2016年11月20日18時57分掲載  無料記事
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コラム

安倍首相とトランプ次期米大統領の話し合いをめぐって

  安倍首相が米時間で今月17日、ニューヨークでドナルド・トランプ次期米大統領と会談した件を巡って、安倍首相を非難する批判記事をたくさん目にしました。批判の理由としては未だ、オバマ氏が大統領でありオバマ氏に失礼であるという外交儀礼的なものもあれば、日本のアメリカへの従属ぶりを批判するものもあり、ドイツのメルケル首相のトランプ氏への客観的な対応と比較して恥ずかしいといったもの、さらには今回の会談の中身はなかった、というものもありました。 
 
  そういった批判はしかしながら何よりも安倍首相憎し、という思いが前に出すぎてしまってトランプ氏と安倍首相が会った意味合いを矮小化し過ぎているのではないか、という印象を持ちました。確かに今までアメリカのみならず日本のメディアでもヒラリー・クリントン候補優勢と伝えられていたのが、蓋を開けてみると、トランプ候補の圧勝だったという官邸や外務省の驚きと慌てふためきぶりとそれに続く今回のニューヨーク詣でに、日本の識者・論客が恥ずかしい思いをしたのは当然だと思います。とはいえ、安倍首相はその後、その足でペルーで行われたAPEC首脳会議に出席し、TPPの批准作業についてTPP参加諸国と協議していると報じられています。それを考えると、たとえトランプ氏が就任前であっても安倍首相が時期的にトランプ氏に会って話をする機会を得よう、ということには合理性があると思えるのです。 
 
  筆者はTPPに批判的な視点を持っていますが、自分の考えはひとまず置くとして、客観的に事態を見ると安倍首相の行動は決して突飛なものではないと思えるのです。安倍首相の立場で考えてみようとすれば、これまで多大なリソースをつぎ込んで終盤でできる限り米側に譲歩をさせて何とか大筋合意に持ち込んだTPPであり、それを覆しかねないトランプ次期大統領にAPEC会合の前に日本の真意を伝え、理解を求めるという行動は合理的なものだと思います。しかも、オバマ大統領もTPPを推進してきた立場であり、今この時期に会うとしたらオバマ現職大統領よりもトランプ次期大統領に会ってアピールするのでなければ少なくともTPPに関しては意味がありません。 
 
  自由貿易協定を批判してきたトランプ氏が次期米大統領に選出されたからTPPに関する話は意味がない、という立場に立てば安倍首相の行為は滑稽であり、哀れでもあるかもしれませんが現状で言えばトランプ大統領が選出されたからと言って未だ、米国のTPP脱退が確定しているわけでは決してないのです。むしろ共和党が上下議会ともに支配する米議会はトランプ新政権に移行後、TPP批准を巡る話し合いを進めるということで一致したばかりです。そうした意味で言えば次期大統領が目下、TPPをどう考えているのか〜仮に曖昧政策をトランプ氏がとって真意を隠しているとしても〜首脳として真意をうかがうことは理にかなった行為だと思えるのです。 
 
  ところでこの90分の面談を巡ってウェブのメディア「リテラ」が日本のニュース番組の政治コメンテーターが安倍首相を持ち上げる解説をしているのを批判していましたが(「トランプ・安倍会談のワイドショー報道が酷い!御用記者が会談終了直後に非公開の内容を詳述し安倍政権の願望丸出し解説」)、その批判のための情報源としてニューヨークタイムズを引用していました。http://lite-ra.com/2016/11/post-2709_2.html 
  そのテレビのワイドショー番組では当該コメンテーターは安倍首相がTPPや日米同盟についてトランプ氏と語ったと話したそうです。そのコメンテーターの提灯ぶりに対して、リテラの記者が批判のために引用したニューヨークタイムズの記事は次の下りです。 
 
 「実際、「ニューヨークタイムズ」は、トランプと安倍首相の会談について、「安倍首相はTPPや日米同盟の議論を拒み、個人的な関係作りに焦点を当てた」と、山口の解説とはまったく逆の報道をしている。」(リテラ) 
 
  引用されたニューヨークタイムズの記事は’Donald Trump ,After Fits and Starts,Focus on Foreign Policy’と題された17日付のものです。 
http://www.nytimes.com/2016/11/18/us/politics/donald-trump-after-fits-and-starts-focuses-on-foreign-policy.html 
  この中で安倍首相とトランプ次期大統領の話し合いについてまとめた当該箇所を読んでみると、リテラで翻訳引用されているものと少しニュアンスが異なるのです。そこには”appeared to” とあり、これは断定でも事実でもなく、「〜のように見える」という推測の表現なのです。なので、その箇所をappeared toに注意して訳せば次のようになります。 
 
  「安倍首相はTPPや日米同盟の議論を拒み、個人的な関係作りに焦点を当てたように見える」 
 
  事実ではなく、記者の推測なのです。実際にTPPや日米同盟の議論を拒んだかどうかはわからないが、という意味が含まれています。安倍首相は話し合いの後の記者会見でトランプ氏は大統領就任前であり、今回は非公式協議なので、具体的に何を話したか内容はここで話せないと語っています。この記者会見の発言もニューヨークタイムズに動画が張り付けられています。 
 
当該記事の原文は以下です。 
 
  "In the days leading to Thursday's meeting, officials from the Japanese Foreign and Trade Ministries were urging Mr. Abe to take a tough line with Mr.Trump on the value of the Trans-Pacific Partnership - a huge trade deal that Mr.Trump opposes - and the countries' defense alliance, which Mr.Trump has said Japan must contribute more money toward , according to Michael J.Green, a former official in the Bush administration with close ties to Japan. 
But Mr.Abe appeared to reject that advice,preferring to focus on cultivating a personal relationship with Mr. Trump...." 
 
