2016年12月31日21時53分掲載  無料記事
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沖縄/日米安保

沖縄の米軍基地を本土に「引き取る」運動はアリか 「ヒトゴト」から「自分事」で  樫田秀樹

 沖縄の米軍基地を本土に「引き取ろう」ーまず宣伝ですが、これについて書いた記事が、週刊SPA!に掲載されています。「沖縄の米軍基地を引き取ろう」。街角でいきなりこんな街宣活動に出会ったら、おそらくぎょっとすることでしょう。だって、来てほしくないから。 
 
 でも今、そう呼びかける運動が、大阪市、福岡市、新潟市で、昨年から今年にかけて同時発生的に立ち上がっています。 
 
★大阪が「沖縄差別を解消するために沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」 
★福岡が「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」 
★新潟が「沖縄に応答する会@新潟」 
 
 この運動を巡る賛否はすでに起こっているし、むしろ、起こるべきです。そのための「ぎょ!」です。 
 
 「引き取る」運動に否定的な意見としては 
 
★基地被害への懸念(騒音や米兵犯罪) 
★日米安保条約を持続させてしまう 
★「米軍基地をなくす」動きに逆行する 
 
 というのが主なところでしょう。 
 
 じつは、この「引き取る」運動を始めた人たちにしても、「基地反対」運動の人たちの最終的な目標は同じです。すなわち、いつかは米軍基地を日本からなくしたい。 
 では、なぜ「引き取る」運動が始まったのか。 
 
 答えを凝縮すれば、沖縄の基地問題を「ヒトゴト」ではなく「自分事」として考えてもらうためということ。 
 
 SPAの内容はここでは書けませんが、ただし、SPAのWEB版「日刊SPA」では、記事に登場する、「引き取る」運動を提唱している高橋哲哉・東大大学院総合文化研究科教授のコメントを載せています。 
 それをまず紹介します。 
 
ーーここからーー 
 
 私もかつて、日米安保をなくせば沖縄から米軍基地をなくせると言ってきました。しかし、それだけではダメだと思ったのです。2つ理由があります。一つは、安保は何十年経っても維持されているし、その支持率は減るどころか逆に9割近くに達しています。なのに本土の負担率が圧倒的に低いのはおかしい。もう一つは、1950年代に本土の海兵隊が沖縄に移設されるなど、歴史的に本土が沖縄に負担を押し付けてきたことです。安保を維持するなら本土が引き取るべきです。皮肉にも、「基地はどこにもいらない」との反基地スローガンが、沖縄の「県外移設」を望む声の壁になってきました。私が引き取りを提唱するときは覚悟しました。 
 「戦争を認めるのか」とか「転向したのか」との誤解を払拭する努力が必要だからです。いざとなれば、私の住む地域に米軍基地が来ることも認めなければならない。 
 引き取る過程で、私たちが沖縄への加害者であることに気づいてほしい。議論は起こるでしょう。米軍基地の問題は自分たちの問題なのに、沖縄だけの問題のようにして議論がないのがおかしいのです。その議論を通じて、私たちは「加害者」であることをやめ、米軍に守ってもらうという安保体制を見直すこともできる。 
 昨年の安保法制反対運動は盛り上がりましたが、結局、その議論はなかった。憲法9条を支持しながら安保も支持する現状には再考が必要です。引き取り運動が、日本の安全保障体制を考え直す出発点になればと望んでいます。 
 
ーーここまでーー 
 
 ちなみに高橋教授には「沖縄の米軍基地 『県外移設を考える』」(集英社新書)という著書があります。 
 
 私がこの「引き取る」運動に関心をもったのは今年からですが、この関心につながる違和感は数年前に覚えていました。 
 
 2009年、鳩山由紀夫政権が、沖縄の米軍基地を「最低でも県外」に移設すると表明したときです。 
 このとき、「基地はどこにもいらない」と主張する人たちはこれに同意しなかったものの、この表明は沖縄でも「本土」でもそれなりの期待をされていたはずです。 
 
 結果、「最低でも県外」は実現しませんでしたが、覚えておくべきは「最低でも県外」とは、本土のどこかが普天間飛行場の代わりとなる米軍基地を「引き受ける」ことであり、それに少なからぬ国民が同意をしていたということです。 
 
 しかし、鳩山政権のとき、では具体的にどういうステップで本土で基地を引き取るのか、どういう条件の土地が引き取り対象になるのか、具体的な候補地はあるのか・・までの詰めはありませんでした。 
 
 今、大阪、福岡、新潟で起きている運動は、政府主導ではなく、民間主導で始まった「引き取る」=「県外移設」の動きです。 
 
●ヒトゴトから自分事で考えよう 
 
 そして、この3か所で共通している認識は「本土の人間は、沖縄の米軍基地をヒトゴトでしか考えていない。自分事として考えよう」ということです。 
 
 たとえば、大阪でこの運動を進めているMさん(本誌では実名)は、辺野古での座り込み経験もあるだけに、大阪駅前で10年間も「辺野古新基地建設絶対反対」の街宣活動を展開してきました。その結果、辺野古問題への理解は広まったものの、多くの人が「沖縄は大変だね」と思うだけのヒトゴトで終わることをMさんは痛感。そして、政府は一向に強硬姿勢を崩さず、沖縄の現状は悪化する一方です。 
 
 「方向性を変えなければ何も解決しない」 
 
 これが大阪で「引き取る」運動が始まった原点です。 
 
 また、歴史的にも、1950年代に、本土の米軍基地が周辺住民の反対運動で沖縄に移設したという、まさしく沖縄への押し付けがあったのも事実です。 
 
 沖縄県民から見れば、米軍基地の74%もが沖縄だけに押し付けられている現状に「県外移設」に同意するのは当然のことであり、それを本土のどこかが「引き取り」をするということです。 
 
 ともあれ、まずは議論が起こることで「ヒトゴト」から「自分事」の問題として、では、日米安保条約だってどうするのかとの議論が始まる。 
 私自身は、これがもっとも大切だと思います。 
 思い返せば、昨年、全国のあちこちで起こった「安保関連法成立」反対運動にしても、反対だけを唱えただけで(それも大切です)、では、米軍がいなくなったあとの日本の安全保障をどうするのか、やっぱり米軍は必要なのでは、いや、やっぱり平和外交の展開だ・・といった議論がほとんどなかったのも事実です。 
 
 あまり長く書くと冗長になるので、本日はこの辺で。 
 次回は、私がなぜ、この「引き取る」運動に着目するに至ったのかを少しだけ書きます。 
 要は「辺野古新基地建設反対」といった意見書に対しては、本土の自治体は、ほとんどが不採択。 
 対して、「新基地建設促進」を求める意見書に対しては、多くが採択したとの事実を知ったことです。 
 次回、これを少しだけ具体的に書きます。 
 
(ブログ「記事の裏だって伝えたい」から) 


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