま「ふざけんなよ!」「ぶっ殺してやる!」などとつぶやくのを看護師は聞いている。 
 
 
★また、4人部屋という複数の患者が入院していて、術後は複数の医療従事者が出たり入ったりする状態において、果たして、カーテンを閉めたとしても、そのような行為に17分間も及べるだろうか? 
 
 およそありえないケースです。 
 
 検察が公訴事実として認めているのは「5月10日午後2時55分から3時12分頃までの間」(17分間)上記の行為に及んだというものだが、じつは、B氏は当初、 
 
「午後2時45分頃から2時50分頃までの間、左乳首を舐められたが、B氏が気づいたためC医師はいったん退室したが、その後、午後3時7分から3時12分頃までの間、左手でB氏の着衣をめくり左乳房を見ながら、右手で自慰行為に及んだ」 
 
 との、高い確率でせん妄状態にあることを伺わせる訴えをしています。これが「被疑事実」だったのですが、上記公訴事実では、時間帯も行為も変わってしまっている。さすがに自慰行為をするのはありえないと検察も判断したのでしょう。 
 
 この事件で物証はない。警察は、患者の供述だけで逮捕に踏み切ったのです。 
 
 
●医師たちの記者会見 
 
 10月14日14時。東京地方裁判所の司法記者クラブにおいて「東京保険医協会」の3人が、C医師の早期釈放を求めるための記者会見を行いました。 
 
 その内容を簡単に書けば、「おそらく無罪とは思うが、私たちがA医師を『無罪』と断定することはできない。それは裁判所の仕事になります。私たちが訴えたいのは、『勾留に理由がない』ことです。5月10日から警察は捜査を開始し、8月25日の逮捕まで107日間もかけた以上は、必要な捜査は終了しているはずです」。 
 
「検察はC医師が証拠隠滅行為に及ぶから釈放できないと言いますが、その『具体的な』可能性を示唆する根拠は存在しません」 
 
←嘆願書の拡大コピー 
 
 3人のなかでもっとも力強く釈放を訴えていたのが、佐藤一樹医師でした。佐藤医師はこう語ったのです。 
 
「私は東京保険医協会の役員ということもありますが、個人的にもこの問題で動いています。なぜなら、私もかつては冤罪で90日間独房に入れられていたからです」 
 
 このくだりになると、そのつらい記憶がよみがえったのか、佐藤医師はしばし目頭を押さえ、感情を必死で抑えていました。 
 
←目頭を押さえる佐藤医師 
 
 記者会見後、私は佐藤医師に「先生は何の疑いで逮捕され、90日間も拘留されていたのですか?」と尋ねると、「2001年の東京女子医大事件です」。 
 
 これは、2001年3月、当時12歳の女児が心臓手術後に死亡した事件。 
 大学は、10月には教授ら3人で構成した「死亡原因調査委員会」で調査報告書を作成。これにより、責任をかぶることになった、手術で人工心肺装置の操作を担当した佐藤医師が、02年6月に業務上過失致死容疑で逮捕され、7月に起訴されることになるのです。そして8月には、大学は佐藤医師を諭旨退職処分。 
 
 しかし、05年11月、東京地裁は「内部報告書が、原告(佐藤医師)の社会的評価を低下させることは明らか」、「調査報告の誤りの程度は重大だ」として無罪判決を、09年3月の東京高裁でも無罪判決が出て、無罪が確定した。 
 
 その後、大学側は態度を改め、11年1月6日、和解金を支払い佐藤医師と和解しました。 
 
 佐藤医師にとっては、C医師の勾留は他人ごとではないのです。 
 
 
●C医師は今 
 
 佐藤医師は10月12日、東京拘置所でC医師と接見しています。記者会見での話によると、医師としては初めての接見者とのこと。 
 そのときのことを佐藤医師はFACEBOOKで報告しています。 
 
「一昨日、東京拘置所に勾留されている乳腺外科専門医と接見してきました。 
 独房に身柄拘束され、外の状況をご存知でないため、『何故私がこのようなところにいなくてはならないのか?』と信頼のおける人にもやつあたりされるように訴え、少し精神を病まれているのではないかときき、いてもたってもいられなくなりました。 
『先生は、中にいるから分からないと思いますが、外では一般の方々も含めて、味方が沢山います。保釈を求める署名は、10000を越えました。出てくれば、いかに味方が沢山いるかわかりますよ。それまで、次の闘いに向けて心身ともに健康を維持されるよう、努力してください』と励ましたところ、お母様と奥様とともに涙され、私ももらい泣きしそうになりました。冤罪経験者で拘置所内独房の様子が分かる人間の言うことには説得力があったと思います」 
 
 
●C医師が常勤していたクリニックは今? 
 
 C医師は柳原病院には非常勤として勤務していましたが、常勤としては、医師が二人しかいない乳腺関連の専門クリニックで働いていました。つまり、そのクリニックには今、医師が一人しかいない。 
 これは、その医師にも、クリニックの運営にも、患者さんたちにも不利益をもたらす以外のなにものでもありません。 
 
 
●佐藤医師からのお願い。C医師にお手紙を! 
 
 また、佐藤医師はこうも訴えています。 
 
「私も完全な冤罪で不当逮捕勾留された経験があります。自分自身で『絶対無罪である』と自信があっても、拘置所内に勾留されると不安と怒りでいっぱいになります。そのような時に一番ありがたいのは、励ましの手紙です。 
 誰もが書いておくれますので、C先生宛にお手紙を書いて励ましましょう。 
 東京拘置所の住所は、「〒124-8565 東京都葛飾区小菅1-35-1 A ●●様」 
 
 ご協力できる方は是非。 
 
(ジャーナリスト) 
 
ブログ「記事の裏だって伝えたい」から 
http://shuzaikoara.blog39.fc2.com/ 


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