  「木曜日の会見の前に、日本の外務省や経済産業省の官僚たちは安倍首相にトランプ氏に対して強硬な姿勢を取るように促していた。1つはトランプ氏が反対している巨大な規模の経済協定となるTPPの価値についてであり、もう一つは軍事同盟についてである。軍事同盟についてはブッシュ政権時代の米政府高官で日本と密接なつながりを持つマイケル・グリーン氏によれば、トランプ氏は日本は(駐留米軍に対して)もっと金を出さないといけないと言ったとされる。しかし、安倍氏は日本の官僚の助言に耳を傾けなかったように見え、むしろトランプ氏と個人的なつながりを作ることに重点を置いたようだ。・・・・」 
 
  なぜ「見える」とか「ようだ」という表現、つまり"appeared to "をニューヨークタイムズの記者が使っているかというと、安倍首相とトランプ氏の会談は非公式なもので報道陣は入室が許されなかったからです。ニューヨークタイムズ記者が、それでは「〜のようだ」と判断する根拠は何かと言えばそれはトランプ氏か安倍首相の側近から得た情報なのか、あるいは会談前後の二人のニコニコぶりを見た印象なのかわかりません。もしかするとお互いに信頼関係が築けたといった記者会見での安倍首相の言葉を根拠にしているのかもしれません。その解説の根拠のわからなさはリテラが批判しているコメンテーターと程度の差こそあれ、本質的には同じではないかと思えるのです。だから、ニューヨークタイムズのこの記事を根拠にしてテレビ解説者をばっさり否定することは難しいのではないか、と思えるのです。 
 
  雑誌媒体の場合はたとえ批判記事を書く場合にしても、そこに微妙な表現を使い分けています。事実と推測の間に様々なグレイの段階があり、その濃淡を示すことで読者にもどの程度の真実性があるのか、どの程度確実なのか記者の視点を示すものだと言われてきました。だからこそ、推測記事を断定の文体に翻訳し直した上で、それを根拠に他のメディア人の言動を否定する、というのは行き過ぎがあるのではないか、と思えるのです。 
 
  リテラの記者の批判的なスタンスは理解できるのですが、しかし批判的な心情が記事の前面に出すぎると、今現実に起きている事態の客観的な把握ができなくなる恐れもあるのではないでしょうか。リテラを引用したのですが、他の批判記事もリテラと同様に心情が前に出すぎて、安倍首相の行動を前後の一連の文脈の中で把握できていないように感じられるのです。批判すること自体が目的ならそれでもよいのでしょうが、真相を知ろうとするのであれば、もっと多面的に事態を見る必要があるのではないでしょうか。これは自分自身も陥りやすいことだと自戒を込めてつづっているのです。安倍首相が今日の勢力を築いた背景には長年にわたって執念深くコツコツコツコツ雨だれが石を穿つように努力を繰り返してきたことがあり、それを馬鹿という一言で嗤いとばして看過しているうちは野党に勝機はないでしょう。 
 
  ちなみにニューヨークタイムズの当該記事によれば安倍首相が会談した17日はトランプ氏が外交問題に関してレクチャーを集中的に受けていた日だと書かれています。この日、元国務長官で、後に中国政府の顧問になったキッシンジャー氏が世界政治についてトランプ氏にレクチャーをしたとされています。今まさにアジア政策も含めたトランプ政権の外交政策が揉まれつつある最中だと思われるのです。 
 
 
■ワシントンポスト紙”For foreign diplomats, Trump hotel is place to be”(世界各国の外交官がトランプ氏のホテルに押し掛ける) 
https://www.washingtonpost.com/business/capitalbusiness/2016/11/18/9da9c572-ad18-11e6-977a-1030f822fc35_story.html?tid=sm_tw 
  記事によると100人近い世界各国の外交官がワシントンDCのトランプ氏の最新のホテルに集まって次期大統領と良い関係を築こうとしているという記事。このホテルの豪奢な部屋でトランプブランドのシャンパンをすすりながら、一目でも次期大統領に会おうとしていると記されている。宿泊価格は通常の5倍で、最低5泊の滞在が必要だという。大統領選でヒラリー・クリントン氏が勝つと思っていてトランプ氏と関係を作っていなかった国々は状況挽回にとホテルに泊まって値の張るサービスをたっぷり受けて償いをさせられているようだ。 


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